地上天国第03号  妙智之光  講話集

昭和二十四年四月二十日

【問】米、野菜の如きも生命がある訳で、それを人間が食ふ事は生命を奪ふ事になると思ひます。一種の罪ではないでせうか。

【答】之は罪といふべき程のものではない、米等は人間必須の食物として神様から与へられたものであるから生物の生命とは異ふ。

宇宙一切のものは人間のために存在するのであるから、如何なるものでも人間のために役立たしむべきが本当である、動物を食ふ事は一種の小さい罪にはなるが、供養してやればよい、その中でも特に鶏、鰻の類は是非そうすべきである。よく鰻屋と鳥屋は良くないといふがそれは供養を怠るからである。

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昭和二十四年四月二十日

【問】神は浄化を下し給ふて御救ひ下さる反面苦痛をも与え給ふのは罪業の許しの意味でせうか、又浄化と関聯して死が与えられるといふ事は如何に考えるべきでありますか。

【答】罪業の払拭は苦痛によつて行はれるものと神に縋る事によつて楽に済む場合とある。前者は無信仰者の場合であり、後者は信仰者の場合である。

神からの救ひの綱が下つてもそれを掴む事の出来ない人は罪穢が多すぎ霊体が重くて掴む事が出来ないのである。然るにその後浄化のため病気災難等の苦痛が起り、それによつて罪が減るから霊が軽くなり、救ひの綱へ手が届く事になる。その様な訳でいくら良い教を説いても救ひの綱に掴り得ない人は、その罪の減る迄時期を待つ外はない、その時無理につかませても落ちてしまふ、然し右の場合浄霊を受ければ楽に早く浄化される。

浄霊によつても死ぬのは多くの場合心から神に縋らぬからで、その人の信仰のどこかに不純な点がある事が多い、一切を擲つて神に縋る人は不治とみらるゝ病も大抵は助かるものである。信仰の浅い人は危機の場合迷ひが生じ易いのでその途端に神の救ひの綱が切れるのである。

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昭和二十四年四月二十日

【問】浄霊によつて善人と思はれる人が助からぬ場合があるのに全く悪人としか思えない人で助かる場合がありますのは如何なる理由でせうか。

【答】一般に人間の眼からみて善人悪人を決めるが大いなる間違ひである。之は神様からみると往々異ふ場合がある。

信仰雑話にある如くすべて小乗と大乗とあつてこれによつて見方が違ふ、人を観る場合大乗的にみなくてはいけない、善人といつても本当の善人は極めて少いので、普通善人といふのは大抵意気地なしで、概して働きのある人は多く悪人に見えるものである。神様の御眼からみれば善人といつても役に立たぬ人間は此の世の穀つぶしで一種の悪人である。大善をする場合は必ず小悪を伴ふもので、之は仕方がないのである。その際小悪のみをみると悪人としか見えない。又悪人からみれば善人は悪人である。

要するに簡単に善悪を決める事は出来ない。善悪は又時代によつても違ふ、忠君愛国思想も民主々義の現在では悪になる、要するに全人類平等に幸福にする事でなくては本当の善ではない。

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昭和二十四年四月二十日

【問】七福神に就て。

【答】これは伝説的なもので、甚だアイマイ極まるものである。いろんな説や解釈があるが、要するに日本、支那、印度三国の著名人を集めて古人が作つたものであらう。毘舎門天とか弁財天とかすべて何々天といふのは印度の位である。

毘舎門天は印度の武神で一名多聞天ともいふ、弁財天は印度名であるが古典によれば、素盞嗚尊から生れた三女神の中の市杵島姫命といふ日本の女神である。

福禄寿は一名ゲホウとも謂ひ、寿老人も布袋和尚等も共に中国人であらう。

大黒天に就てははつきりしてゐないが印度人には違ひない、出雲大社では大国主命を大黒天と称してゐるが、之は昔営業政策から流説したものであろう。大国主命は素盞嗚尊の長男で大黒天とは関係がない。伝説によると、神代に於て天照大神が日本を統治なされた時、印度から渡つて来た豪傑があつて大神に何かに使つてもらひたいといふた処、洵に無愛想な顔なので大神は「そんな顔ではとても使えない、もつと優しい顔にならなくてはいけない」と申されたので、それからはニコニコ笑顔になつたので使はれる事となり、金銀財宝を扱ふ役を仰せつかつたといふ事で、即ち現代でいえば大蔵大臣である。これは面白い伝説だと思ふ。

