大浄化って、いつ来るんでしょうね。迷いますよね。本当に迷います。「どうなっているんだ」と気をもんでしまいます。御論文を読んでいると、「あれ、書かれているとおりになっていないじゃないか」と思ってしまうんですよね。
もちろん、神様の経綸について人間ごときがあれこれ気を揉むのは、僭越至極、無礼千万なことです。それでも、「一体どうなっているんだろう」と考えてしまう。明主様御在世当時にも、専従者が「大浄化はいつ来ますか。経綸はどうなりますか」とお尋ねしたことがありました。そのとき明主様は、「人間が神様の経綸について気を揉むのは僭越なことだ。君は自分の人生が幸福なら、それでいいのではないか」とお答えになられています。このお言葉は現代人にも当てはまる部分があると思います。例えば、人類滅亡系の陰謀論を好む人というのは、そもそも自分自身が幸福を感じられていないことが多い。「それなら、いっそのこと皆一緒に滅亡してリセットしてしまえばいい」と、どこかで思ってしまうわけです。明主様は、そういう心の状態を一瞬で見抜かれたのでしょう。「いや、君はただ今の現状に不満があるだけではないか」と諭されたのだと思います。もちろん、自分にもそういう部分があることは認めます。しかし、その点はいったん脇に置いておいて、「大浄化とは何なのか」を、御論文と現実世界の状況とを照らし合わせながら、私なりに考えてみたいと思うのです。
御論文は正しくないのだろうか。あれだけ繰り返し説かれていた大浄化とは、結局何なのだろう。実は起こらないのではないか。あるいは、もう既に終わってしまったのではないか。今の世界はいったいどの段階にあるのだろう。薬毒、薬毒と言われるけれど、世の中を見渡すと案外みんな元気そうだ。何が何だか分からなくなってしまう。しかし、御論文、御教え、御講話などを丁寧に読み込み、現代社会と照らし合わせていくと、少しずつ見えてくるものがある。私は、やはり「近い」のだと思います。
戦後、日本を含む先進国は、かつてないほど物質的に豊かになりました。医療は進歩し、交通や通信は発達し、AIの登場によって知識へのアクセスも飛躍的に向上しました。明主様御在世当時から見れば、まさに夢のような社会です。ところが、その一方で幸福感はどうでしょう。経済的な豊かさにもかかわらず、自殺、うつ病、不安障害、孤独、少子化、家庭崩壊など、人間の心に関わる問題はむしろ深刻になっています。政治も同様です。民主主義は成熟したはずなのに社会は分断され、国際社会では戦争が絶えません。医療は高度化した一方で医療費は膨張し、慢性疾患を抱えながら長く生きる人が増えています。科学技術は飛躍的に発展しましたが、その成果が核兵器やサイバー攻撃、AI兵器といった新たな脅威も生み出しています。つまり、人間の能力は極限まで高まったにもかかわらず、人類全体は幸福になっていないのです。私は、この状況こそが明主様の言われた「世の大峠」に近づいている姿ではないかと思います。
多くの人は、「大浄化」と聞くと世界戦争や巨大地震のような、一度に世界を襲う破局を想像します。私自身も以前はそう考えていました。しかし、御論文を読み返してみると、「浄化」は病気だけではありません。政治、経済、自然、思想、文化など、人間社会のあらゆる領域で起こる現象として語られています。そう考えると、大浄化とは単発の出来事ではなく、文明全体が同時多発的に浄化される長い過程なのかもしれません。実際、この数十年を振り返るだけでも、世界金融危機、新型コロナウイルスのパンデミック、大規模自然災害、各地の戦争、AI革命など、社会の基盤そのものを揺るがす出来事が次々と起きています。もし昭和の時代に「世界中が同時に都市封鎖され、人々が家から出られなくなる」と言えば、多くの人は空想話だと思ったでしょう。しかし、それは現実となりました。私は、大浄化とは未来の一点に存在する出来事ではなく、すでに始まっている時代の転換なのではないかと感じています。
