姙娠であるが、之は婦人にとっては病気ではなく、寧ろ健康な証拠であるが、近頃は姙娠するや婦人の多くは、喜ぶよりも反って恐れたり心配したりするが、之も一面無理はない、何故なれば姙娠中色々な故障や病気が起り易いからで、大抵の人は悪阻の苦しみは勿論、結核、バセドー氏病等のある人は、医師は危険であるとして、人口流産させたり、又人によっては出産となるや、難産の場合さへあるので、本当に安心の出来る人など先づないといってもよからう。
之に就て考へなければならない事は、右のやうな種々の障害は実は変則であって、恐らく昔の婦人はそういふ事は余りなかったやうで、記録等にも見当らないのである。としたら医学の進歩とは逆効果で、理屈に合はない話だが、之が即ち医学の盲点である。逆効果とは全く薬剤の為であって薬剤多用者程成績が悪いのである。而も自分ばかりではなく、早産、死産の外、生れた赤ん坊に迄影響するので、近年多い弱体嬰児や発育不良がそれである。そうして本当から言えば婦人が姙娠し、子を産むといふ事は、婦人に与へられた立派な役目であるから順調に経過し、無事に出産するのが当然であり、故障など起る筈がないのに、起るといふのはそこに何等か間違った点があるからで、其間違った点に気が付き改めればいいのである。
茲で姙娠に就ての医学の考へ方に就てかいてみるが、前述の如く結核やバセドー氏病等の病気ある婦人に対し、危険として流産させるのは大いに間違ってゐる。何となれば姙娠するといふ事は、其人の健康状態が無事に出産出来るだけの体力があるからで、言はば母になる資格が具ってゐる訳である。そうでなければ、決して姙娠する筈はない。之等も医学の考へ方が唯物一方に偏してゐるからで、人間本来の神性を無視し、動物と同一視する誤りである。之は理屈ではない。私は今迄右の理由によって、姙娠した婦人に、どんな持病があっても差支へないと、只浄霊だけで悉く無事に出産させ、一人の過ちさへなかったのである。此事だけでも、医学の考へ方を、大いに変へなければならないと思ふのである。
婦人病(文明の創造 昭和二十七年)