都市構造

光明世界になった時の都市構造は左の図解の様になる。
光明世界になった時の風俗、都市、農村及刑罰の点をお話する。

都市は住宅地、商業地、工業地等と分類され、学校でも大学なぞは中央に近い所に建築される。此の時代になると光の発明が出来てくる。是は電気の様な燈火の事である。光そのものゝ本体は未だ不明であるが、観音力によりて発明される様になるのである。此の燈火は神様からお知らせの事で間違いのない事だが、一町村に一ケ所、アーク燈の様なものを建てれば、普通は外に灯火は要らん事になるのであるが、一軒の家に一つ位つける様になるだろうが、是は余り必要を感じないのである。

街路も噪音が無くなる。今の舗装工事をするのであるから極く静かになる。自動車を走らすのにガソリン等使用せず、鉱石で動かすのである。従って臭気もなくなる。

街路には木や草を沢山植える。今も各地で行っているが、まだまだ違ふのである。果物の木を並木に植えるのである。林檎、柿、無花果、柘榴(ザクロ)等である。人道は葡萄の棚になる。草花も人道と車道の間に作るから、迚も奇麗だ。是等は余り永い事ではなく近い将来に出来る。

交通機関も非常に発達し、富士山とか日本アルプスにも電車位のものが出来て楽に登れる様になる。此の電車も今よりもっと奇麗である。旅行も大層盛んになる。労働者でも月に一度位旅行が出来るが、その費用は富豪が出す様になるのである。富豪も今の様に我利々々亡者ではなく、下層階級を喜ばす様になるのだ。

汽車も現在の様なのではなくもっともっと高級な善美を尽したものになる。

一町村毎に劇場が出来て、芝居等観せるが、今の様に残虐性の物はなくなり、笑いながら観る様な喜劇、舞踊の類の明るい感じのものになる。

現在のは切ったり張ったりして、余り残虐性が強過ぎて非常に悪いと思う。是によって何程か悪いことを教える様な結果となるから、此の様なものは止めて明るいものになるのである。

皇居は非常に壮麗な善美を尽したものに成るのである。現在の様に日本ばかりの天皇ではなく、我天皇は世界の天皇陛下とお成りになるのであるから、それ相応の立派な御所が建築されるのは当然な事である。

食物は大変美味しいものを喰う様になる。今のバラモン的な不味い物を我慢して食べているのとは違うのである。衣服類も日本人は絹を着るのである。日本に絹が取れるのは、日本人に着よと神様がなされた事で、今の様に日本で取れる日本の絹を米国に売り綿を日本に買入れる様では間違っているのである。

又非常に華美な服装となる。昔元禄時代に派手な衣服であったが、又其時になると派手な立派な衣服が着られ、履物も靴になるのである。今のは革で出来ているが、革でなく外の物で出来る靴が発明される。家屋の構造も泥棒が亡くなるから締りは要らんから明るくなり、光線が射し込む。

又大風、大地震、大雨が無くなるから、窓を大きくして危険なく、明るくなって良い芸術の発達により娯楽がたくさんとなる。上流になると文芸や美術がもっと立派となり、音楽や舞踊もテレビジョンが完成してくるから見る事が出来る。

交通発達の結果避暑等する人も日本内地だけでなく、普通の人が印度あたりに別荘を作って行くようになるのである。世界一周の団体旅行等年一回は労働者でも行ける様になる。

スポーツ競馬等も青年が競争心を紛らす為に盛んになる。相撲武術等も戦争がないのに拘らず非常に盛んになる。此の為にオリンピック等の様な国際的のものが非常に盛んになり、我観音会でもいろいろなチームが出るが、観音力により最強チームとなり、世界記録等も観音会が一番沢山持つ様になる。

刑罰は今の様な刑務所に打込むのではなくて、下級工場にて一番嫌な人の嫌がる仕事を一番骨の折れる仕事をやらせるのが刑罰である。これは善い事をする人ばかりで悪い事をやる人が少ないからである。

世界全般が天国化する為、少しも心配なく出来るのである。悪人が無くなるからである。今の人達は此の世界を天国化する事は難しい様に思う人が多いが、むづかしいことは無い、必ず立派に出来るのである。これは人間がやるのでなく、神様がおやりになるのであるから、人間の浅い考えでは迚も想像だも出来ぬのである。造られた人間の考えと造り主の強力の相違である。

(昭和十年九月五日)

観音運動の概略

病気をなくする事、百人以上の収容力を持つ病院を造る事になるが、是が東京へ十ケ所、全国へ百ケ所造るのである。西洋医学も光を顕微鏡で見る事が出来る程の進歩を来すのである。病院というのは名が悪いから観音会では療院というのである。 観音会は、病院では病人が入る意味になるのみで、治療する力の言霊が無いからである。世界中へ其の内にどんどん日本医術の療院を作る事になる。

学校も出来る。小、中、大学と三年制度として九年を以って大学迄卒業する事になるのであります。此の学校では人格教育を主にやるのである。外国語等の必要を感じない時であるから、非常に短時間を以って立派な教育が出来るのである。

スポーツを盛んにやり、野球のチームも作り、又オリンピックにも出場する様に選手も造るが、皆観音力でやるから必ず勝つのである。

芸術の学校も作り、世界のあらゆる芸術を取入れて、昼の大芸術を造り出すのである。

今のは夜の芸術であるが、今度のは心の躍進する様な芸術を造り出し是を表す機関として大劇場を造り、大いに人々を楽しませるのである。今迄の宗教は芸術は罪悪であるとまで言われたのであるが、決してそんな事はない。要するに夜の芸術暗の芸術であったからである。産業も非常に進歩してくる。

鉱業もやる。特に鉱山で非常に金が沢山出る様になるから、どんどん掘り出して使うのであるが、此の金は山から出した綺麗な、人の嫌な想念のかゝった金ではなく、純な金であるから、立派な殿堂を建築しても今迄の殿堂の様に火事等出ないで、金銀を使用して立派なものがどんどん造られるのだ。

発明の奨励もやる。人間の智慧で考えるのと違って早く考えられ立派な発明品がどんどん出来る。

新聞事業もやる。新聞は一般国民が読む教科書で、この新聞経営をやるに就いては第一新聞記者を教育するのが一番必要である。今の家作等新聞記者とか弁護士とかが一番家賃を払わないとの事で実に驚いたのである。

人を教化する人が心が間違っていては何にもならん。そんな人々を教育するのは反って大変だから、それより当方に於て新しく記者を養成して新しく新聞を発行して日本人を教化し、延(ヒ)いては世界に宣伝して昼間の宗教を世界に知らせるのである。

それには観音様を祭らせれば一番良いのである。一軒でも余計に祭らせれば光明世界が造られるのである。光を配る事により、太陽の光が全世界を照した事となるのである。時期はきているからいよいよ加速度的に進展する事となる。

(昭和十年九月五日)