恵比須といふのは蛭子の尊といはれ、骨なしといふ事になつている。天照大神の息子で毎日釣ばかりして遊んでゐたといふ事である。骨なしとは要するに気骨のない人間といふ意味であらう。兎に角真偽は不明であるが、何か意味がありそうに想ふ。又恵比須様は釣竿と鯛を持つてゐるが、鯛は魚の王であるから、海の幸を表徴したものであらう。

恵比須様に対しては大黒様は槌を持つてゐる。槌(ツチ)は土(ツチ)に通ずる故、槌を振る事は土の幸を産み出すといふ意味で、要するに海と山との宝を出す、これが恵比須大黒の本当の意味だと思ふ。

元来観音様は高位の仏なるが故に、人を浄めたり、邪神を祓つたりして御救ひ下さる事はなされるが、金銀財宝等の物質的御救ひをされる場合、大黒様に扱はせ給ふのは事実で、金銀を集める力を大黒様に与えられる訳である。それで観音様の前に大黒様をお祭りするので、そうすると不思議に物質が集つてくる。

之に就て面白い話がある、以前私が宗教人となつた最初の頃毎月赤字が続いた事があつた。すると或銀行員が大黒天像を持つて来てくれたのでそれを飾つた処、その月以来黒字が続く様になつたので、私は興味を持ち大黒天像を集め、一時は五十位もあつたが懇望されるまゝ人に与えたので今は殆んどない。その後特別大きい大黒様が手に入つてからは予想外に金が入る様になつたのである。

不動銀行の頭取故牧野元治郎氏は有名な大黒様信者で、自分は大黒様の生れ変りの様に思つてゐた相だ、大黒様の夢の御告げで関東大震災の前に三千万円もの公債を買ひ、日本銀行へ預けた。処が震災の時他の銀行は支払ひを停止したのに対し、不動銀行だけは右の公債を現金化してドンドン支払つたので大いに信用を博して同業者間に頭角を顕はしたといふ話を聞いた事がある。

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昭和二十四年四月二十日

【問】夫婦の霊を同じ仏壇にお祀りしてもよいでせうか。又離婚せられた親の位牌の位置はどう云ふ順に入れたらよいでせうか。

【答】同じ仏壇でよろしい、妻の霊は夫の霊より次の位に祭る。一方だけ祭るのはまづい、総て左が上座である。夫婦の位牌は並べた方が猶よい、離婚された親の霊は次位に祭ればよい。

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昭和二十四年四月二十日

【問】私の子供二人共戦死しました。如何なる因縁でせう。

【答】子供が戦死したといふ事はやはり一家に罪が相当あるので、種々の災ひに負ける訳である。戦争に行つても罪が少なければ決して危い所へは行かない。戦争に行つた信者の息子など殆んど皆助かつてゐる。本教団へ入ると皆罪の消え方が速いからである。

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昭和二十四年四月二十日

【問】脊髄カリエスは巫子等により先祖の因縁を査べた方がよろしいでせうか。

【答】因縁をしらべても仕様がない、祖先の罪が霊界の浄化によつてその残滓が子孫の誰かの脊髄へ流れて来る、実にその膿の量は多量である。人間の身体全体を膿としてもカリエスの膿はそれ以上に多量に出る。之は全治はするがせむしはすつかり治らぬ。瘤はづツと低くなる。

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昭和二十四年四月二十日

【問】霊魂を認めない宗教人の死と信仰を持たない一般普通人の死と死後霊界に於てどの様に異いませうか。

【答】宗教家の罪の方が重い、すべてその人の位や役柄の高い程神の咎めは重く、霊界に於て許されるにも長くかゝる。鳥が神社の屋根へ糞をたれてもお咎めないが、人間がそんな事をすれば大変だ。霊を信じない人が霊界へ行くと非常に驚愕すると共に暫らくは痴呆症のやうになるものである。

