医学に対して

□医師が理解することについて
○『昨日、睾丸が落ちて後から元通りに生えたという子供を招んで、医学博士が7人、岡田道一さんの骨折りで来て、すっかり診察したのです。・・・とにかくそういったお医者さんが、此の処にきて私の話を聞くというだけでも大したものです。以前に私は“とに角今に大学の講堂に行って少なくとも五、六十人の博士を集めて、その前で私が医学の講義をするようにならなければだめだ”という事を言ったことがありますが、昨日のは、その小さい最初の型だと思います。ですから非常に結構だと思っています。結局お医者さんが分かると言う事が根本です。』                   
○今の物性論というのは何故唱えたかというと、中間子、素粒子というものは細胞の又ごく微細なもので、それから物性というのはヴィールスでもない、顕微鏡にもはいらないものだが、あるという推定です。だからこれは霊なのです。そこまでは言わないが、とにかく物性論にその奥がある。それからその又奥があり、その奥がある。そうしてそのごく窮極のものが科学で分かるようになれば、この“新生する”という事が分かる。だから今は科学がそこまで行ってないという事だけを言ったのです。そういうようで、医学でそういう事を説こうとか分かろうとするのは無理なのです。それを説明するだけに行ってないのです。又若しそれを説明できるまでに医学が行っていれば、医学をやめてしまいます。そうしてやっぱり救世教の方のやり方になってしまいます。だからこれは時節を待つより仕方ないのです。
○それにはお医者始め一般人にも分からせなければならないという事が、さっきから読ん「医学革命の書」で、これをできるだけ世界的に読ませて本当のものを見せると言うわけなのです。これも無論英文に訳して、米国のみでなくヨーロッパの方にも、世界的に配ります。そうしてやっぱり実例を百つけて、その一つ一つの病気に対する批評もそえるつもりです。いま五十ばかりできました。それでこれを一冊読めば恐らくどんな人でも分からないはずはないというように徹底的に書くつもりです。
しかしただいま言ったようなごく根本の深い所をあんまり強調すると宗教的になりますから、そう深い所まではゆきませんが、ただ実際的に今の人が分かる程度に説くわけです。そうすれば結局世界的の問題にならないわけにはゆきません。神様もそういう経綸です。大本教のお筆先にうまい事を言っています。“この事が分かりたら世界は動くぞよ”とありますが、つまり今言った以上に世界は動揺するというわけです。だから何が大問題といったところで、人間から病気を無くし、寿命を百以上になるというこのくらい大きな問題はありません。結局それを目標に進んで行くのです。そして人間がやるのでなく、主神がやられるのですから、神様の方から言えば訳ないことなのです。しかしそれにはやはり順序があり、天地の律法、神様の法律があります。それを破るわけにはいかないからして、やはり相当の手間がかかるわけです。
いくら神様でも桜の花を冬咲かせたいと思っても、咲かせるわけにはゆきません。ちゃんとその季節に咲くように作ってあるのですから、それを一度でも狂わせる事はできないので、それが法律です。御神業のことでも、よく未信者の人の言葉に「そんなに立派な医学ならなぜトンドン知らせるようにやらないのだ」と言うが、それは人間が我が儘でやるのなら一時的にドンドンやるでしょうが、神様の方はそういう法則に外れた事はできないのです。しかし非常に早いのです。
○私は、医学に携わる多くの人達が目覚めなければならない時が、必ず近き将来に来るべき事を信ずるのである。其時如何にすべきやといふ事も考慮しなければならない問題である。然し乍ら、相当経験を有ち堪能である医家にして、西洋医学の行き詰まりに対して目覚めている者も相当多い事も私は知っている。従而、或時期に至れば本医術を肯定し、此医術によって国民の健康を解決すべきであるとする医家の続出する事も、私は十分信じて疑はないのである。但だ然し、現在としては医家としても行き掛りや地位や経済問題等の種々なる障害の為、遅疑する人達もある訳であるが、之等良心的医家の決意を促したいのである。茲で一番困る事は、西洋医学を絶対無上のものと盲信し、それ以上の優れたる医術はないとし、又生まれるべくもないと確く定めている医家の未だ多数ある事である。之等の人達の啓蒙こそ、今後に於ける最も努力を要する問題であろう。然し乍ら凡ゆる事物の転換期に当たっては、如何なるものと雖も大勢に抗する事は不可能である事を知れば問題はないであろう。
○然し、私は思うのである。本医術に対し、何等遅疑する事なく、進んで突入し、研究すべきである。その結果若し西洋医術よりも劣るか、又は無価値であるとすれば、放棄すればいいであろうし、之に反して私のいふ如き偉大なる医術であるとすれば、大いに医学界に向かって推奨すべきであろう。それによって人類の病気を解決すべき端緒となるとすれは、先覚者たる栄誉を譬ひ得る事となるであろう。要するに、私は医家の良心の問題ではないかと思うのである。此意味に於て私は良心的医家の、一日も速かに表れん事を切望してやまないものである。

