既存療法

茲で既存療法の重なるものに就て一通り説明する。凡有(アラユ)る既存療法が浄化作用停止である事は読者が充分諒解された事と思ふ。然し今一層徹底的に説いてみよう。私が幾多の経験上最も恐るべきは彼の六百六号(サルバルサン)の注射である。之は周知の如く駆黴療法として一時は実に救世主の如く想はれたのであるが何ぞ知らん事実は此反対である。此薬剤の原料は耳掻き一杯で人命を落すといふ程の砒素剤であるから、此毒作用によって一時的浄化停止の効果は顕著である。即ち梅毒性発疹や腫脹に対し、同剤を注射するや忽ちにして消滅するから治癒したやうに見えるのであるが、実は浄化作用によって、潜伏毒素が皮膚面に押出されたのが、注射によって還元したまでである。然しそれだけならいいが、砒毒といふ別な猛毒が追加されたのである。而もそれは黴毒よりも数倍恐るべきもので、右の砒毒は凡ゆる病原となるのである。特に最も多いのは精神病、偏盲目又は悪性腫物、種々の結核等あるが、何れも悪質にして執拗極まるものである。従而私は六百六号の注射を五六本以上受けた患者は、何病に係はらず恢復困難と見るべき事を弟子に注意してゐる位である。

次に利尿剤の逆作用も注意すべきものである。彼の腹膜炎患者の腹部膨満に対し医療は必ず利尿剤を用ふるが、一時は尿量を増し膨満は減退し、軽快又は殆んど治癒したとさへ思ふ程になるが、それは一時的であって、例外なく再び膨満する。又利尿剤を用ひると軽快する、復悪化する、又用ふるといふ訳で漸次利尿効果は薄らぎ、畢に薬効は皆無となり、頗る頑固なる腹水病となるのである。是に於て医療は腹部穿孔排水を行ふが、之等も一時的萎縮で、再び膨満する。又穿孔排水させるといふ事を繰返すに於て、漸次腹水集溜の速度と量を増し、最後に到ってはその膨満著しく臨月よりも巨大となり、間もなく死に到るのである。又睾丸水腫といふ睾丸の膨脹する病気や、排尿閉止等も利尿剤の逆効果に由る事が多いのである。

次に、各種神経痛の強烈なる痛みに対し、モヒの注射をなし一時的苦痛を免れさせるが之等も繰返す場合、食欲の減退甚だしく、進むに従って嘔吐頻繁となり、食欲不振、衰弱死に到る事も稀ではない。

次に、ヂフテリヤの注射は卓効ありとされ予防に治療に大いに推奨されてゐるが、之等も考慮の余地がある。私の経験によれば、此注射による悪影響はあまりにも多い事である。甚だしきは死を招くものさへある。又中には一週間位昏睡状態に陥って後、精神変質者となった者や胃腸障碍、神経衰弱等種々の病患の原因となり、而も何れも悪性である。故にヂフテリヤに対する効果と悪結果を考へ合す時、私は後者が勝ってゐるとみるのである。本医術によればヂフテリヤの大抵は数十分の施術によって全治するのである。

右の外最近行はれてゐる結核療法にセファランチンの注射及び服用がある。之等も悪性逆結果となり、治癒は頗る困難である。私は弟子に対し、セファランチンの多量使用者に対しては生命の保證は為さざる事を注意するのである。其他糖尿病に対するインシュリン注射が脳疾患の原因となり、又沃度剤が種々の病原又は虚弱の原因となる等も看過出来ないものがある。

次に、外科的に用ひる消毒薬として沃度ホルムがあるが、之は特に恐るべきものであって、よく手術による患部が治癒し難く長時日を要する場合がある。医家も不可解に思ふが、之は全く消毒薬中毒であるから、其場合薬剤を落し、清水を以て洗ふだけで順調に治癒に向ふのである。沃度ホルムの悪作用としては此薬が患部の筋肉から滲透し、その近接部に膿色斑点が出来、それが漸次拡充する事がある。其場合医師は腐りゆくと思ひ、手足等の切断を奨めるが、それは猛烈な堪へ難き痛苦もあるからである。

