眼病で共通すること

元来人間は上部即ち頭部、頸部、肩部附近に滞溜する毒素は主に後部でありますが、絶えず鼻耳口などから排泄されよふとしてゐる。それは後方には穴がないから、孔のある前の方へ流動するのであります。それの表れとして、眼を使ふ時は眼へ毒素が集溜され眼病になるのでありますが、実は其際の眼は、毒素排泄の役目を遂行せんと一時自分の家へ集溜さした様なものでありますから、時日の経過によって目脂等で排泄され浄化されるのであります。このように凡ての眼病は、頭脳に集溜した毒素が、出口を求めて眼球から排泄されやうとし、一旦眼球に集中し、再び溶けて膿、目脂、涙等となって出るのであるから、放任しておけば長くはかかるが、必ず治るものである。然し、其事が判らないと、患者に対し極力眼を使はせない様にしますが、本当に治す意味から言ふと眼を使ってもよい。何故なれば、そうすれば排泄すべき毒素をより速く眼に集溜させるからであります。出来る丈毒素を寄せて排泄さした方がよいのであります。

眼病も甚だ多いものであるが、大抵の眼病は放っておいても治るものを、薬を入れるから治らなくなるのである。というのは眼の薬程毒素を固めるものはないからで、盲目なども殆んどそうであって、一生涯不治とされるのも薬の為で、全く恐るべきものである。特に盲目であるが、此原因は最初眼球の裏面に血膿が集溜したのが底翳であり、外側のそれが白内障又は角膜炎であるが、之も自然に委せれば僅かづつ眼脂や涙が出て治るのである。又目星は眼に出来た小さな出来物と思えばいいし、流行眼で目が赤くなるのは浄化による毒素排泄の為である。又小児などで目が開けられない程腫れ、膿汁が旺んに出るのは非常に結構で、放っておいて出るだけ出て了えば治るのである。処がその際冷したり、温めたりするのは最も悪く、その為長引いたり悪くなったりするのである。

茲で特に注意したい事は点眼薬である。之こそ固める力が強く、吾々の経験上発病後直ちに浄霊すれば簡単に治るが、一滴でも点眼薬を入れたらズット治り難くなるのでよく分る。又硼酸で目を洗ふが、之も悪いので、硼酸の薬毒で其時は少しいいが、度々行ってゐると中毒となって目がハッキリしなくなり、クシャクシャするやうになるのである。考えてもみるがいい、瞼の裏の粘膜といふ柔い布と、涙といふ上等な液で自然に洗はれるのであるから理想的である。それに何ぞや愚な人間は余計な手数をかけて悪くするのであるから、常識で考へても分る筈である。それから悲しくもないのに涙が出る人があるが、之は点眼薬中毒であるから、顧りみればアノ時の点眼薬だなとすぐ分る。

眼病は割合多くて治り難いのでありますが、眼そのものの病気としては治り難い事はない。然し誤れる療法の為に助かる眼も駄目になって了ふ場合がよくあるのであります。

眼を診査するには、最初前額からこめかみ辺へ掌を触れ、熱ければ毒素があるので、其他眉の辺上瞼等を押し痛む人は眼球に毒素が溜ってゐる證拠ですから、浄霊は眼を中心に頭部、顔面、後頭部等を浄血すればよいのであります。頬の方の耳の際を押して痛む人は、顔面神経に故障があります。また、眼を開けてゐるので苦痛なので、自然眼を塞ぐ人があります。之は額の辺に水膿が溜結してゐるから、之が為重くなるのであります。バセドー氏病で眼が飛出る事がありますが、之は後の方でお話致します。

涙に毒素がある為に瞼の裏が荒れる。其毒素の弱いのが濾胞性結膜炎の原因で、酷いのがトラホームと思へばいいのであります。何故涙に毒素があるかといふと、元来、涙は眼を保護するもの、或は眼を清潔に洗ふ為のもので、水分即ち一種の漿液であって、眼へ出る前一旦涙嚢に溜るので、其場合其人に毒素が多い為、漿液として通過する際それが混入するのですから、浄霊で眼と其辺一帯と、後頭部及び後頸部を浄化すれば涙が無毒になるから治るのであります。

興味深いことに、毒素が眼へ集溜した場合白眼の方は紅くなり、黒眼の方は白くなるのであります。角膜炎とか結膜炎、糜爛性結膜炎、白内障、底翳等でありますが、吾々の方では眼病の種類は問題ではない。何となれば治療法が同一だからであります。特に、眼病の治療日数は、最初に於て言明する事は不可能でありますから、先づ一週間位治療し、其効果によって判断すべきであります。

眼鏡は、出来る丈かけさせない方が好いので、之は胃病の場合の胃の薬と同じ事で、眼鏡の力を借りるから眼の力は退化するのであります。次に、眼の養生法をお話致しませう。それは寝てゐて本を読むのは極悪い。以前、眼の悪い患者を治療してゐた時、なかなか治らぬので、ふと気が附いて、寝てゐて本を読むのではないかと訊くと“そうだ”と言ふので、そこでよく説いて、それをやめさせてから良くなった事があります。元来人間は、横になれば眠る事に決ってゐる、横になって本を読むのは天理に外れてる。本を読むのは起きて机にでも向ふのが本当であります。ですから眼の悪い人には、それを訊いてみる必要があります。又、電車の中で読むのは、見てゐる物が動くので極わるい。夜電車内で電燈の薄暗い光で読むのは殊に悪い。私は先に大森から東京へ通ってゐた事がありますが、退屈するので新聞など読んだが、ドシドシ視力が衰へるのでそれに気が付き止めた事があります。