御教えを学んでいると、「薬毒が蓄積すれば大変なことになる」と繰り返し説かれています。しかし現代を見ると、「みんな案外元気ではないか」と思うことがあります。けれども、よく考えると、昔と今では病気の現れ方そのものが変わっています。かつては感染症などで若くして亡くなる人が多くいました。一方、現代では平均寿命は延びています。しかし、その代わりに糖尿病、高血圧、認知症、自己免疫疾患、アレルギー、うつ病など、慢性的な病気を抱えながら長期間生活する人が増えています。つまり、「死なない」のではなく、「病気を抱えたまま生きる社会」へと変化しているとも言えます。もし薬毒論を単純に寿命だけで判断するなら、現代は御教えと矛盾しているように見えるでしょう。しかし、健康の質という観点から見れば、違った景色が見えてきます。
明主様が御教えを説かれた昭和二十年代と現在では、決定的に違うことがあります。それは、人類が一つの社会になったことです。当時は、外国で起きた出来事が日本へ伝わるまで何週間、何か月もかかりました。しかし現在は違います。感染症も、金融危機も、SNSの情報も、AI技術も、一瞬で世界中へ広がります。一国の出来事が、その日のうちに世界全体へ影響を与える時代です。もし大浄化が世界規模で起こるとするならば、その条件は明主様の時代よりも、むしろ現代になって初めて整ったのではないでしょうか。
もっとも、明主様御在世当時にも「そろそろ近い」と言われていました。しかし、その「近い」という言葉には、人類救済の準備期間を考えると、本当に時間が足りない、どれほど入念に準備しても間に合うか分からない、もしかすると多くの人を救えないかもしれない――そうした切迫感が込められていたのではないでしょうか。なぜなら、大浄化を乗り越えられる身体づくりをしようと思った場合、明主様は、浄霊を抜きにしても三代かかると言われています。それも、医薬や食品添加物を徹底して避けた場合の話です。当人、子、孫と三代かかる。仮に二十年ごとに世代交代したとしても六十年。現在の晩婚化などを考えれば、三十年×三世代で九十年近くかかることになります。そう考えると、明主様御在世当時から徹底して実践してきた御家庭で、ようやく間に合うかどうかという時間スケールだったのではないでしょうか。だからこそ、「本当に間に合うのか」という強い焦りがおありだったのだと思います。明主様が御教えを本格的に広められた昭和二十年代から数えると、現在はちょうどその三代目に差しかかる時代です。もちろん、これだけで「だから今年来る」「来年来る」と言うことはできません。しかし、「時間がない」「急がなければならない」と繰り返し説かれた理由は、この三代という長い時間を考えると、現代だからこそ実感を伴って理解できるように思います。
明主様は、信徒には大浄化の際、メシヤの代理として世界の人々を御浄霊し、救う使命があると説かれています。しかし、救う側まで皆と一緒に倒れてしまっては共倒れです。それこそ阿鼻叫喚の地獄絵図になってしまう。恐ろしい話です。正直に言えば、私にも自信はありません。今は亡き高弟・小川栄太郎先生は、大きな浄化の際、陰嚢が風呂敷で包んで持ち上げなければならないほど腫れ上がり、這うように動くか寝たきりの状態だったと伝えられています。ところが、そのような状態でさえ、明主様は「あれで軽いほうだ」とおっしゃったそうです。その話を聞いた周囲の人々は、「大浄化とはそこまで過酷なものなのか」と恐怖したという逸話が残っています。
大浄化が近いというよりも、人類がその入口に立っている時代なのではないでしょうか。だからこそ、今問われているのは「いつ来るのか」を知ることではありません。来たとき、自分は人を救える状態にあるのか。明主様が本当に問いかけておられたのは、そこなのだと私は思います。