善悪発生とキリスト教

此標題の意味を説くに当って、予め知っておかねばならない事は、再三言ってゐる如く、仏教の真髄は霊が主であり、キリスト教のそれは体が主である事である。とすれば今之を仮に善と悪とに別けてみると、霊は善に属し体は悪に属するといってもいいが、併し此場合の善悪は決定的のものではなく、只強いて別けるとすればそうなるのである。換言すれば霊を主とすれば霊主体従となり、体を主とすれば体主霊従となるからである。今それらに就て順次解説してみるが、善と悪とに就て、徹底的解釈をするとなると、之は仲々難しい問題であって、今日迄此問題を真に説き得た者は、殆んどないといってもいい位である。何となれば此事は大宇宙の主宰者である主の神の権限に属するからで、即ち哲学的に言えば宇宙意志である。従って主の神以外の凡ゆる神でも分り得ないのは当然で、況んや人間に於てをやである。若し此問題を説く人があるとすれば、それは人智から生れた想像の範囲内であって、それ以外一歩も出ないのである。処がそれを私は茲に解説しやうとするのであるから仲々大変ではあるが、といって私の想像的所産ではなく、神示によるものであるから別段難くはないのである。といふのは時期来って地上天国建設の大任を負はされた私としては、或程度主神の真意が感得されるからで、読者は此点よく心に止めて読んで貰ひたいのである。

そうして今茲に説明する処の理論は、私が常に説く処の大乗よりも、一層大乗ともいふべきもので、勿論前人未踏の説であって、文字や言葉での表現は寔に困難である。従って兎も角現代人の頭脳で解し得る程度と共に、神から許されたる枠内だけの事を説くのである。抑々、主神の御目的なるものは、之も私が常に曰う如く、真善美完き理想世界を造るにあるのであるから、其御目的に必要な程度にまで物質文化を進歩発達させればいいのであって、それが今日迄の世界の歴史であると思へばいい。其意味を以て現在の文化形態を審さに検討する時、最早時期の来てゐる事に気付くであろう。以上の如く、物質文化が此程度に迄進歩発達したに就ての、古代からの過程を凝視する時、其処に何を見出すであらう。といっても人間の頭脳での発見は困難であるが、私は今それを解説しやうと思うのである。それは世界の一切は神意による経綸である事を充分知らせたいからである。

そこで先づ人類の最大苦悩である処の善と悪との摩擦即ち闘争であるが、此闘争なるものの原因は、言う迄もなく悪であるから愛の権化ともいふべき神は、何故悪を造られたかといふ事である。此事は昔から何人も知らうとして知り得なかった謎であったが、それを今私は解こうとするのである。それに就ては先づ心を潜めて歴史とそうして文化の進歩の跡を顧り視る事である。としたら其処に何を発見するであらうか。処がそれは意外にも人類の闘争によって、如何に文化の進歩を促進したかといふ事である。若しも人類が最初から闘争を好まず、平和を愛してゐたとしたら、物質文化が仮令生れたとしても、其発達は遅々たるもので、到底今日見るが如き目覚しい発達は遂げ得られなかったに違ひない。此事をよく考へてみたら、悪なるものが如何に必要であったかが分るであらう。

処で茲に問題がある。それは此善悪の摩擦が文化の進歩に必要であったとしても、悪は無限に許されたものではない。いつかは停止される運命が来るに決ってゐる事であって、今日其時が来たのである。何となれば現在の文化形態をみればよく肯ける。即ち戦争主段としての驚くべき武器の進歩である。言う迄もなく彼の原子破壊の発見であって、此発見こそ人類の破局的運命を示唆してゐるもので、最早戦争不可能の時期の来た事の表はれでなくて何であらう。之によってみても闘争の根本である悪なるものの終焉は、最早寸前に迫ってゐる事に気付かなければならない。勿論常に私の唱へる昼夜の転換の如実の現はれでもある。之を歴史的に見てもよく分る、若し悪を無制限に許されたとしたら、社会はどうなったであらう。人間は安心して業務に従事し、平和な生活を営む事は出来ないで、遂には魔の世界となって了ひ、一切は崩壊するに決まってゐる。としたら或時期迄の統制も調節も必要となるので、其役目として生れたものが宗教であり、その主役を荷った者が彼のキリストである。同教の教義の根本が人類愛であるのもよくそれを物語ってゐる。それによって兎も角白色民族の社会が、魔の世界とならずに、今日見る如き素晴しい発展を遂げたのも、全くキリスト的愛の賜でなくて何であらう。以上によってキリスト教発生の根本義が分ったであらう。

