谷川氏 墨蹟では茂古林と正澄のはよい物ですね。私は茂古林と清拙正澄、無学の三人が好きです。墨蹟は全部よいですが、この三人のが好きで、手に入れたいと思ってます。
明主様 私のところに無学のは二つかあります。大燈のはどうですか。
谷川氏 大燈のはよいです。日本人では大燈でしょう。しかしやっぱり中国人のがよいですね。
明主様 無準はどうですか。
谷川氏 無準もよいです。それから大慧もよいです。この間大師会で見ましたが室町時代の表装がそのまま残っていました。今美術館で拝見した茂古林の表装がそれにちょっと似ていました。あれは中が印金で一風が古代紗になってましたが、私が大師会の茶席で見ましたのは、中が古代紗で、一風が印金になってましたが、それは実によい物でした。今日見た茂古林の表装はそれに匹敵する物でした。これは室町の表装だと思います。直したとしても元の布を使っていると思います。
明主様 古筆はどうですか。
谷川氏 古筆も好きですが、やっぱり墨蹟が好きです。古筆では継色紙が好きです。しかし有名な物でもあんまり好きにならない物があります。ただ、古筆の中でも、藤原佐理の離洛帖になると、墨蹟に匹敵するどころか墨蹟以上だと思います。それからもう一つ上に行くと、日本の詩で一番好きなのは、橘逸勢の伊都内親王御願文です。それを見るまでは弘法大師の急就章が一番好きだと思ったのですが、伊都内親王御願文を見てこれが第一番だと思いました。それから風信帖になると支那以上だと思います。しかし普通いう何々切れという物の中では、継色紙を除いてはよい墨蹟が好きです。支那の物で蘇東波です。寒食帖はどうも最近中国に行ったらしいですが、惜しい事をしたものです。これは前から中国人が狙っていた物です。博物館で買う話が出ていましたが、税金の関係で持主が出さなかったのですが、惜しいことをしました。
明主様 俊成などはどうですか。
谷川氏 よいですが、やはり時代が下がりますからね。俊成は鎌倉初期ということになりますから、何といっても古い物の方がよいですからね。俊成の息子の定家のは昔は珍重しましたが、定家の明月記という日記を切った物が沢山あるので安いのです。ただ小倉色紙は定家のでも今でも高いです。定家の子供が為家ですね。
明主様 貫之はどうですか。
谷川氏 いわゆる貫之というのはよいですね。
明主様 私は貫之の字が好きです。
谷川氏 しかし面白さからいうと、伝貫之と称せられているのは面白味が少いです。伝貫之というのは実際に貫之かどうかということですが、要するに伝貫之というものですからね。
明主様 それはそうですね。
谷川氏 そこにゆくと佐理の離洛帖は面白いです。それから道風の小島切というのは写しということになってますから、よい物ですが弱いです。ですからやはり離洛帖ですね。
明主様 私は西行の字が好きです。
谷川氏 西行はよいですね。
明主様 弘法大師の字はうまいが、ちょっとくさ味がありますね。
谷川氏 いやしかし本当の弘法大師の字はよいですよ。くさ味があるのは贋せ物ですよ。
明主様 日蓮上人のも贋せ物がありますね。
谷川氏 私はあまり見たことがないのでよく知りません。
明主様 しかし一休くらい贋せ物が多いのはありませんね。
谷川氏 これは癖がありますから、それをのみ込めば何でもないのですね。
明主様 そうして、うまい字ではないから、やりよいのでしょうね。天皇の字では誰が一番うまいですか。
谷川氏 嵯峨天皇ですね。それはうまいものです。空海と橘逸勢とで三筆といわれてますからね。
明主様 大徳寺の真朱庵には後醍醐天皇の字がありますね。
谷川氏 後醍醐天皇の字は大燈国師とよく似てますね。
明主様 御水尾天皇もうまいですね。
谷川氏 そうですね。
明主様 しかし 絵でも字でも彫刻でも平安朝のはよいですね。鎌倉とは僅かの違いで、まるっきり違いますね。
谷川氏 そうですね。
(昭和二十八年六月十日)