宗教の治病統計を作れ

宗教が、特に新興宗教が病気治しを本位として、信者を獲得してゐる事は誰も知る通りであるが、之へ対し既成宗教側や、其他の方面で、それがインチキであるといふのである。然し乍ら、事実、病気が治り、それが医学よりも優れてゐるとすれば、インチキ所ではない。大いに推賞して、社会の役に立たせなければならないのであって、もし、新興宗教の言ふ如き治病の効果があるならば、インチキ所ではない。実に人類の為に素晴しい貢献であって、非難する方がインチキであらふ事である。そうして、寧ろ政府が進んで之を奨励すべきである。唯然し、それが、或種の病気に限られるか、又は、其言ふ事が事実より誇大なる点があれば、其点がインチキである。 故に、それをはっきりさせる事が、新興宗教としては緊要事であると思ふのである。

然らば、それは、どうすれば可いかといふに、私は統計をとるより外に方法はないと思ふのである。先づ無論、能ふ限りの正確を期し、其宗教の治病率と信者の罹病率の統計をとる事である。特に治病率の方は、患者が現在迄の病気治療の経過と、及び其宗教に由る全治の経過及び予後の状態、それ等を詳細に記述し、其統計を天下に示すべきである。そして果して其効果が医学以上に認むべきものがあるとしたなら、之は政府が新しい医術として奨励し、普く社会へ応用する必要が起るであらふ。

唯、それ等の事をしないで、漫然とインチキである、否インチキでないと相争ってをった所で、果しがない事であるし、又新興宗教としても、何時迄もインチキ視せられてゐる事は、発展の上にも障害になるであらふ。そうして右の如く、統計を示す事が不可能とすれば、それは確かにインチキであると決められても、返す言辞は無いであらふ。

然し乍ら、西洋医学にも多分にインチキ性のある事は認めざるを得ないのである。否、インチキといふより錯覚であるかも知れない。未だ不完全なる療法を完全として応用する誤謬かも知れない。而も、それ等は、最高権威である大学あたりの診断や治療にも驚くべき錯誤のあるといふ事実を常に吾々は見せ付けられてゐるのである。従而、之等両方面共、最も公平に厳重なる検討をして、其誤れる点を発見匡正する事が、今日の急務である事を言ひ度いのである。

(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)