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昭和二十四年四月二十日

【問】多くの動物とか鳥類の死体を見受けませんがこれは何か訳がある事でせうか。

【答】動物は屍化(シケ)といつて鳥などは地へ落ちるとミイラの様になつてなくなる。即ち霊化して了ふ、動物もそうである。即ち自分で自分自身を始末する訳である。然し家畜には屍化の作用がない。

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昭和二十四年四月二十日

【問】大神、神、尊、命とどう云ふ風に違ひませうか。

【答】人間の一番偉いのは命といひ、普通人間が死んでつける。

尊―これは生きてるうちから位のあつた人につける、命より上になる。例えば素盞嗚尊等そうである。又神が人間に生れた場合にも尊をつかふ。

大神―之は主の神をいひ、只神と申す時は普通の神である。主神は体はもたれぬが唯その表現神はある。

すべて神様の事は固定的に考えてはいけない。融通無碍である。然し国常立尊の様な神は大神といつていい。次に参考にいふが人間の場合一番上が麿で、次が丸、次が雄、男、夫といふ順序になる。

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昭和二十四年四月二十日

【問】無肥料耕作の田植後の苗の黄味がかつたものは如何に処置したらよろしいでせう。

【答】もみに前の肥料の毒が残つてるためで、放置しておけば黄味はとれる、凡ての種に肥料の毒が残つてゐるが二三年続けてゐるうちにだんだんなくなる。

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昭和二十四年四月二十日

【問】動物の浄霊を頼まれますがもつたいない様な気が致しますが如何でせうか。

【答】観音様は虫螻までもお慈悲を垂れ恵んで下さるから、救ひの意味からいふと動物でも人間でも同じ様に思つていいのである。又浄霊は下等動物程効果がある。

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昭和二十四年四月二十日

【問】光明のお軸を拝んでると床の左壁に光明の文字が白く浮出します。その訳をお教え下さい。

【答】私の書いた絵や文字から光が出るのを見る人は沢山ある。事実光が出るのである。その文字の通りの光が出て光が文字の意味通りの働きをする。此説明は今の科学的頭では理解出来ない。私が光とかいた紙を懐に入れると光の働きをして、それが腕を通つて放射し病気が治る、私が字をかくと私の手から光が筆を通つて紙に印象される訳である。それは私の腹には光の玉があつて、その光が手を通る、又此の玉は観音様から出る、観音様は又その上の神様から出る、私が大光明如来とかくと大光明如来の働きをする、これは極く簡単な説明で詳しく説明すると先づ霊界の構成から説明しなくては判らない。此説明は何れ著書でする、今は此程度で我慢してもらふ。

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昭和二十四年四月二十日

【問】断食の功罪。

【答】これは一種のバラモンの行であるが、人間は普通人三度で職業によつては四度も五度も食する様に出来てゐるのである。断食は間違つてゐる、そのためその間は生産に影響するからそれだけ怠けの罪を犯す事になる。故に断食は一時はよくても罪を着る事になる。

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昭和二十四年四月二十日

【問】教導師中に浄霊をしてゐる患者の悪い部分と同じ場所に痛み等を感ずる人がありますのはどんな訳でせう。

【答】人間には日の系統と月の系統の人がある。月の系統の人の場合先方の悪い所が映るのである。月の系統の人は汚れを水で洗ふからで水が濁るのである。それと反対に日は焼く働きであるから焼けばやく程火力は強くなる、処が月の系統の人は病気を引受けるから身体が弱る、以前あつた人の道の教祖などもこの贖罪療法をやり信者の病気を引受ては神様にお振替を願ふのである。処が願者が段々増えて来たので準教祖といつて身代りを約十人程作つたのである。

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昭和二十四年四月二十日

【問】弟子が先生を又は普通の御守の人が大光明の御守の人を浄霊しても差支えないものでせうか。

【答】差支えない、その人を浄霊する場合は自ら位置が変る。される方は先生でも浄霊する場合は神様がその様に守るのであるから差支えない。

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昭和二十四年四月二十日

【問】法身、報身、応身について。

【答】報身―地―釈迦、法身―月―阿彌陀、応身―日―観音となり、観音が一番上である。

法身は水の働きのみで彼世の事が主である。此世の救ひよりは霊界即ち浄土へ救ふのが眼目である。阿彌陀は西方へ浄土を作つて、仏即ち覚者となつたものを我方へ来るやうにと釈迦に誓つた。よく寂光の浄土といふが寂光とは寂しい光即ち月の光で月の霊界である。

