『岡田茂吉全集』刊行について

世界救世教教祖・岡田茂吉は、その生涯において、数々の論文、講話、詩歌を発表している。しかし、教祖の歿後、今日に至るまで、その多くが教団内に蔵されてきた。

教祖は「熱海の地上天国が完成し、自然農法が国家的問題になると、岡田茂吉研究がはじまり、私の著述が読まれるようになる」と述べており、この教祖の言葉に応えるためにも、教祖の遺した著述を整理する意義を痛感し、本全集の編集刊行事業となったものである。

このように本全集は、教祖が遺した文章・講話・詩歌を集大成することによって、その全体像をあますところなく再現し、併せて今後の「岡田茂吉研究」のための基礎資料として提供しようとするものであり、教典やそれに準ずる布教用の書物として編集刊行するものではない。したがって、本全集は「岡田茂吉研究」の基礎資料として、図書館はじめ宗教学科、神学科のある大学などの学術研究機関や全集刊行事業に協賛した本教信徒などに限定して寄贈するのである。

編集については、『岡田茂吉全集』編集委員会を組織し、世界救世教総長・松本康嗣が委員長となり、編集委員・志村正雄・井村君江・荒木美智雄・合庭惇・島薗進・鎌田東二の各氏の協力を得てすすめている。本全集の刊行については、世界救世教の内部に設置した『岡田茂吉全集』刊行委員会が一切の責任を負ってる。

教祖は一八八二年(明治五年)一二月、東京浅草橋場に生まれた。一九二六年(大正一五年) 一二月、天啓を受けた教祖は、自らの使命を感得し、人類救済の神業に専心していった。一九三五年(昭和一〇年)一月本教を立してより、一九五五年(昭和三〇年)歿に至るまでの二十年間、全人類が等しく幸福な生活を送ることのできる病貧争絶無の「地上天国」建設を唱導されたのである。教祖はその時代の人々と生活や感情を共有し、苦悩も喜びをも分かち合いながら、人々に教えと行動を示していった。しかしながら、その教えが当時日常的に使われていた言葉でもってなされたことは不可避なことであった。

各巻巻末の注記で指摘している通り、本全集の本文には、今日の人権意識に照せば、不当、不適切と思われる人種・民族・身分・職業・心身の障害・性等に関する語句・表現が散見される。それらの表現が教祖の行動や教えの本質からみて、侮蔑や差別の意思をもって使用されたとは思えない。しかし、教祖が生きていた時代は、差別を排除する意識がいまだ乏しく、差別に結びつく言葉や表現が用いられ、多くの過ちが犯されていた時代である。教祖もその時代の制約から免れ得なかったのはいうまでもない。

今日のように差別撤廃をめざし、あらゆる分野で人権擁護の努力がなされている現在、教祖自身の言説が時代の制約のなかで表現された歴史的なものであり、研究のための基礎資料であるとしても、無批判に刊行されてよいとは毛頭考えてはいない。いかに教祖の教えであっても、人権尊重の視点にたって、今日、差別語とされるものが使用された背景や思想を見つめ直し、教祖の教えを正しくとらえる努力を行うことは、現在にいきる宗教教団として当然の責務だと考える。

したがって、本全集に散見する差別の内容や表現に対しては慎重に注記を施し、それらの表現が差別の拡大や再生産につながらないよう努めた。

なお、現在本教では、教典および教典に準ずる刊行物については、不適切と判断される箇所は改め、人権尊重のための配慮を行っている。また、人権問題を単なる差別的表現の修正に終わらせず、新しい布教の取り組みととらえ、教団全体の人権擁護意識の高揚と、差別のない理想世界実現をめざし努力する所存である。

本全集刊行の意図を理解されんことを、切に念願するしだいである。

『岡田茂吉全集』刊行委員会

(委員長) 松本康嗣

(委員)  榊原英夫・神山征治・篠田節典・可知重良・平本伸一