そうして今一つ忘れてならない事は、無神論と有神論である。之も実をいえば経綸上の深い意味のある事であって、それは若しも人類が最初から有神論のみであったとしたら、悪は発生せず闘争も起らないから、それに満足し立派な平和郷となり、よしんば唯物科学が生れたとしても、発展性はないから、到底地上天国の要素たる文化的準備は出来なかったに違ひない。処が無神的思想が蔓った結果、形のみを主とする以上、今日見るが如き、絢爛たる物質文化が完成したのであるから、全く深遠微妙なる神の意図でなくて何であらう。然し表面だけしか見えない唯物主義者などは、それらの真意を汲みとる事は出来まいが、右の如く愈々悪の発生源である無神論は、最早有害無用の存在となったのである。としたら世の多くの無神論者よ、一日も早く覚醒されるべきで、若し相変らず今迄通りの謬論を棄て切れないとすれば、気の毒乍ら滅亡の運命は、君等を待ち構へてゐるのである。何となれば善悪切替への時機は決定的に接近しており、其場合神業の妨害者は絶対的力によって生存を拒否されるからである。そうして神は無神論者を救う手段として採られたのが、神の実在を認識させる事であって、其方法こそ本教浄霊である。見よ本教に救ひを求めに来る数多の重難病患者等が忽ち全快の恩恵に浴して、此世に神は確かに存在する事を知って、飜然と目醒め、今迄の無神論の誤りを悔ひ、忽ちにして有神論に転向するのは、百人が百人皆そうである。何よりも此実例は、お蔭話として数へ切れない程本教刊行の新聞雑誌に掲載されてあるにみて一点の疑ひを差挿み得ないであらう。

以上の如く今日迄は、悪なるものも大いに必要であった事と、今日以後は二義的存在として、制約される事が分ったであらうが、之に就て別の例を挙げてみようと思う。それは原始時代に於ける彼のマンモスや恐竜の如き巨大動物である。それは今世界の各地に時折発見される骨であるが、之によってみても実在したものであったに違ひない。其他にも大蜥蝪やそれに類した奇怪な動物が、旺んに横行してゐた事は想像に難からないが、今は影も見へないといふ事は、全く自然淘汰による為であらう。其理由は不必要となったからであるのは言う迄もない。必要といふのは何しろ地球が形成され、相当期間地殻が脆弱であったが為、それを踏み固めしむるべく多くの巨大動物を作り、其役に当らせたのであって、大方固まったので淘汰された事と、自然硬化作用と相俟って、漸く立派な土壌となったので、神は植物の種子を造り蒔いた処、漸次植物は地上に繁茂し、生物の生活条件が完備したので、茲に人間初め凡有る生物を造られたのである。併し乍ら最初の内は至る処、猛獣毒蛇等々が棲息し人間を悩ました事であらう。そこで其時の原始人は、之等動物との戦闘こそ生活の大部分であったであらう。之等動物の幾種かは時々発見される骨や、其他部分品等によっても大体は想像がつくのである。勿論之等大部分の動物も自然淘汰されたものであらう。それらに就て想はれる事は、日本に於てさへ彼の日本武尊が、其毒気に中てられ生命を失ったといふ説にみても、それ程獰猛な奴が到る処に棲んでおり、人畜に被害を与へたに違ひあるまい。処が其様な有害無益の生物も、歳を経るに従ひ消滅又は減少しつつあるのである。従而、最早今日では人畜に危険を及ぼすやうな動物も、種類によっては殆んど死滅したものも尠くないやうである。此様な訳で遂には動物といへば、家畜動物のみとならう事も想像されるのである。

