明主様と御事蹟 第二篇

東京麹町半蔵門・応神堂にて執筆 1935年(昭和10)年
「大日本観音会」発会式。岡田茂吉は祭官の右側。
1935(昭和10)年1月1日
岡田茂吉揮毫「日之出観音」。
1935(昭和10)年1月1日の大日本観音会仮発会式に奉斎
「大日本観音会」総本部発会式。東京上野毛玉川郷
1935(昭和10)年10月10日
「大日本観音会」の機関紙誌編集所。東光社。東京麹町
1935(昭和10)年
※逆卍は左進右退(昼のリズム)の意で、ナチスとは無関係
「大日本観音会」の機関誌。
※逆卍は左進右退(昼のリズム)の意で、ナチスとは無関係
「光明世界」創刊号の目次
玉川郷へ移転間もない頃。1935(昭和10)年
東京上野毛・宝山荘にて。1936(昭和11)年正月
信徒との面会。東京上野毛・宝山荘。1936(昭和11)年
東京上野毛の屋敷内に建てられた富士見亭
観音百幅会で下付された観音像(岡田茂吉・画)
大日本健康協会関連の出版物
左:「健康」第一号の目次。右:「明日の医術」目次
玉川・宝山荘内の岡田茂吉。1938(昭和13)年頃
宝山荘庭園内にあるトウモロコシ畑にて。
浄霊を取り次ぐ岡田茂吉 宝山荘 1939(昭和14)年頃
伊豆旅行のおろ箱根乙女峠にて。前列中央・岡田茂吉とよ志夫人。
1942(昭和17)年7月15日
文芸雑誌「紫苑」の表紙と目次
「讃歌集」表紙と岡田茂吉染筆の口絵「言霊神也」