□今後の医学の課題
○「だから真の医術とは浄化が起こった際、固結毒素をより速く溶解させ、より多く対外へ排泄させる事で、それ以外真の療法はないのである。」
○「この不純性の曇りは漸次濃度を増してゆくとともに、ここに1種のバクテリアが発生する。これは無機質植物性の如きもので、ときの進に従い段々生育しついには有機質に変化する。この有機物こそバイ菌の卵であって、この卵が時を経て1人前の親となり固体となって、初めて顕微鏡で見得る程度になるのである。───以上の理によって根本的に病気を治すとしたら、右の如きバイ菌の発生源である霊の曇りを解消する以外に、真の治病法のない事は明らかである。としたらこの原理こそ現代科学の水準よりも、遙に高度で有ることも認識できるであろう。」

□明日の医術『序論』
○『私の此所説こそは、実は未来の科学と思っている。故に、現代科学に慣れている読者 は先入観念にとらはれることなく飽迄頭脳を白紙にして望まれん事である。』
○『そうして一体、医学の目的は何であるか、いうまでもなく医学の為の医学ではない。 病気を解決せんが為の医学であらねばならない。それは、凡ゆる病原を闡明し、凡ゆる 病気を治癒し、健康を増進せしむる事である。即ち病気のない人間、病人のない家庭を 作る事である。以上のような方向に少なくとも一歩一歩近づくというそうなる事が、医 学の進歩であって、そうならせる力それが真の医学であると私は思うのである。』
○『然るになんぞや、現在の状態を見るがいい。右に述べた事と凡そ反対の方向に進んで いるではないか、これらの事実に対して、専門家は勿論の事、政府も国民も何等疑問を 起こさないのである。実に不可解極まる事と私は思うのである。この不可解極まる世紀 の謎は、この著書によって明らかになるであろう。』
○『そうして、文化民族が私の此理論を肯定するか否定するかによって、その運命は決定 するのである。もし肯定を遅疑し、又は否定するすればそれは滅亡への前進を速めるば かりである。然し、反対に肯定するとしたら、それは永遠の光明と繁栄の道へと進むの である。従って、医学専門家の一人でもいい、私の説による“医学の創始”に着眼せら れたい事である。それは確かに医学の革新であり、明日の医術への出発であり、未来の 科学の創建への第一歩となるであろう。』
○『然らば右の逆効果という意味は如何なる訳であろうか。これを徹底的に露呈闡明し真 の日本医術を創建し、滅びゆかんとする人類幾億の精霊を救済せんとする一大本願が此 著となったのである。』

