驚く可き誤診と誤療

私は今日迄、幾多の患者を取扱ひつつあるに就て、実に驚くべき事を発見するのである。それは、患者の言に徴して、医師の誤診の余りにも多い事である。而も、何人と雖も絶対信頼を払ってる各医大に於る斯界の権威者達の誤診が尠くない事である。因って之から逐次発表して、当時者は固より一般世人に、警告を与え度いと思ふのである。断っておくが、私は決して医家を非難しよふとする心は、毫末も無いのであって、唯、止むに止まれない、至情からである事を、充分諒解されたい事である。故に、努めて事実から、一歩も出でないやうに、注意するつもりである。
五つは空の病気
京橋区新川町
千○ふ○子
(四十五才)
此患者は、拾年前からの発病で、一進一退の経過を経てゐる中、一年位前から悪化した為、絶対安静を守り、便所へ行く以外臥床を続けてゐたのである。患者の言によれば、○○博士と○○博士の診断によれば、左の肺尖加答児、右の肺門淋巴腺、心臓肥大症、胃下垂、脚気、小腸加答児の六つの病症であるとの事である。然るに、私が診査の結果、右六つの病気の中、小腸加答児丈は認めらるが、他の五つの疾患は全然無いのである。
唯、此患者は、長期臥床に由る甚しい衰弱で、無論、貧血と痩羸(ソウルイ)は、一見重体らしく見えるのであるが、実際の病気としては、頸部の周囲、及び其付根に膿が溜結してゐるのみで、他は、長期に渉って服んだ薬毒の為の器能全体の衰弱と、腎臓部と腹膜に些かの水膿滞溜をみたのみである。
治療の結果、四日目に床を離れ、十日位から日常の家事に励(イソ)しむやうになり、廿日位経てから、健康時と変らない迄に全治したので、本人の喜びは言葉に現はし難い程であった。周囲の者の驚きは、想像に余りある程であるそうで、知る限りの人々は只不可解と謂ふのみであるそうである。
逆になった死の宣告
芝区白金志田町
川○玲子
(七才)
此患者は、昨年九月○○医大の小児科医長、○○博士から斯う言はれたそうである。「此子は、入院はお断りする。何となれば、絶対治る見込はない。病気は、肺患であって、半ケ年以上は生命は覚束ないから其覚悟をせよ」との事であった。
診査してみると、肺は何等異常はないのであって、唯左右の耳下腺から淋巴腺へかけて相当大きい膿の溜結があり、其為に毎日九度以上発熱するのであった。私は其膿結を治療した所、漸次、解溶解熱し、一週間後に至って殆んど平熱となり、最初は顔面蒼白元気なく、歩行も困難な状態であったのが、解熱頃から、漸次頬に紅潮を呈し、体重は増し、元気は恢復して来たのである。一ケ月余にして、殆んど健康時と変らぬ迄に全治したのであるが、淋巴腺の膿結が幾分残存してゐるので、其後、月に二、三回は来るのである。
今年の四月、芽出度く小学校へ入学し、其溌刺たる健康振りは、普通の児童にも優る位である。先日も、半年以上生命は覚束ないと曰った博士の言葉へ対し、其余りに反対である事実を語りつつ、其母親は哄笑したのである。
之等の実例へ対し、当事者が調査を欲する場合、何時にても欣んで斡旋するは勿論、寧ろ患者の全治状態を参考の為審査されん事を希望して歇まないものである。(S・11・4・16)(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)

