悪なき社会

これからかく処の社会の構成、政治、経済等に就て、前以て知らねばならない重要な事がある。それは何であるかといふと、廿世紀中期迄の世界は、善悪両方面を比較する時、悪の量が善よりも常に多かったのであったが、今日はそれが恰度逆になって、善が多く悪の少い事である。といふと読者はそんな馬鹿な話はないといふであらう。が之には大いに理由がある、それを先づ説明してみようと彼はいふのである。

廿世紀以前に悪が跋扈したといふ原因は如何なる所にあるかといふと、悪の暴露に時日を要したからである。例えば茲に一個の悪人があるとする、彼が悪事をしても、それが発覚するまでに十年も廿年も、否数十年もかかる事さへある。そうして出世をする。

彼は悪事をしても容易に発覚しないから、之を善い事にして益々悪事を累ねて益々出世をする、するとそれを見た民衆はその真似をしたがる、之が悪人跋扈の原因である。とすると之を防ごうとして法規を滋くし、警察、裁判所等、なし得る限りの施設や方法をとると雖も、予期の如くに犯罪は減少しない。

依然として悪は減少しないばかりか増加の傾向さえ見せてゐる、といふ事は余程重大原因が伏在してゐなければならない、といふ事、それは何であらうかといふ事を発見したのである。

実は発見よりも今一層徹底した事は時勢の変転である。

(二十一世紀 昭和二十三年)