凡そ昔から人間として、幸福を希はぬ者は一人もあるまい。処が事実は幸福を掴もう掴もうと、何程追いかけても逃げて了ふのが殆んどであるから、諦めて了ふ事になる。それ程難しい幸福なるものをいとも簡単に掴めるとしたら、斯んな結構な事はないが、そんな馬鹿な事があって堪るものかと、誰しも言うだらう。処が、それが可能であるとしたら、之程大きな人類の福音は未だ嘗てないのは勿論である。
左の御蔭話はそれを如実に証明してゐるのである。何しろ長い間結核に悩み、どうする事も出来ないまでに追ひつめられ、生を諦めてゐたものが、偶然本教を知って大いに疑ひ乍ら浄霊を受けると共に入信もし、他人の病気まで治せるやうになったばかりか、僅かの間に自分の病気まで治って了ったのであるから、茲に歓喜の生活者となったのである。此事実によってみても、本教の救ひが如何に素晴しいものであるかが分るであろう。
御利益書
(本文省略)
(医学革命の書 附録(おかげ批判) 昭和二十八年)