医学は退歩したか

去る五月下旬の朝日紙上に、斯ういふ事が掲載してあった。
非常時局の中堅層をなす我が壮丁の体格及び健康が近年次第に低下しつつあるので当局では深く憂慮し、二十七日午後三時から九段偕行社に陸軍側から小泉医務局長、中島二等軍医正、園田一等軍医、文部省側から岩原体育課長、大西学校衛生官、伊藤事務官が出席、対策協議する事となった。かふ云ふ陸軍、文部両当局の協議は今度初めての企てである。
我国壮丁の体格は筋骨の弱い丙種、丁種の者が大正十一年から十五年迄は千人に対し二百五十人であったのに、昭和七年度は千人に対し三百五十人に増し、翌八年は更にこの兵役免除者が四百人に増加してゐる。又壮丁の胸部疾患も明治卅二年には百人中二人だったのが、現在ではこの十倍、即ち百人中廿人に増率し、身長に比して体重の増加は著しく劣って居り、教育程度が進むにつれて体格は悪く丙種丁種が多いといふ悲しむべき状態である。この壮丁の悲況を陸軍、文部両当局の協議が如何に打開するか、各方面から注目されてゐる。
右の如き、明治卅二年から卅数年を経た今日、兵役不能者が十倍にもなったといふ事は実に驚くべきである。国家的に観て之以上の重大問題が他にあるであらふか。須らく国家全体の智嚢を搾って、其原因を検討しなければならないのである。然も一方医学は非常に進歩したといふ事になって安心して居るにも不拘、事実は反対にそれを裏切ってゐるのは如何なる原因に拠るのであるか。此趨勢を以てすれば、今後と雖も殖えるとも減少する見込はないと想へるのである。何となれば其根本原因が適確に判明されて、それに対する方策が確立されなければである。
然るに此重大事に対して、当局も世人も案外無関心で居る、唯一部の当局のみが焦慮してゐるに過ぎないとは、聖代に於る洵に不可解事であると謂っても可い。
此一事に微してみるも、現代医学衛生に於ける根本的欠陥がなければならない事である。故に此重大事を救ふの道は、此欠陥の発見で、それ以外には絶対無いと言へやふ。
然るに私は、其欠陥を発見し得たので、発見と共に全く驚歎久しふしたのである。それは一体何であるか、以下詳細に述べてみやふ。
是等激増しつつある虚弱者特に結核患者(弱体児童を含む)に対し、現代医療は何をして居るのであらふか。真に防止しつつあるのであらふかと謂ふに、実際は防止所ではなく反対にどしどし作ってゐるといふ一大奇怪事である。そうして此様な信ずべからざる程の重大事に誰もが気が付かないといふ問題である。此意味に於て、寧ろ医療なるものが無かったなら、兵役不能者は一大激減をするであらふとさへ思ふのである。否事実そうである事は火を睹るよりも瞭かである。それは医学が進歩するに随って漸増するといふ一事が遺憾なく證拠立ててゐる。千人中二百人にも兵役不能者が増加したといふ生きた事実こそ、私の右の説を裏書して余りあるのである。噫、国家の前途に対して、之より大なるものは無いであらふ。
然らば右の如き、医学の誤謬とは何であるか。それを赤裸々に述べなくてはならない。それを述べるに当って、其誤謬の根本とも言ふべき病気の本体から明かにする必要があらふ。そうして医学に於けるそれの認識が一大錯覚に陥ってるといふ事実である。それは医学に於ては、何故に病気が発生するかといふ事には未だ不明であって、医学上に於る目下のそれはあらゆる病原が黴菌であるといふ他動的原因、即ち他原説である。然し、之が抑々の誤謬である。否、全然誤謬ではないが、実は一面の解決でしかない事である。
然るに、私の研究によれば、病気の本体は実は人間自身の自然浄化作用である。即ち、自原説である。それは何か、人間が生存上、あらゆる原因に因って不断に汚濁が堆積するのであって、それが為に血液の不浄化となり、其不浄化が病原となるのである。が、それは不浄血液其ものではなくて、其不浄血液を浄化さすべき工作其ものである。故に、病気現象なるものは、浄化作用としての苦痛でしかないのである。そうして結核患者は何が故に発生するのかといへば、それは汚濁が不浄血及び膿汁となって、何人と雖も、頸部附近と肩部附近に溜積するのである。そうして、其汚濁の溜積が或程度を越ゆる時、それの解消作用が起るのであって、其、動機促進が冬の寒冷で其工作が風邪である。故に、風邪に罹るや、それ等汚濁を解溶すべく発熱が起り、膿は稀薄となるので、喀痰及び鼻汁とし排除されるので、それに依って人体は健康を保ってゆけるのである。故に風邪こそ実に、最簡便なる天与の万病離脱法である。然るに昔から、風邪は万病の因などと曰ふが、之は全く誤りであって、実は其反対の万病を免れ得る最も最善の方法であって、実に創造神が作為されたいとも巧妙なる保健法である。