以上説いた如く、文化の進むに従って、必要であったものも不必要となり自然淘汰されるとしたら、最後に至って人間と雖も自然の法則から免れる事は出来ないのは勿論である。としたら人間に対するそれは何かといふと、勿論人間に内在する悪である。曩に述べた如く今後の時代は、悪は有害無益の存在となる以上、悪人は淘汰されて了ふのは当然な帰結である。之を一言にしていへば、進化の道程として動物と同様の人類が進化し、半人半獣であった人間が、即ち外表は人間、内容は獣であった、其獣性を除去して全人間にするのが今や来らんとする神意の発動であって、それに服従出来ない者が、自然淘汰によって滅亡の運命となるのである。

以上の如く善悪の人間が清算され、善の人間が大多数となった世界こそ、本教で謂ふ処の地上天国の実相である。右によっても分る如く、滅亡の一歩手前に迄来てゐる悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくする其救ひこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である。

(文明の創造 昭和二十七年)

………………………………………………………………

基督(キリスト)教と善悪【未定稿】
(※以下アーカイブ管理人が文意を検討しながら修正してます:原文はこちら)

それから私はすべてを覚えているわけではないのだが、ここに一番重要な問題であるキリスト教の発生理由を説いてみる。それは先ず霊界が以前の昼から夜の世界に転換する時に、兇党界の親玉である夜叉龍神(これは善言讃詞に出てくる)が世界を掌握する計画を立て、その下で私の兄であった国武彦尊に憑依(ひょうい)したのである。此れまでの夜の世界の天地経綸はこの時から発生したのだが、既存の世界的な常識というものは何時もプロパガンダ(煽動:せんどう)の邪神が大衆を洗脳させてつくりあげたものであるから、以下の内容も一見思いもしないものであるが頭を新しくして読まれたいのである。

夜叉は片目の悪魔で闇そのものであるが、先頃の昼間の世界が終るに連れて世界を掌握する為には、先ずその時の人間が知っていた霊的知識(魂の不滅、霊界の存在、輪廻転生など)を抹殺させる必要があったのである。そうして、夜叉は先頃の昼間の世界で唯一な宗教であったもの、今日いう処の異教徒となるディオニュソスの流れをくむキリスト教の福音書(ガスペル)をこの地上から消し去ることをはじめたのである。その計画の主導者はエウセビオスとローマ皇帝コンスタンティヌスの家来であったので、キリスト教異端に対する遠征十字軍の最初期のものはその為に創設されたのである。そうしたなかで、エウセビオスの息子に生まれたのが即ち、邪神の頭目が憑依した国武彦尊である。又夜叉は人間の霊魂を曇らせる目的で、罪を象徴する死刑場の断頭台を礼拝させるための巧妙な計略を立てた。そうして国武彦尊はローマ総督ビーラドと共に、断頭台を立てかけ十字架としてこれを礼拝するように仕向けたのである。そうすれば罪を崇拝させ得るからであったのである。

そうした後、夜叉はディオニュソスの流れをくむキリスト教の福音書(ガスペル)を大部分抹殺したが、わずかに残った福音書(ガスペル)をもってして、その内容に十字架とイエスを含ませ、自由に変えたので、悪魔が書いた百パーセント善いバイブルというのを作ったのであった。したがって夜叉の目的は罪の象徴である十字架を崇拝させ、偽善のバイブルによって悪魔と霊線が繋がれるように仕向ける最上級の詐欺をはじめたのである。そうして右の如く想像も付かない程に邪悪な夜叉の経綸であって、世界人類の霊魂を曇らせる目的に生まれたのが、今一番多くの人類に仰がれているキリスト教の実体であるから、寂しいけど、夜の世界であったから、止むを得なかったのである。

