地上天国創刊号  妙智之光  講話集

昭和二十三年十二月一日

【問】宗教と科学の関係、及び両者とも永久に必要でせうかどちらか不要になる時が来るでせうか。

【答】之はどちらも不要なものでなく、どこまでも進歩発達すべきものである、少くとも宗教が無かつたら人類の罪穢は溜るのみで、それによつて生ずる毒素の堆積は人類を破滅する事になる、それは浄化の為大天災が続くからで、又科学がなかつたら人類文化は進歩しない。

宗教と科学は同じものである事は既に「信仰雑話」で説いた。従而、科学で説明の出来ない宗教は本当のものではなく、同時に宗教で説明出来ない科学も本当のものではない。

宗教を度外視した科学の発明は恐ろしい事はいふ迄もない、科学の進歩が人類の幸福と伴はないのは其為である、今までは宗教を閑却し寧ろ否定したが科学の進歩に伴ひ宗教も一緒に発達して行かなくてはならぬ。

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昭和二十三年十二月一日

【問】血統と霊統の区別と関係及び血族結婚の可否に就て御垂示下さい。

【答】血統と霊統は同じやうに思へるが実は異ふので、両者は宿命と運命の関係に似てをり、血統は変へ得るが、霊統はかへる事が出来ない。血統はいろいろ混る、日本人なども随分混血してをり、純粋の日本人はないと言つてもいい、霊統は霊の系統であつて肉体の混血に拘はらず一貫して続いている、又混血は非常に結構である。何となればそれぞれの人種の特長を数多く採入れるから、それだけ人間の性能が豊富になるからである。よく血の純潔をやかましくいふが之は誤りで純潔はいけないのである。

文化でも各国の文化が混るほど高度のものとなるから、そういふ国ほど文化が進んでゐる。アメリカなどはよい例である。

血族結婚は差支へない、血族結婚は不具が出たり、不幸になるなどといふが決してそんな事はない。太古は皆そうであつた。よく平家村といつて特殊な村があるが之は皆血族結婚である。

曾つて私は奥日光の湯西川温泉へ行つた事があるが、ここはやはり平家村であつて、戸数九十戸人口六百人程であるが、病人は中風の者が一人きりで殆んどない、勿論無医村である。宿の娘と話したが実に言語応対当を得ており、素晴しく頭がいい。話によれば、初め平家の残党が逃げて来た時は三十人程であつたといふから、血族結婚で殖えた事は勿論である。

日本の神代史によれば、初め伊邪諾、伊邪冊尊の陰陽二神があり、それから殖えたのであるから、最初は右二神から生れた兄弟同士が結婚したに違ひない、夫婦の事を妹脊の道といひ、妻を吾妹子とよぶのは兄と妹と結婚したからであろう。

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昭和二十三年十二月一日

【問】邪神は殊更正神らしく見せかける様に思はれますが如何でせうか。

【答】之は無論そうであつて、最初から邪神と分られては人間の方で警戒するから、邪神の目的は立たぬ、どこまでも正神と見せかけて間違つた事悪い事を、善い事正しい事の様に思はせるものである。邪神はいはば人間界の詐欺師のやうなものである。これを認識しないと邪神の術中に陥るのであるから、余程はつきりとした眼識をもたねばならぬ。

私の「信仰雑話」をかいたのも一つはそういふものにしつかりした判別力を植付けるためでもあるから、どうしてもこれによつて智慧証覚を磨かねばならぬ。随而邪神の言動は立派に見えても必ずどこかに欠点のあるもので、容易に見破り得るのであるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙(ダマ)されるのである。例えば共産主義の如き之は自己の階級だけを愛し、他を打倒しようとする間違つたものであるが、主義者は之こそ大衆を救ふ唯一のものであり、絶対の真理だと信じてやつてゐる。それだけに又非常に強い処がある。

又社会主義の如きもそうで、これが本当のやり方で之によつて社会は救はれると信じ切つてゐる、この主義によると、賢者も、智者も、愚者も、偉人も平等に取扱はふとする、そこに不公平がある。大自然を見ても一切に自ら階級がある。偉人とか智者は社会からそれ相当の地位を与へられ優遇さるべきが本当であつてそれによつて社会の秩序が保たれる、又社会主義は人間の競争心をなくそうとするが、これは文化の進歩を阻害する事になる。競争心があるので進歩発展するのである。

次に資本主義も甚だ間違つてゐる、之は、金力を以て大衆の幸福を蹂りんする事になるからである、どうしても全体が幸福を得るという全体幸福主義といふやうな新しい思想が生れなくてはならない、そこ迄文化が向上する事を念願として進むべきである。

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昭和二十三年十二月一日

【問】趣味として魚釣りをする事は差支へないでせうか。

【答】之は趣味として熱中しない程度なれば差支へない、ただあまり凝ると魚の祟りがある。私は若い頃釣りに凝つて指が腐つたやうになつた経験がある。之はみみずと魚の怨みで、特にみみずは龍神の一種であるから祟るのである。然しあまり凝ると、魚釣りの殺生の罪よりも、なまけの罪の方が大きい事になるから注意すべきである。人間は常に五体を有用に使ふやう心掛くべきで、特に頭を使ふ方がよい、頭は使ふ程発達し長生きをするから、頭を使ふ学者、僧侶等はそうである。あまり使はぬ野蛮人などは割合に早死するをみても知らるるのである。