にも不拘、それに盲目である医学は、風邪に罹る事を非常に恐れ、飽迄之を避けんとするのである。それが為万が一罹病した時、発熱を懼れて飽まで下げよふとするのである。其結果折角の浄化は不能となって、終に汚濁はそのまま残存し、時日の経過と共に固結して了ふのである。此汚濁固結こそ、実に結核的弱体化の抑々の原因である。
そうして、頸部及び肩部附近に溜積せる水膿固結は、解熱剤、安静療法其他によって一旦解熱し、鎮静を得ると雖も、それは一時的で真の治癒ではないから、再び自然浄化作用に因って風邪に罹るのであるが、医療は再び浄化防止を行ふので、其結果として膿の固結は漸次加重されていく訳である。斯の如き事を繰返すに於て、膿の固結は益々増加するから、当然の結果として自然浄化に因る発熱は解熱剤を以てしても容易に鎮静しない程に執拗となるのである。其必要となった発熱の為に溶解した膿が喀痰となって排泄する。其為に咳嗽が起り、それが連続的となるのである。
又、今一つの症状を見逃す事は出来ない。それは、不断に頸腺及び肩部に集溜しよふとしつつある全身の汚濁は、右の部に溜積した長時日の膿の固結に遭って其部への集溜は不可能となるので、止むを得ず其以下である胸部の上辺から、乳及び腋の下の肋骨膜に溜積固着するのである。其固着部が乳及び腋の下辺である訳は、勿論、人間が両腕を絶えず使用するといふ、其為の神経集中に由るからである。そうして此症状が胸部であるによって、医家の診断は肺結核又は肺浸潤とするのであるが、実は此際は肺には何等異状はないのである。何となれば、右は肋骨の内部症状ではなくて肋骨の外部であるからである。然し、何分発熱とラッセルとレントゲン写真に雲状を顕すに於て、肺患と誤診するのは無理もないのであるが、之は全く否である。故に、此症状は余の治療に依れば、一人の例外なく全治するに見ても、肺に異状のない事が明かであらふ。
次に、肺患悪化の原因として、特に消化不良の一事である。そうして、此原因の大部分が謬れる医療の為である事は言ふまでもない。それは、肺患と知るや、医療は絶対安静を行ふのである。此為運動不足に由る胃弱は著しいものであるのと、今一つは消化薬を服用させる事であるが、事実に於て胃を強め、食欲を増進させよふとする其目的とは反対の結果となるのである。何故なれば、一時は胃薬に由って消化は旺盛となるが、日を経るに従ひ、胃自身の活動力は漸次衰退するのである。それは薬剤が消化して呉れるから、胃は活動の必要がないから衰耗するのは当然な理である。其結果として、胃薬の効果が漸次薄弱化し、食欲不振となるから、愈々胃薬を服用させるといふ循環作用に由って、胃は終に睡眠状態となるので、それが病勢を悪化さす事は、実に致命的でさへある。現在頗る多数に上りつつあるといふ胃疾患の原因も、之で肯けるであらふ。
其他、下痢、喀血、盗汗等の原因及び療法等の誤謬も、右と大同小異であるから略する事とするが、要するに以上に依っても判明さるる如く、現代医療は驚くべき錯覚の道を歩んでゐるのである。之を一言にして言へば、人体に病気が発生するや、それを治癒しよふとするその方法が治療の妨害となる事であって、特にその妨害の最も根本ともいふべきが解熱剤と氷冷である。故に、忌憚なく言へば、人体自身の治癒工作と治癒をさせまいとする医療との闘争で、其結果としての結核増加である。
然らば、如何にすべきが最善であるかといふ事である。それは先づ風邪に罹るや、発熱を尊重して、其儘放置してをけばいいのである。そうすれば、汚濁は順調に解溶排泄さるるから根本的に頗る順調に治癒するので、勿論、再発の素因は消滅さるるきである。之は実験するに於て一点の誤りの無い事を知るのである。