然し問題はそれで終るのではない、医学の進歩に相まって夜叉は人工授精(幹細胞)を開発した。その目的は神様の魂が宿っていない人類を創造することであったのである。例えば、ある息子が人工授精(幹細胞)で生まれれば、その息子の後の子孫は全部魂がないから厄介な問題である、言わば邪神が自由自在に憑依出来るロボットを多量生産する結果になるのであるから、仕方がないが地獄そのままに進んでいるのである。

更に夜叉は最後の詐欺手段としての驚くべき力を顕現させたので、即ち中性子機械による核分裂反応の発見であるが、これこそ人類の破局的運命を示しているのである。最近に独逸(ドイツ)にあったユダヤ人の多量虐殺はイスラエル建国への導線となり、ゆくゆくは第三次世界大戦の原子戦と発展してくのである。そうしてその核兵器の威力でもってして世界を恐怖させ、その恐れと不安から邪神を崇拝させるようにして全人類を掌握する目的を達成する為であったのである。

右の如く悪魔の経綸の中心はキリスト教であるから、最後の審判はそのキリスト教と眷属(けんぞく)を抹殺して悪魔の奴隷になっている大部分の人類を開放させるのでなくてはならないのは当然であろう。その為の御神書拝読で、その為の浄霊で、その為の幽玄力で、その為に私が生まれてメシヤ教を創立したのである。何故なら皆は霊と心を浄め、正守護人の霊力を強くして、邪神の頭目と闘って勝たねば天国人になるのは出来ないからである。

結局善と悪は自然に知られるので、恰度(ちょうど)毒血から毒分だけ集まって毒粒子になるのと同様な原理であるから、毒粒子は処理されるので、悪人も全滅されるのであろう。その善悪を見分ける問題こそ神を通じて初めて出来るから、光によって、幽玄力によって見分け得るのを知るべきで、幽玄力を強く応用すれば、太陽の火素が比較的に弱い黄泉国にも打撃を与え得るのである。そうして今度の最後の審判は言わば悪魔の世の中に残って滅びる者は悪人なり、悪魔の世から脱出して助かった者は善人になるのである。

………………………………………………………………

以下アーカイブ管理人の考察
上記基督(キリスト)教と善悪【未定稿】を最初に見たのは六年ほど前ぐらいになるんですが、その当時はとんでもない偽書であると思いました。私は聖書の内容も一通り読んだことがありますが上記内容程悪い印象はなかったし、概ねポジティブに受け取っていました。しかし段々と御神書の内容が腹の中に落ちるにつれ、ここに書かれていることが実態として真実であると分かるようになりました。世の中の情勢に対する理解が深まるにつれ、だんだんと真実味が帯びてくるのを感じる。また、時期的な意味もあって、十年前や二十年前であれば上記論文の存在を知っていようとも公開しようなどとは思いませんでした、しかしながら第三次世界大戦開幕直前の今になって国際金融資本家達が自分達の計画や行動を隠さなくなったので、ここに掲載するに思い至るようになりました。

夜叉龍神は暗黒そのもので片目の悪魔とある。これが悪魔の世界である兇党界の親玉とあるが、私は霊的な審神者が出来ないので確証は無いんですが、北欧に非常に闘争好きな目的のためには手段を択ばない片目の神がいるので面白いと思いました。ちなみにこの神は神々の最終戦争ラグナロクで死亡するとある。よくディープステイトとされる有名人が悪魔への忠誠を誓う儀式として片目を怪我しますが、そこもよくリンクしてますね。

そして、この邪神の計画に利用されたのが国武彦尊とある。文明の創造、観世音菩薩の項に『伊邪那岐、伊邪那美尊から生れた五柱の男女の兄弟がある。即ち長男は伊都能売天皇、次男が天照天皇、三男が神素盞嗚尊、長女が稚姫君命、二女が初稚姫命である。』とある。この論文を発表された講話の中で、実は伊都能売天皇の上にもう一人本当の長男がいるとあるんですね。これが国武彦尊であると。なので伊都能売天皇である明主様は国武彦尊のことを私の兄と冒頭で言われているんです。また、当時大将軍と言って勝手なことをやったので地獄に行かれたとるが、この勝手なことの具体的なことが上記論文から見て取れる。

