神秘光線の原理を説くに当って、前以て或程度の予備知識を有たなければならない事は勿論である。そうして、其予備知識を説くに当って、現代人に理解させる場合頗る困難な問題がある。それは、現代教育の根本理念が唯物科学を基礎として構成されてゐるからである。従而、此意味に於て、見える物即ち物の面のみを観て、見えざる面の存在を全然否定する事である。然し乍ら事実、物は畢竟物であって、有機的存在ではない。見よ、森羅万象一切を、生物は固より植物、鉱物、土芥の末に到るまで、総ゆる物は断えず変化して停止する所を知らないのが実相である。従而、此変化なるものは何であるかを考へなくてはならない。物即ち物質のみの存在であるとしたら、決して未来永劫変化する筈がないではないか。故に吾々は、此変化なる謎を探究し、実体を把握しなければならないのであるが、この変化の実体こそ、物質以外に存在する力、即ち不可視的或ものの活動でなくてはならない。それを私は仮に霊と名付けておく。そうして、人間が生きてゐるといふ事は生命があるからで、もし人間の肉体が物質のみであれば、巧妙なるロボットに過ぎないのである。従而、物質のみにて生命そのものがなければ、死もなく生もない筈である。故に、肉体なる物質を自由自在に駆使してゐる或物こそ生命であり、霊魂であらねばならない。故に此理を以てすれば、可視的物質よりも、不可視的存在である生命力即霊の力の方が主体であり、動的活力の根元である事を知るであらう。
以上の理によって、物よりも霊の方が主体でありとしての戦争観は、如何なるものであらうか。茲で私は今日迄の戦争の現実を観よう。それは例外なく物量の多い少いといふ事と、その国民的意志即ち精神力の強弱といふ-この二つの理由によって勝敗が決せられた事である。然るに我新兵器神秘光線は右の二者以外の力の活動であって、全く新しい前人未発の一大兵器といへるであらう。
右の理が万有に通暁してゐる以上、太陽も月球も地球も、森羅万象悉く不可視力によって動かされつつある事である。故に最初述べた物の変化とは、此不可視力による事は勿論であるが、又端的にいへば、変化とは畢竟破壊と創造との交互の運動のその過程に過ぎないともいへるのである。この意味に於て歴史とは破壊と創造の過程の連鎖の記録でしかない事にもならう。即ち戦争は破壊であり、平和は創造である。又之を凝視する時、それは創造せんが為の破壊であり、破壊せられんが為の創造ともいへよう。そうして、破壊も創造もそれぞれの因果関係による事は勿論であるが、そこに一点の誤差もないのが真相であって、只人間の凡眼に於て窺知し難いのである。 以上の如く破壊と創造が万有の通則であって、断えず毫差なく行はれつつありとすれば、その法則の実体は何であるかを説いてみよう。それは先づ破壊さるべき理由であって、其理由とはその物の主体である処の生命力の喪失である。最も近い例は人間の死であらう。然らば、生命の喪失とは一体何であるかといふ事であるが、それは其物の存在理由が失はれた場合であり、そうして今一つは、そのものが人類社会に対し甚だしい有害の存在となった場合であって、此二つの原因によると観る事が出来得よう。
そうして此理を今一層突進んでみる時、前者の無用の存在とは、例へば溌剌たる最盛期を過ぎ老廃的存在となった場合であり、後者の有害なる存在とは、自己の飽くなき欲望を遂行せんが為、大多数の生物に苦悩や害悪を与へる場合である。従而、此二者を国家に当嵌めてみる時、前者は英国の状態であり、後者は米国の現実である事は、余りにも明かである。故に、此意味に於て如何に冷静に観ると雖も、米英二国は、竟(ツイ)に破壊さるべき運命の下に置かれてゐる事は一点の疑ふ余地はないのである。然るに現実を視る時、客観的にも主観的にも必ずしも彼等が破壊の前夜にありとは到底考へられないのである。それは物の面のみを観る現代人としては洵に止むを得ないのである。
茲で私は今一層観察してみよう。
以上の如く、物質を動かす力即ち主動力は霊であるとすれば、その霊を動かす力は如何なるものであるかといふ事で、此力こそ実に神秘幽玄捕捉すべからざる如きものにして、実は此ものこそ神秘光線そのものである。故に、之は霊の霊ともいへるのであるが、霊よりも一層稀薄にして主動的なるものである。
爰で知っておかねばならない事は、力の原理であるが、現代人は眼に見ゆる物質の力を以て強力視するのであるが、実はそれは最も弱小なるものである。何となれば、物質力は有限的で、或程度を超ゆる事は不可能であると共に、破壊といふ消滅現象が起るからである。然るに、不可視的存在である霊は、勿論その霊よりも猶稀薄なる幽玄的力こそ、無限絶対力であらねばならないのである。
(昭和二十年)