□日本医術について 
○真の医術
『真の医術とは、その療法が聊かも患者に苦痛を興へない事である。寧ろ治療の場合快感を伴ふ程でなくてはならない──と私は思うのである。そうして治療までの期間が速やかなる事を条件とし、治療後において何年経るも絶対に再発しない事の保證が出来なければならないのである。そればかりではない。予後の健康法を教え、それによって患者は、発病以前よりも健康を増し、再び医師の厄介にならないようにならなくてはならないのである。期様な理想否空想とも思われる医術が果して生まれるであろうか。といふ疑いは何人も起こるであろう。がそれは已に生まれているのである。』
○腎臓医術
 『私は腎臓さへ健康になれば、凡ゆる疾患は治癒すると共に、健全となり、福と長寿を得るのであるから、実に不可能とさへ、想はれたる人類の理想が、ここに現実化したと言ってもいいであろう。故に、此腎臓医術の発見こそ、人類史上、空前の大発見であると、私は想うのである。』
○心臓医術
『腎臓に次いで重要なる機能は、何といっても心臓であろう。従而、本療法によって心臓が健全になった場合、疾患及び全身機能、精神的方面等に対し、如何なる好影響を及ぼすかということを説いてみよう。』
『心臓機能の本体が根本的に判らない限り、真の病理は確立する筈はないのである。』『心臓が肺臓を動かし、肺臓が胃を動かすのである。』
『心臓なる機能は、熱の本源である関係上、性格的には愛の湧出する機能である。故に、心臓の活動力旺盛は、愛の情動が盛んになることで、性格が一変する訳である。』
○世界的医術
『私は飽迄科学を以て自認し、科学として世に問はんとするので。即ち未来の科学、最先端科学として、日本人によって創始せる世界的医術たらしめん事を期するものである』
○病毒溶解医術
『夜の世界が終末を告げ、昼の世界となるとしたら、唯物的医学──即ち病毒固結医学は行き詰まる事は当然であり、それに反して、唯心的医術─即ち病毒溶解医術の発展となる事も亦当然の帰結であろう。』 

□浄霊の原理
○然し乍ら、右の理論を是として考える時、病気を治癒すべき力が、人間に存在するとし て、その力を如何に発現し、応用すればいいかといふ事が、残された最後の問題である。 然るに私は、右の理論を基礎として研究し、意志と信念と熟練によって、治病力の発揮 が可能である事を発見すると共に、実験上、素晴らしい効果を挙げ得る事が明らかにな ったのである。それが本療法の発見の動機と完成への解説である。故に、本療法は未だ 嘗てなかった所の一種の治病技術といえよう。

□毒素の溶解排除の方法に成功
○『病気の根源は毒素である事、毒素とは膿汁または毒血の凝結したものである事は言うまでもない。勿論、西洋医学に於いてもその点は認めているのであるが、甚だ異なる点は西洋医学に於いては黴菌によって毒素が増殖せられるというに対し、私の方は浄化作用によって、毒素が集溜するというのである。』
○『故に、西洋医学の伝染に対し、私の方では誘発と解し、又、西洋医学に於いてはあら ゆる病気は抵抗力薄弱によって、外部から黴菌による毒素が進入・繁殖するというに対し、私の方は体内に於いて集溜・凝結した毒素が浄化溶解作用によって、外部に排泄される為というのである。』
○『故に、その療法原理に於いても、西洋医学に於いては体内に毒素を固むるのを目的と  し、私の方は毒素を溶解して対外に排泄するのを目的とする。一は固むるのを目的とし、一は溶解するのを目的とする。従って、固める結果は病原を残存させ、再発の因を作るのである。これに対し、梳かす結果は病原を排除し再発の因を無くする事である。・・(中略)・・然るに、私が創成したこの日本医術は毒素の溶解排除の方法に成功したのである。』
                         (明日の医術より) 

