此患者の経路を読むと、外地出征しその地で病気に罹っても、薬がないので放任して置いた処、次々治って了ふ。此事実を読者はよく考えてみて貰ひたい。処が帰還後最初軽い肺浸潤に罹ったが、右の経験によって別段心配もせずしてゐた処、医療を勧められたので、うっかりかかった処、それから段々悪化し、心臓までも悪くなり、絶対安静を始め、医師の言う通りすればする程悪くなるばかりなので、進退谷った処、本教の話を聞いたが、そんな馬鹿々々しい事で治るとは信じられず、頼みもしなかった処、親戚が浄霊をした処、僅かの間に全治したので、無神論者のコチコチも神を認めざるを得なくなり、入信したのである。
之に就いて考えてみて貰ひたい事は、本教で病気が治るのは、信ずるから治ると誰しも思ってをり、特に智識人程そういふ傾向がある。処が此患者の如きは、信じない処ではなく、頼みもしないのであるから、全然他力で治ったのであるから、之を何と解するであろうか、恐らく答は出来まい。之によってみても、浄霊こそ神が人間を通じて、治病の力を発揮する事は、何等疑ふ処はあるまい。
未入信の我一家にも数々の御救ひ下さる
(本文省略)
(医学革命の書 附録(おかげ批判) 昭和二十八年)