右の如く黴菌の侵入を恐れる結果用ひる消毒薬が、黴菌よりも数倍恐るべき結果を招来する訳である。それに就て例を挙げてみよう。茲に何等健康に異常なき一個の人間がある。偶々何かの予防注射を受ける。暫くして多くは足部、膝下に腫物を生ずる。医師へ行く、切開手術をする。消毒剤を用ひる。それが滲透し、中毒を起し、激痛する、如何にするも治らない。止むを得ず足首又は膝関節(シッカンセツ)から切断する、不具になる。然るに最も不幸なものは切断手術の際の消毒中毒によって、早晩股間に腫物を生ずる。之も激痛に堪へぬが場所が悪いから切断し兼ねる。そこでやむなくモヒの注射によって痛みを緩和するが結局モヒ中毒となり、食欲不振、衰弱死に到るといふのが経路である。斯くの如く何等異常なき健康人が医学の犠牲者になる事実は非常に多いのである。嗚呼、憐れなる小羊を如何にすべきや。

次に湿布である。之は皮膚による呼吸を閉止し、又は薬毒を滲透させ、その部面の浄化停止を行ふのであるから、一時的苦痛は軽減するが、その方法及び薬毒の残存が、種々の悪影響を及ぼすのである。

次に膏薬又は湿布薬であるが、之も不可である。之に就て二三の例を挙げてみよう。或中老の男子背部が凝るので、数年に渉って或有名な膏薬を貼用持続したのである。然るに其薬毒が漸次脊柱附近に溜着し、凝りの外に激しい痛みが加はったが、之は本療法によって短時日に治癒した。次に中年の男子、顔面に点々としてニキビより稍々大きい発疹が出来、十数年に渉って種々の療法を施すも治癒しないとの事である。それは最初普通のニキビを治そうとして種々の薬剤を塗布したが、それが浸潤してニキビが増大、頑固性となったもので、之は二三ヶ月にして全治した。

次に最初脚部に湿疹が出来、それへ薬剤を塗布した為、薬毒性湿疹となり、漸次蔓延しつつ終に全身にまで及んだのである。それに気の付かない医療は相変らず塗布薬を持続するので極端に悪化し、皮膚は糜爛(ビラン)し紫黒色を帯び患者はその苦痛に呻吟しつつ全く手が付けられなかったので断った。私は医学の過誤に長大息を禁じ得なかったのである。其他頭痛に鎮静剤、不眠に睡眠剤、鼻孔閉塞にコカイン等も勿論不可である。又漢方薬持続者は多く青膨(アオブク)れとなり勝ちである。洋薬多用者は皮膚に光沢なく、弾力衰へ若くして老人のやうになる。従而薬剤を廃止すれば皮膚は漸次若返へるのである。

次に、電気及び光線療法であるが、此原理も薬毒をより固結さすのであるから不可である。

次に咳嗽に対する吸入療法は見当違ひであるから無効果である。温める温熱療法も一時的軽快療法で真の療法ではない。又感冒の際温めて発汗さす事を良いとするが、之も誤りで自然放置の方がより速く治るものである。

次にラヂュム放射は病原破壊の目的であるが、之は病原と共に組織をも破壊するから行へば必ず病状は悪化するのである。レントゲン放射は毒素を非常に固めるのみで、病気に対しては一時的効果で、勿論有害である。

近来流行するものに灸点療法がある。多くは西洋医学に愛想を尽かした人か、又は嫌ひな人が受療するのであるが、之は無害で幾分の効果はある。灸療法の原理は、人体は火傷をすると大抵は化膿するがそれと同様の理である。即ち大火傷では苦痛だから、小火傷を分散的に行ふのである。それによって病原である深部毒素が、小火傷部に分散的に誘致されるから、病苦は軽減するのである。然しそれは一時的で再び還元するから、灸を据え始めたら毎月か一個月おき位に持続しなければならないといふのはその為である。之に就て弘法灸といって特別大きな灸を据えるが、之は毒素を多量に吸引するから効果は大である。弘法様はなかなか利巧である。然し困る事には灸療法は皮膚に醜痕を貽(ノコ)す事である。元来人体は造物主の最高の傑作品で、美の極致である。特に女性の如きはその皮膚美の魅力は他に比すべきものはあるまい。日本でも昔から玉の膚と謂ひ、泰西では女性の裸体を最高の美としてゐる。それに対して人為的に火傷の痕を残し、一生涯消えないといふ事は皮膚の不具者となるのであり造物主に対する冒涜の罪は免れないと思ふのである。又鍼療法は血管を傷け内出血を起させ、その凝結によって一時的浄化停止を行ふので真の療法ではないのである。

(天国の福音 昭和二十二年二月五日)