此理に由ってみても、結核激増の真因は、全く解熱剤がその第一歩である事が知らるるであらう。故に、解熱剤禁止と氷冷法廃止と風邪非予防だけを行ふ事によっても、恐らく結核患者は三分の一以下に減少する事は断言して憚らないのである。実に、医学が結核患者を作りつつあるといふ、信ずべからざる程の戦慄事が、国家の保護の下に公然と行はれつつあるといふ事である。
然し乍ら、医学に於ても、一部の進歩は認め得らるるのである。それは、器械の巧緻化と療法の複雑多岐と、薬剤の多種多用になった事である。然し乍ら、根本である病原を錯覚してゐる限り、夫等は唯人々を幻惑させるに過ぎないのであって、反って夫等に没頭し、満足しつつ終に根本に遠ざかって了ふといふ危険さへある事である。それ故に、病原の確定的発見さへあれば、器械や薬剤は寧ろ不必要の存在でしかなくなるであらふ。
次に、現在医家の診断に誤謬の多い事は、実に驚くべきものがある。余が診査するに、官立の大病院に於る診断でさへ、殆んど七、八十パーセントは誤診である。之を読む人は信ずる事が出来得ないであらふが、事実は儼として動かす事が出来ないのである。それは医学に於て、唯一の診断法としてゐるレントゲン写真でさへが、決して正確ではない事である。それは、前述の肋骨及びその外部に滞溜せる膿の固結と、未固結の膿汁のそれが、雲状に顕出するのを肺の疾患と誤る事によっても明かである。尤も写真映像は平面であるからであらふが、之等も一大自覚の必要があるであらふ。又、ラッセルに於ても、肺胞の場合もあるが、右の肋骨附近の水膿による場合も多いのである。又、肺胞にラッセルがあっても、肺患でない場合も多くある事を知らねばならない。又、微熱であるが、之は殆んど肺が原因であるのは十人に一人もない位である。其殆んどは頸腺及び肩部、肋骨部、胃部、腹部、腰部等である。是等の発見に因る時、医学の診断の余りにも幼稚である事は不可解と思ふ程である。故に、現今、肺結核とされ、悲観してゐる多数の患者は、実に肺に異常のない肺患者であると言ってもいいので、其事に就て何時も笑ふのである。
余が治療しつつある肺患の治病率は、その悉くがあらゆる医療を受けても治癒しないで、拗れた難治症のみであるに不拘、治癒実績が実に八十パーセント以上を挙げつつあるのは、何が故であるかといへば、肺に異常の無い、所謂肺患者であるからである。
次に、今一つの誤療を指摘してみよふ。それは病気軽快と治癒との判別がなく、混同してゐる事である。抑々、病患とは前述の如く、それは浄化作用であるから、発熱、咳嗽、喀痰、喀血、盗汗等の種々の苦痛、それは其患者の活力が旺盛であればある程、苦痛現象が猛烈である筈である。然るに其場合、医療は苦痛緩和の為の対症療法を頻りに行ふのである。其療法とは、薬剤と獣性滋養食及び絶対安静法等である。然るに、前者は血液を溷濁させ、後者は全身的活力を衰耗させるのであるから、浄化力は薄弱化するのは当然である。其結果として熱は低下し、咳嗽も喀痰も減少するので、病症は確かに軽快し、治癒に向ふ如く見ゆるので、時により殆んど治癒されたかと思ふ事さへもある。が何ぞ知らん、之は浄化停止の為の一時的緩和であって治癒ではないから、再発か又は現状維持のまま、全治もせず悪化もしないで数年に及ぶのであって、此様な患者は頗る多い事は誰もが知る処である。之は全く自然治癒妨止のそれであるから、斯の様な経過中に於て、患者が運動をすれば直ちに浄化力が発生するから発熱する。それを医家は驚いて病気悪化と誤解し中止させるのである。近来泰西に於て業務に従事しつつ結核治病をせよといふ説が現はれたのは、此絶対安静の非に目覚めた證拠である。
以上の如き、診断の不正確と病原の錯覚と治療法の誤謬等を綜合する時、現代医学なるものは一大革命をしない限り、国家の損失と民人の不幸は測り知れないであらふ。此真相を徹底把握するに於て、誰か寒心せざるものがあらふ乎。茲に吾人は一大警鐘を鳴らして、当事者に一大自覚を促さざるを得ないのである。
表題の、「医学は退歩した乎」といふ事は、之に依て明かであると思ふのである。(S・11・6・10)(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)

