本章では「脳、脊髄の重要性」について学びます。人体におけるこの部分も「日本医術・浄霊」にとって大変重要に取り扱われています。それは、霊界が存在している ということと霊的な人間の生命とに関わっているからです。明主様は、霊と体との関係から人間の生と死の問題について次のようにおっしゃっています。
『霊素が肉体と分離する事を死といふのである。何故に分離するかといへば、肉体が老衰、病気、負傷、大出血等によって、使用に堪えざる状態、それがある基準を超えたる刹那、分離せざるを得ない法則であるからである。そうして、死と共に、忽ち体温が冷却し、血液は或一部に凝結するといふ事は、霊素即ち火素が無になるから、冷却する為である』
(神示の健康「死とは何ぞや」より)
明主様が説かれた霊界における法則に則った、私達の生と死とは次のようなものであります。まず肉体が病や老衰などで使用不能となり使命が遂行できない状態になると、霊は肉体から離れ、霊界に復帰し霊界人となるのであります。霊界での生活ではその大多数は生前犯した罪や穢れの浄化作用をうけることになります。
『病気の原因は汚血及び水膿の溜結であり、其汚血と水膿は精霊の曇りの移写である。然らば其曇りは何れから発生流転して来たかというと、それが罪穢なのである。而して罪穢にも二種あって、先天的と後天的とのそれである。即ち先天的は多数祖先の犯した罪穢の堆積総合であり、後天的のそれは自分自身の犯した罪穢の堆積である』
『祖先の罪穢に依る病気なるものを徹底的に説明するには、どうしても死後の生活、輒ち霊界の組織状態を説かなければならないから、大略を述べる事とする。人間が一度現世を去って、死の関門を通過するには、肉体という衣を脱ぎ棄てるのである。人間の肉体は現界に属し、霊体は霊界に属しているものであるから、肉体が病気又は老齢の為に頽廃して使用に耐えない以上、精霊はその不用化した物質である肉体を捨てて霊界に往くのである。そうして、霊界に於て再び現世に出生する準備をしなければならない事になっている。其準備とは浄霊作用である』
『罪穢の浄化による残渣とも言うべき霊的汚素が、現世に生を営みつつある其子孫に向って絶えず流れ来つつあるのである。それは祖先の総合体である子孫の個人が罪穢を分担するという、一種の因果律的贖罪法である。之は万物構成に於る主神の神律である以上、如何ともし難いものであって、人間は之に服従する以外何事も出来得ないのである。それは此霊的汚素が人間の脳脊髄へ向って絶えず流動し来り、其汚素が人間の精霊に入るや忽ち物質化するのであって、その物質化が膿汁である。之が凡ゆる病原となるのである』
(神示の健康「病気の原因と罪穢」より)
このように脳、脊髄には人智を越えた重要な意味あいがあるのです。この現象が端的に現れたのが脊椎カリエスです。明主様は、この浄化は多くは腰部、大腿部等に一個所ないし数個所穿孔し排膿されるが、その量は多量で身体全体よりも多いくらいであるとお話になっていますが、実はこうした霊的な背景があるからなのです。こうした膿汁は脊柱を通って上から下へと流下します。これがあらゆる病原となるのであるということですから、脊椎カリエスに限らず、あらゆる浄化に対して脳、脊髄を考慮する必要があります。その場合には、前述の脳、脊髄の意味あいをよく理解して浄霊を行うということが大切です。