明主様は、健康の真諦は自然順応であり、健康こそ人間の本来であり、常態であらねばならないとその健康観を披瀝しています。大自然の構成とその活動の詳細については第三章で採り上げましたが、そこでは、火素・水素・土素といった目に見えざる世界における活動の根源なるものについて触れ、それら三大元素の密合によって万物が生成し流転しているということでした。これを宗教的に言えば“神の力の表れ”ということになります。こうした明主様の神観は、従来の幾多の宗教にはない破天荒なものと言えましょう。そのような視点から人間を見た時に明主様はどのようにおっしゃっておられるかといいますと、『造物主即ち神が人間を造られた御目的は何であるかという事である。吾等の解釈によれば、それは真善美の完き世界を造る事である。といっても斯んな途方もない説は容易に受入れ難いであろう。勿論、其様な理想世界は何万、何十万、何百万年かかるかは分らない、としても世界はそれに向って一歩一歩進歩向上しつつある厳然たる過去の事実を見れば否定も出来得ないであろう。そうして神は霊で人間は体であり、両々相俟って無限の進歩を遂げつつあるのが実相で、其担当者として人間があるのはいう迄もない。以上の如くである以上人間の責任たるや実に大なりというべきであると共に、此大事業を遂行する何よりの条件としては人間の健康である』
(神示の健康「健康の真理」より)
『此意味に於て神は人間にはそれぞれの使命を与え、任務を遂行するに足るだけの健康を与えられているのは当然である。何となればもし健康を害うとしたら、神の御目的は達せられないからである』
(神示の健康「健康の真理」より)
として、動植物には動植物の役割があるように、人間には人間として本来果たすべき使命があり、それを達成するために必要なのは健康なのであると、そして健康こそが人間の常態であると説いています。こうした観点から人間は最高の芸術品であり、言葉では言い表せない造化の妙技であるとして、人間の素晴らしさを讃えています。
『人間が此土に生れるや、最初は人乳又は獣乳を飲む。これは歯が未だ生えず、消化器能も出来たての脆弱性であるからで、漸次、歯も生え揃い、体内器能も一人前になるに従って、それに適応すべき食物を摂る事になる。又食物も凡ゆる種類があり、それぞれ特有の味わいを含んでおり、人体の方にも味覚を与えられ、楽しんで食するようになっている。其他空気も火も水も、人間の健康に必要な程度に存在しているというように、実に完全に出来ている。人体と雖も頭脳から理性も記憶も感情も生れ、手によって物は造られ、足によって人体を自由に移動せしめ、毛髪も皮膚も爪も眼、鼻、口、耳等必要なものは、実によく備わっている。加うるに顔貌から全身まで皮膚によって包まれ、それぞれの美を発揮している。ざっとみただけでも、以上の如くで、仔細に検討する時、言葉では言い表わせない造化の妙技である。一輪の花、一枚の葉、山水の美、鳥獣虫魚の末に至るまで、神技の素晴しさに感歎せざるを得ないのであるが、特に人間に至っては全く造物主の傑作である』
(神示の健康「健康の真理」より)
明主様は、このような素晴らしい人体に対して病という人間活動を阻止するような異変が起こるのは、自然順応ならぬ反自然的な過ちを犯しているからであると説明されています。