報身は地になるから下であるが或る場合上になる事もある。それは観音や阿彌陀を生んだからその母といふ事にもなる、親が子を生むといふが、子が親を生むともいえる、つまり子が出来て初めて親といふ名が生れる。

応身は一番働きが大きいんで、三位の働きを一身でなされるのである。応身とは種々の面に応ずる事で一つものに捉はれない、それで六観音三十三相に化身されるのである。何事も融通がきかなくてはいけない。相手が固苦しければ此方も固く、さばけておればこつちもさばける、相手により自由に応身する。丁度玉が転がる様に聊も角があつてはいけない。所謂円転滑脱である。女には女に向く様、男なら男に合ふ様にその相手の好む様な事を話してやる。処が世の中には自分の好きな事を相手に押つけ従はせやうとする。これは応身ではないから嫌はれる。又こつちから話するより相手の話を聞く方がよい。即ち話上手より聞上手になる事である。

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昭和二十四年四月二十日

【問】神力、金剛力、観音力に就て。

【答】此力の根元は同じ事であるが、その時の表はし方により違ふ、例えば観音力は仏界のある間の力で月の力である。仏力の表はし方であるから弱い、神力は仏力より何十倍も強く金剛力とは神力を発揮する場合の言葉。

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昭和二十四年四月二十日

【問】神龍、天龍、金龍、銀龍に就て。

【答】神龍とか潜龍といつても特別の意味はない。天龍は天界を守つてゐる。地上では金龍が最高であつて次が銀龍である。龍神の偉くなつたのが神龍である。皎龍や白龍なども相当の格式がある。

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昭和二十四年四月二十日

【問】人間には玄米と白米と何れが宜しいでせうか。

【答】玄米と白米との中間即ち七分搗位がよい、玄米はまずいし又胃腸が玄米を咀嚼するやうになつてない。白米は余り精製し過ぎてゐるから糖分がなく白米中毒によつて脚気が起り易い、又化学肥料の害も軽々には出来ない、白米に微量ではあるが硫安の如き毒素が含まれる以上人間は弱る訳で此点からも無肥料にすべきである。

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昭和二十四年四月二十日

【問】印形や墓相によつて人間の運命が左右されると聞きますが事実でせうか。

【答】印形とか墓相とかいふものは相当あたるものである。印を見るとその人の性格がよく表はれてゐる。従而その性格通りの世渡りをするから、運命もそれに伴ふ道理である。墓石は違ふ。墓石は祖先と子孫を繋ぐもので、いはば霊界と現界の楔のようなものであるから重要なもので、墓石は墓石としての法則がある以上、それに外れ、法に適はない時は、運命にまで影響するのである。

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昭和二十四年四月二十日

【問】銀杏の木は在家に樹てても良いものですか。

【答】銀杏の木はよく神社とかお寺に限る様に言つてゐるが、そんな事はない。在家へ樹てても差支えない。

銀杏は普通の木とは一寸異ひ神秘の木である。銀杏の木には霊が憑り易い、実の汁は霊が好むのである。銀杏を倒すとよく祟るといふが、それは霊が憑いてゐるからである。故に切り倒す場合手続きをすればよい。ノアの洪水の時残つたのは銀杏の木だけだつたといふ伝説がある。

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昭和二十四年四月二十日

【問】銀杏の木を切つたら一里四方位実が成らなかつたが(男の銀杏の木)如何なる訳でせうか。

【答】之は銀杏の本だつたに違いない。其為その枝になる他の銀杏も自らそうなつたので、霊的に繋つてゐるのである。実に神秘の木である、松も柳も神秘である、古い銀杏程霊が憑る。三十三間堂柳の由来の如きも、憑依してゐた龍神の霊である。松は男龍、柳は女龍といふ事になつてゐる。曾つて宝山荘の入口に右に松があつたので、私は左に柳を植えたが之は男龍女龍の意味である。松も柳も皮が龍の鱗に似てゐる。

(地天三号  昭和二十四年四月二十日)