□第二浄化作用を発生以前の状態に還元
○感冒の原因に不明である医学は、罹病の場合種々の方法を行う。その方法とは徹頭徹尾浄化作用停止である。
○それは先ず発熱に対し解熱剤を与え氷冷や湿布法を行う。
之は折角発生した第二浄化作用を第一浄化作用の状態にまで還元せしめようとする。即ち溶解し始めた毒素を再び固結せんがための手段である。
○従って固結するだけは解熱、咯痰、鼻汁其他の痛苦は軽減するから病気軽快と錯覚し、それが全く固結した場合、医師も患者も治癒したと思うのであるが、何ぞ知るらん実は第二浄化作用発生以前の状態に還元したまでであるから再発するのが当然である。
○そうしてここに注意すべきは、還元治療による薬剤使用と氷冷、湿布等の浄化停止方法が、次の罹病に対しより増悪の原因となる事である。故に大患の原因は小浄化作用発生の場合、その都度薬毒等によって度々停止する以上、その毒素が累加し増大され、一時に大浄化作用発生となるためである。   (天国の福音 病気の真因  P30 )
○よく風邪がこじれるというが、之は人体の方は浄化しようとする、それを止めようとするので、つまり浄化と非浄化との摩擦となるから長引くのである。又一旦風邪が治っても、暫くすると必ず再発するのを見ても分かるであろう。
故に結論から言えば、医療とは病気を治す方法でなく、治さないで延期させる方法である。                  (文明の創造 病気とは何ぞや)
○以上の如きものが感冒であるから、何等手当てを施さず服薬もせず放置しておけば順調に浄化作用が行われ故、短時日に治癒するのである。
 此様に自然治癒であれば保有毒素が軽減するを以て、それだけ健康の度を増すのである。 右の如く感冒は最も簡単な浄化作用であるから大いに推奨すべきに拘らず、世人は感冒 を恐れ、感冒に罹らぬ事を医学は第一条件としているが、それは如何に誤謬であるかを 知るであろう。昔から感冒は万病の基などと謂うが、実は感冒こそは万病を免れ得る唯 一の手段である事を首肯すべきである。 (天国の福音 病気の真因  P30 )


□医学の誤謬 
○結 論〔明日の医術二編 325頁)
①病気に対する医学の解釈が浄化作用であることを知らなかった事。
②従って、病気を悪化作用と解し、浄化作用停止を以て病気治癒の方法と誤認した事。 ③薬剤は全て毒素であって、その毒素が浄化作用停止するのみならず、その残存薬毒  が病原になるということを知らなかった事。
④病気は浄化作用である以上、自然が最も良医であるという-彼のヒポクラテスの言  を無視し、全て人為的療法を可とした誤謬。
⑤医療は一時的効果を以て永久的と誤認している事。

□明日の医術『総結論』
○私の研究の成果に対し、最早充分の理解と認識を得られたであろう。そうして将来、来るべき文化の根本理念は勿論霊的のそれでなくてはならないが、実は今日迄の文化の推移を仔細に検討する時、それは明らかに霊的方面に一歩一歩前進しつつある事実を看取さるるのである。
○無にして無に非ざる存在、私は假に名付けて霊電波又は幽玄力といはふ。この幽玄力に於ての原素の活動こそ、凡ゆる力の本源であって、その中心としての主動力こそ宇宙意思であり、之によって戦争も起こり、平和も来すのである。勿論無限大から無極微に至までの森羅万象一切の變轉流動の根源のそれである。故に一切の活動の根源が幽玄力であって此幽玄力こそ『絶対無限の力』そのものである。
○この幽玄力の発揮こそ、科学に非ざる科学であるといへよう。私は此力の存在の発見と利用によってのみ、初めて理想的なる人類文化の建設さるる事を信ずるのである。
○この意味に於て力の強弱を測定する場合、物質は最も弱く、非物質であればある程その強度を増す事で、勿論之が宇宙の原則である。
○そうして私の創成した此医術の原理こそ、右の幽玄力の一部の利用である事を告げたい のである。洵に奇蹟の如き驚くべき治病力を発揮するといふ事もそれが故である。
○然し乍ら此事の説明に当たって最も困難と思う事は、現代科学の理論に於ては、それを 説明し得らるまでに到っていないといふ事である。従而、やむなく唯其効果によっての み肯き得らるる現在で、満足の余儀ない事を告白するのである。
○故に此意味に於て私をして忌憚なくいはしむれば、現代医学の如きはあまりにも水準の 低い事を思わせるに拘はらず、現代人はこれを無上のものと信じ、貴重なる生命を託す といふのであるから、如何に危ないかといふ事は、私の此医術を知る限りの人にして首 肯し得らるるであろう。