夜叉龍神が最初に取り掛かったのが、『その時の人間が知っていた霊的知識を抹殺させる必要があった。』とあるんですが、これは本当にそうでキリスト教圏では輪廻転生とか言わないんですよね。いちおう、死後は天国、地獄、煉獄があるといっているが非常にボヤ化してある。また、良い霊魂の人間は来るべき日に復活するとあって、なのでそれを本気で信じて来るべき日に備えて土葬するんです、死んだ人たちが墓の中の肉体に戻って生き返ると信じてるんですね。ちなみにこれはイスラム教でも同様です。「私の父の御心は、子(キリスト)を見て信じる者は皆、永遠の命を受け、終の日にはその者を復活させる」(ヨハネ福音書)というのがあるんですけど、一見訳が分からないですよね。何だかイイこと書いてあるっぽいという印象です。しかしながら、救世教の御神書をよく読んでたらですね、この難解な一節も直ぐに分かっちゃう。「私の父である主神の御心は、子(イエス)を信じて善い行いをするものは者は皆、霊層界の高い段階に引き上げて永遠の生命(歓喜悦楽の地位)を授けられる、終末の日(大浄化)にはその者を一段と引き上げて霊的地位を復活させる。」ということですね。なので、聖書の内容は救世教の知識がないと訳の分からない言い回しのことが多い。明主様もイエスは言い方が回りくどいと仰られてますね。なので、聖書を読んでいても非常に曖昧な霊的知識しか得られない。なぜなら非常に非常に重要な部分が抹殺されたからです。

では、霊的知識の重要な部分とは何なのか、それは、魂が永久不滅であること、霊界が本当の世界であること、霊体の清らかさで霊層界の地位が決まること等です。これらを忘れさせて、現界にのみフォーカスさせることが非常に重要なんですね。この肉体が亡くなればその後は何もないと思わせることが肝心で、そうしないと人間に薬を飲ませて霊体を汚させることなんて出来ないからです。もし霊的知識があればですね、今回限りの長くて100年そこらの肉体の為に、永遠の存在である霊体の霊的地位を犠牲にするなんて馬鹿げたこと絶対にしないんですよね。一時的な肉体を存続させるために治るか治らないかわからない薬を飲みますかって状況になったときにですね、100人が100人とも絶対イヤだ!!ってなるんですよ。天秤にかけた時に比較にならないですよね、馬鹿を言うにも大概にしやがれって話なんですよ。人間に今回限りの命と思わせ薬を飲ませ霊体を徹底的に汚し、霊層界の低い地位に引きずりおろして、ノリノリで悪事を行える人間をつくるのが悪の経綸の根本なんです。また悪魔の目的は、人間を霊的に徹底的に破滅させることなんで、そうすることによって悪魔は死後の人間を自分の国民とすることが出来る。この論文にも『悪魔の世の中に残って滅びる者は悪人なり』とありますね。霊層界の低い低いところ、大浄化後の天国建設に伴って切り離される霊層界の本当に低いところ、ここの低い層まで人間を叩き落すためには人間を徹底的に薬漬けにする必要がある。切り離された最下層の地獄界の統治者はサタンが取り仕切るとヨハネの黙示録にある。そして1000年間サタンは地獄の臣民の魂で遊んだ後、また地上に出てきて神に喧嘩を売り、叩きのめされて滅ぶと記述がありますね。人間の霊体(永遠の生命)を壊滅的に汚すためのには薬毒漬けにしなければならない、そこにもっていくまでにはまず霊的知識を抹殺して今生限りの命と思わせることが必須条件で、悪魔の方でもここまでの支配体制を構築するのに2600年かかったんです。