誤診誤療の実例 一、

之は実際、私が手掛けた患者であったが、それは本年正月四日に、三十二才の婦人が来たのであった。其話によれば、今度の月経が例月よりも日数が多く掛ったので、心配の余り某医師に診断を乞ふた所「之は大変である。子宮外姙娠であるから、急いで手術をしなければ、生命に係はる」との事を言渡されたのであるが、念の為と、兎も角私の所へ来たのであった。私が査べた所、全然、外姙娠などの徴候はない。唯僅かに、腎臓の下部に、些かの水膿溜結があったばかりであった。それも二回の施術によって、痕方もなく治癒されたので、其夫人の喜びは一通りではない。正月早々大手術をされ、入院もし、其苦痛と費用と日数を無益に費消し、傷痕まで附けられなければならなかったのを、僅か二回で済んだのであるから、喜ぶのも無理はないのである。之等の事実を検討する時、外姙娠すべき位置より、三寸以上隔ってゐる皮下に膿結があったばかりで、専門家として誤る筈が無い訳であるに係はらず、右の様な事実があったと言ふ事は、どうしても不可解と今も思ってゐるのである。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)

誤診誤療の実例 二、

本年卅七歳になる某上流婦人が私の所へ来たのである。其婦人の曰く、肩の凝りと頭痛が持病であった所、最近、月経がいつもより日数が多かったので、某博士の診断を受けた所、「右側の卵巣が、左側のよりも三倍もの大きさに腫れてゐる。それが原因であるから、早速切開して剔出しなければならない。頭痛や肩の凝りも其為である」と言ふのである。然し、手術が嫌さに躊躇してゐる所へ、私の所を聞いて来たのである。私は入念に査べてみた所、卵巣は左右共異状なく、全然、腫れてゐる形跡はないのである。又、頭痛や肩の凝りは、卵巣とは無関係で、別箇の病気である。何となれば、卵巣部へ手を触れない内に、肩を治療した所、頭痛、肩の凝りは即座に軽快になったのを見ても瞭かである。そうして、四回の治療によって全治したので其驚きと喜びは想像に余りあるのである。右の事実によって考ふる時、異常なき卵巣を腫れてると言ひ、卵巣と関係のない肩の凝りを関係あるといふ、其誤診の甚しいのに至っては、実に驚くべきである。設し、其患者が私の所へ来なかったとしたら、健全である卵巣を剔出され、一生不具にならなければならなかったのである。私は実に慄然として膚に粟を生じたのである。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)