眼は洗ふといふ事がありますが、之も感心出来ない。それは涙程結構なものはない。硼酸(ホウサン)などで洗ふと一時良いやうですけれど、眼に薬を入れるから薬が沁みる。其薬が時日の経過によって毒素になるからで、長く眼を患ひ、いつも眼がクシャクシャしてゐる人は薬の中毒が多いのであります。

鍛治屋などで、よく火華が飛んで眼が悪くなりますが、之も時が経てば必ず自然に治癒されるものですから、放ってをいてよいのであります。

次に、婦人に於ては、産後七十五日は決して眼を使ってはなりません。産後悪くしたのは一生涯治らない。ですから産後丈は充分眼を大事にしなくてはならないのであります。又、薬の中毒で悪くなる事もあります。以前六百六号の注射をした為に全然失明した人もありましたが、之は薬が原因ですから仲々治らない。少しは良くなるがとても治らないから、之は二、三年経ってから来なさいと言ってやりました。二、三年経つと薬剤は膿になるから、膿になってから溶し易いのであります。

〔浄霊箇所〕
眼と其辺一帯を中心に頭部、顔面、後頭部、後頸部、延髄附近、肩、肩胛骨と脊柱の間、腎臓

三月程前に、眼科医で眼病となり、二ケ月半程凡有る最新の治療をしても治らなかったのが、私の所へ来て一週間ですっかり治った人があります。其時の記録を御本人が書いて呉れましたから、それを読んでみます。

(原文のまま)
『私は明治廿六年以来四拾年以上眼科専門医として開業医生活を続け今日に及んだ者です。故に実地医家として専門治療には相当に自信あるつもりです。 然るに本年三月十三日入浴の際不幸、石鹸かぶれの為、翌十四日より左右眼瞼内外眥部に僅かの糜爛を起し聊か痛みを感ぜしも敢て意とせず毎日業務に従事せり。然るに数日の後には病勢急に増進、上下眼瞼全部に湿疹を起し、眼瞼縁炎と共に日夜殊に夜間の掻痒甚しく、毎夜安眠する能はず実に閉口致しました。申す迄もなく自分の専門的治療故いろいろの薬品を使用し、其他静脈注射やら太陽燈やら種々に手当致すも更に無効否薬液乱用の結果か病勢益々悪化するばかりです。

勿論三月末より休業、某大病院に某博士の診察も受け、其指示に依って治療もし、又四月中旬には某医の特別注射療法も受けたるも、病勢少しく軽快するかと思へば両三日後には又忽ち逆転するのみならず、余りに攻め付けたる為-遂に病は眼球結膜及び角膜に炎症を及ぼし、四月末には視力○・一即ち十分の一といふ心細き有様となりました。それまでの実験上、最初良薬と思ひしものが数日の後には何れも反って有害となり、又皮膚も結膜も非常に敏感となり、如何なる薬も刺戟甚しく耐ゆる事能はず、と申して薬を用ひねば一種言ふ能はざる痛むが如き乾燥感に堪え難く、拠なく日夜何回となく無数に唯麻酔薬の点眼を続くるの止むなきに至りました。

五月初めに至り、未だ嘗て実験せし事なき病状の変態に或は他に何か障りにてもなきかと六日-某祈祷者を訪ひ伺を立てし処、昨年夏本命に当る地所を修築せし方災の為とて其方災除けの御祈祷を受け、七日間にて治すると言はれ毎日通ふ内、幸に痛感去り眼瞼皮膚の病状大いに軽快夜間安眠を得るに至り、視力も一旦○・五に恢復し大いに感謝しつつありしが、二、三日にして又○・三に減じ、猶祈祷を続くる事二週三週、終に意を決して恥しさを忍んで五月三十一日半蔵門に岡田仁斎先生の治療を受くるの止むなきに至る。

然るに翌六月一日になって諸症状大いに軽快視力○・七に恢復、二日には○・九、六日に全視力を得るに至る。其恢復の速き事実に驚くの外なし。而も毎日業務に従事しつつ猶且つ斯の如し。六月十一日、治療を受くる事僅かに八日にして二ケ月半余も悩みし頑固なる悪質も忽ち全快するに至る。実に有難く嬉しく感謝しつつ恥しき実験談を皆様に御報知致す次第であります。』

此記録にある通り、一週間で眼はすっかり治りましたが、最後に瞼の糜爛丈が残りました。私は之は薬の中毒だと言ふと、其人も「自分もそう思ってゐる」と言ひましたが、要するに薬の中毒だけが残ったのであります。眼は後の方をよく治療するのです。眼の悪い人に限り、眼の裏の方が非常に凝ってゐるもので此辺をよく浄化するのであります。

(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)
(文明の創造 昭和二十七年)