本紙一年を記念して 人類幸福の道拓けん 自観教主感懐を語る

(問)本教の機関紙『光』を発刊して一周年を迎えるに先だって新な使命のもとに改題『救世』となって意義深い一周年をこゝに迎えました。この一年間を通して『光』から『救世』への変転がありましたが、それ以上にずい分数多い感懐があったと思いますが、それに就いての明主様の御感想をまづ述べて戴きたい

(答)正しくこの一年間は苦労はしたが、自分としては生涯の歴史のページに刻みつけられるべきいく多の思い出があった。私は筆を執ることは生来の趣味でもあり、仕事の一部分ともしてきたが、しかしこの一年間ぐらい真剣に文筆と取組んできたことは稀なことだ。昔は或は趣味としての文筆を執り、詩も、歌も気楽な意味でモノした場合もあったが、この頃では趣味だなんて悠長な気持ぢゃなくてすべて神意の御命令のもと、厳粛、且緊迫した気持で筆をとらざるを得なくなった。要するに『悪』の筆法に対する『善』の筆法をもって闘はねばならなくなったことだ。

いかに世の中が変ったといえ、こんにちほど乱暴なジャーナリズムに出会したことはかつて経験はない。いや乱暴というよりもむしろ気狂いじみている。いかに商業新聞の興味本位とはいうものの、他人を傷つけたり、誹謗したりしてトクトクとしている風潮は好ましくない。本教のこの一年間はこの悪ジャーナリズムに悩まされとほしてきたが、この通り微塵(ミジン)の動揺もない。これこそ本教の正しさが、無言の立証をしているのであり、悪ジャーナリズムも正義の前にはもはや降伏を余儀なくされたのである。

そりゃ、新しいものが勢いをもつことは古いものゝ何処かへ割り込むことになるなら、既成陣営の一部から猛烈な反対や妨害が起きることは必然である。新マイに威張られては気持のよくないのは人情だ。しかし、これもホンのしばらくの間だけで、一応地歩を占めてしまえば、日本人の通有性で、もう文句を云はなくなるものだ。本教のごとく、なんらヤマしいことのない以上、もっと積極的に攻勢に出ればなんでもないのだが、そこが、私の好まざるところで、なんだ、かんだと云はれながらも、遅くとも、確実に、結局の目標に向って歩一歩、進んでゆくわけである。極端な毒舌には私も人間だから腹もたった。しかし、私憤を抑え、ただ神の命令に従ってこの一年間ほんとうに難行の忍耐をつづけてきた。こんな苦労はアプレゲール(戦後派)の軽薄なジャーナリスト輩にとうてい理解できまい

(昭和二十五年三月十一日)