誤診誤療の実例 三、松田文相の死

西洋医学に於る健康診断は、未だ不完全であるといふ事を断言したいのである。 最近に於るそれは松田文相の死である。新聞紙の報道によれば、医学界の権威として帝大の古参教授として、令名の高い真鍋博士が死の三時間前に健康診断をしたといふ事である。之は軽々に看過出来ない重大問題である。三時間後に死ぬといふ事を予知出来得ない健康診断なるものは果して何の価値があるであらふ乎。健康診断を受けよふとする目的は、病気の前兆を知る事であり、病気の前兆を知らふとする事は、万一の事態を免れんとする意図である事は言ふ迄もない。
然るに、其最後の目的である死そのものが、三時間前に予知出来得ないとしたら、それは、健康診断などをしないのと同じ結果である。之によってみれば西洋医学は、もっともっと進歩しない限り、其健康診断は未だ信頼するに足りないと言ふ事が出来る。
又之等の問題に対して、当局も世人も余りに冷淡ではなからふ乎。他方面に於る割合小さい問題にも必要以上に神経を尖らす現在の社会が、事医学上に関する一切は、不思議な程寛大であるのは、どうした事であらふか。此余りの寛大さに蔽はれての為かは知らないが、赦すべからざる程の誤診誤療が頗る多いといふ事である事は想像され得るのである。帝大の権威でさえが、今回の如き不明である以上、一般医師の診断の如何なる程度であるかは予想し得るであらう。然し之は、医師を責むるのは当らないかも知れない。実は、罪は西洋医学にあるので、それは世人が想像する程に進歩してゐないと見るのが本当ではなからふか。要するに、西洋医学過信の罪が種々の形となって現はれ、それをどうする事も出来ないのが現在である。
注射の誤りや手術の誤りに因る急死、其他の確かに医師の過失と認むべき事実に対し、死者の家族の憤慨談や又、訴訟事件等の新聞記事をよく見るのであるが、此場合、何故か、医師の方が有利な結果となるやうで、其為かどうか知らないが、大抵は泣寝入りとなる場合が多いやうである。尤も医療に干渉し過ぎる事は、医師の治療に於る支障ともなるのであるから、一概には言はれないが、何事も程度があり、程度を越えれば、弊害を醸すのは当然である。併も事は人命に関するといふ重大事に於てをやである。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)

誤診誤療の実例 医術で不具になった話

之は某看護婦の話である。七歳の女児、右頬に腫物が出来たので、入院して手術をしたのである。然るに、手術時期が早期の為、眼瞼下に、又別に腫物が出来たので、早速それをも手術した処、結果不良で悪化し、終に最初の箇所と次の箇所と連絡して了ったのである。其上手術によって、自然排除を防止された膿は、眼からも、鼻孔からも、絶えず溢出するといふ苦痛をさへ、加重せられたのである。そうして、漸く数ケ月にして、治癒された結果はどうであったらふ。大きな引吊りの為に、俗に謂ふ「ベッカンコウ」の様な醜くさの顔になって了ったのである。それが為に、其母親が歎いて医師に訴えた処、医師は「いづれ整形外科へ行って、治して貰ったらいいだらふ」との事であった。
之に就て批判を加えればこうである。其腫物の原因としては、自然浄化によって、膿が頬から排除されやふとして腫物が出来たのであるから、何等の治療を加へず、其儘放置してをけば良かったのである。そうすれば、腫れる丈腫れて小さい穴があいて、そこから膿が全部排泄され、完全に治癒されて、痕跡も留めないやうになるのであって、其期間も長くて一ケ月位で済むのである。それに何ぞや、多額の費用と日数と、より痛苦を与へて終に生れもつかぬ不具者たらしむるといふ医学は実に恐るべきものである。
誤れる医術の弊害を、世人に知らしむる事が、刻下何よりの急務である事を痛感するのである。(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)