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昭和二十三年十二月一日

【問】人類には如何なる訳で悪があり、苦がありませうか。

【答】之は人類を造つた神様でなくては、造られた人間では判り得べくもない、私も造られた人間であつて造つた方ではないからその真意は判らぬが、唯だ凡その想像は出来る訳で、無論何かの必要があつて、そういふ風に造られたものと思ふ。

元来主神は全宇宙そのものがその御所有物であつて善も悪もないが、神典にある如くその主神から分れて霊系の祖が高皇産霊神、体系の神が神皇産霊神となられた、之は陰陽の神であり、陽陰はすでに善悪である。そして悪に属する神を邪神、善に属する神を正神といふ、この善悪が始終摩擦し争闘しつつ、人類は生成化育し今日の如く輝しい文化の発達を見たのである。此点が人間としての考へ方の難しい所で「悪人を造つておいて裁くなら初めから造らなければいいではないか、審判などといつて人間を悪い事をするように造つておき乍ら、罪を罰するとは無慈悲不合理だ」と言ふ人もあるが、私としても造られた側に立つてゐるので神意を知り得べくもないが、何の為に悪を造られたかの想像はつく、それは確かに悪によつて善が活動し文化が進歩を遂げたといふ事実である。

然し乍ら人間として悪い事をすると悪い結果が必ず来る、即ち因果応報で、之は間違ひのない事実であり、真理である。どんなにしても善でなくては栄えない。

人を苦しめれば自分が苦しむ、人を幸福にすれば自分が幸福になる、そうすると善い事をした方が得だといふ結論になるから人間は善事を目標としなくてはならぬ。  次に苦しみも何かの必要があつて造られたもので、現実の苦は如何にして祓除し得るかである、それは神から苦悩の元たる曇を除つていたゞく外はなく、神仏の光によつて除つてもらうのである。観音教団の浄霊はその為に出来たもので、此浄霊により神の光が放射され曇は解消し、苦悩はさつぱりと除れるのである。そうして此曇は信仰と徳の程度により、大きくも小さくも除れるのである。邪念や言葉の罪などは朝夕神仏を礼拝する事によつて大方は浄められるがそれのみでは本当でない。やはり人を幸福にする事が肝要で、信仰は拝むのみでは本当に救はれぬ、先づ多くの人に喜びを与えなくてはならぬ。

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昭和二十三年十二月一日

【問】虹が七色になり丸くなつて出るのはどういう訳でせうか。

【答】虹が七色になるのは学説の如く、太陽の光線が分光されたもので、七色の色彩を塗つた円板を廻転さすと白く見えるが、それと逆の理によるのである。空中の水の粒子即ち水蒸気の濃度が感受性の鋭い為プリズムの作用をして分光する訳で、之も神様が造つた一つの天然の美である。

丸くなるのは太陽でも月でもそうであるが凡て物質は円状であるのが原則である。神霊と人間霊も移動する時丸くなつて行くのである。

私の腹の中にも丸い光の玉がある、その光が御守を通じて働くのである。

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昭和二十三年十二月一日

【問】自由主義の本義に就て。

【答】自由主義といつても無軌道な自由主義ではいけない、自由主義には有限自由主義と無限自由主義とがある。無限自由とは何でも彼でも自分の自由にするといふ悪性的のものであり、有限自由は或範囲があつて、その枠を越へない事で之が本当の正しい自由主義である。

故に無限自由主義によつて破滅した人は古来その例に乏くない。

そうして自由と運命とはよく似てゐる、例えば秀吉は日本で関白になるのが運命の限度であつた。朝鮮征伐をしたのはその限度を破つた事になる。ヒトラーでも独逸だけ治めてゐればよかつた。ドイツの統治が彼の運命の限度であつた。これもその運命を突破つて滅びた。大本教の出口王仁三郎氏の如きもやはり運命を突破らうとした為に失敗したが、それがなければ今は素晴しいものになつてゐたであらう。ナポレオンの如きも「吾が辞書に不可能の文字なし」などと自惚の極大失敗した、徳川家康などはその分をよく知つてゐたから長く続いたのである。人は自分をよく見究めなくてはならない、人間は調子よくゆくと慢心する結果運命を破るのである。日本も軍ばつ時代は個人の有限自由までも圧迫した。それがアメリカの手により解放された次第である。故に真の自由主義とは、他人の自由を尊重し合ふ事である。

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昭和二十三年十二月一日

【問】潮の満干が人間の生死に関係する訳。

【答】潮の満干は月の引力によつて起るので月の引力とは月の呼吸作用である。月も一日一回づゝ呼吸する訳である。

太陽は人間の霊の本であり、人間の体の本は月である。故に胃脳肝膓腎といふやうに人体内の器能の大方は月の字が入つてゐる。たゞ心臓の心は月がない。これは太陽からの火素を吸収する器関だからである、心臓の心の字の右の点を左へおけば火となるのも面白い。

斯の如く人間の肉体は月と密接な関係があり月の霊線は肉体と繋つてゐるので、月の呼吸が人間の生死に関係するのである。

(地天創刊号  昭和二十三年十二月一日)