まず、赤ん坊がこの世に生を受けるとアレやコレやと予防注射を小さい体に受けますね。それから風邪などを引けば解熱剤や咳止めで浄化停止。その後も定期的に機会があれば予防接種やワクチン接種。そのあと学校という能力主義のヒエラルキー社会に放り込まれて、大きくなった後は資本主義のマネーゲームに終生勤しむわけです、人間の成長の場と称してね。また、マネーゲームが嫌いな人間にも参加させる必要があるので、働かないと食えないような絶妙なバランスの管理体制を強いられると。体力が衰えてきてマネーゲームから下りた後は、余暇と社会貢献と思いがちですが実態としては持病と付き合いながら日々を無為に過ごすというのが大半と思われます。そしてその持病のために薬は手放せない。結局蓄えた資金の大部分は医療に消える。そして、医療による薬剤治療によって絶えず霊体は汚染される。大病を患おうが患わずに済もうが、亡くなるまでの薬漬けの人生なのは変わらない。先進国の大半の人間はそのような運命でしょう。一部の恵まれた幸運者か霊的知識に目覚めた人だけが、薬剤の汚染から逃れて霊体を清浄に保ったままこの世を離れることができる。張り巡らされた悪魔の罠が壮大で緻密すぎるので、これを避けて帰幽できる人間なんていないことがよく分かってくる。お釈迦様は極楽に行くには針の穴を通るより難しいと言われたが、これは何も誇張した表現でないことが分かってくる。癌になれば亡くなるまで抗がん剤、心疾患の場合も薬物療法がベース、老衰にしても終末医療で薬漬け、脳血管疾患、肺炎、高血圧、糖尿病、etc.…。

悪魔は霊界のルールに気づかせないようにするのが本当に上手いと思います。悪を悪と思わせない詐欺の天才であり、さも人命を大切にしているようなキレイごとを並べ立てて、実際においては全人類を霊的に堕落させて地獄の臣民にするのですから。そして真実に気づかせようとする人間が出てくればヒステリーを起こし社会総出で抹殺するのです。まあ、それも大浄化までですが。

キリスト教のバイブルが長い歴史の中で政治利用されイエスの本当の教えからかなり歪められてきたということは、多くの歴史家が指摘するとおりだと思います。なので、死海文書などの文献が重要視されるのですよね。死海文書はイエスより少し前の文献ですが。要はイエスの本当の教えをローマ帝国がだいぶ歪めて再編したのが今の新約聖書であるということですね。最後の方にキリスト教と眷属を抹殺してとおっかない表現がありますが、これは当然キリスト教徒のことではありません。キリスト教の後ろに隠れている邪神の頭目と眷属を壊滅させなければならないということですね。実は世の中には宗教を政治利用するビジネスマンがものすごく多いのです。聖書で言うところのサタンに与する悪い商人たちがものすごく多い。この人たちがお金を目的に医療ビジネスや戦争ビジネスを世界で展開しているのです。そしてこの悪い商人に味方しているのが我々庶民なわけです。実は我々庶民が遠からず少なからず少しずつお金を出し合って、この悪い商人達を支援している。これは逆の例えですが、もし私のような変人が一億人ほど集まって国家を形成したならば、医療ビジネスは利用者がいなくなって崩壊するし、世のファーストフード店やコンビニなどもことごとく国家から消え去るでしょう。オーガニックスーパーや地産地消のレストランしか残らない。それはそれでどうかと思うようなサッパリした国家が形成される。霊体を汚すような原因を作るビジネスは悉く地上から抹殺されるわけです。こうなってしまっては、邪神も悪人もどうしようもない、何も手が出せない。

なので、最後の文にもあるように、この悪の社会システムから抜け出せた人間は善人となるわけです。いつまでたっても神の言うことを聞かずに、医療ビジネスを利用し、廃棄物のような食料を提供するファーストフード店を利用して、自分で自分の霊体を汚して病気をこさえてるような人は知らず知らずのうちに悪の味方をしているということなんですね。