049 学問篇

宗教教育とは、スキだらけの構え

“宗教教育とは魂の啓発でしょうか。智慧の附与でしょうか。

“世間一般の宗教教育と、我々の宗教々育とは違う。今迄の宗教の説き方は幼稚園程度で、それ以上は教える事が出来なかった。信仰雑話は小学程度の教科書である。今迄の宗教は皆月の教で、日の宗教は出なかった。日の光は月の光の六十倍である。従而六十倍位知る事が出来る。神智でなくてはいけない。知らない事がヒョッと判る事がある。之は神の啓示である。私は学識がないが凡て何でも判る。神様から知らして戴く。芸術方面でも、凡て聖徳太子以上である。キリストや釈迦は芸術的知識は全然ない。恋愛の事など殆ど知らない。弘法、日蓮も知らない。一休はよく知っている。彼は禅宗の第一人者である。一休の物の観方は大きく高い。小説など一番巧い。一休と沢庵は違い、沢庵は将軍に頭を下げなかった。宮本武蔵など、沢庵に剣術修養を養った。武芸と信仰の極致は同じで、腹に力が入るようではいけない。スキのある構えが、名人の構えである。宗教教育は、魂の啓発と叡智でなくてはいけない。智慧でもよい。智でも悪い智慧がある。要は、誠と智慧である。日本で現在欠けているのは、誠と智慧である。観音妙智力とは、即ち言うに言われぬ智慧である。(S23・12・3)

理想世界の教育の在り方

“理想世界建設後、教育の在り方並に其の種類等々、御説明下さい。

“教育は十二才からする。早期教育は間違っている。人間の頭が発育せぬうちにするのは教育の過重である。それでは頭の発育が止る。十才か十二才の子に、重労働させると、発育が止まる。柔道は十五才以下では教えない。背が伸びないという。早期教育は、子供が大人みたいになる。木でも伸びないうちに柱に使うようなものである。頭の働きが上っ面になる。学問をする人は、割合頭が悪い。明治時代の大臣と、今の大臣の頭とは違う。明治時代はよく物を見通した。今は表われたら消す行り方で、その日暮しのようにやる。それで悉く失敗する。十二才から小学校へ入るようになる。今にそれを発見する時期が来る。

教育制の将来と現代人の頭脳

“将来の学校教育の在り方について。

“学校教育はよほど変る。早期教育は極いけない。将来は十二位から教育する事になる。それまでは遊ばしておく。そして小、中、大学各三年宛で九年間になる。(近き将来になる)今、あまり早く教育するので、発育が止る。表面だけは、発達しているように見えるが、内面は駄目である。(一寸法師みたいなものだ)柔道は昔十五才以下のものには教えなかった。今の子供は大人みたいな事を言っている。今の教育は子供を大人らしくしている。子供は子供らしくするのが本当である。種でも早く播いた種はならぬ。適期がある。(私は枝豆を試してみたが、六月末が一番よくとれた。やはり時期がある)これと同様、年よりも進んだ教育をさせると、発育が止ってしまう。政治なども失敗ばかりしている。今度の選挙なども社会党、民主党が悪すぎた為に、民自党が当選した。(民自党が偉い為ではない)民主は無理をした。(右は詰込教育の結果で、今の教育は複雑すぎる)十二才位になると、頭が発育しているからのみ込が早い。今に、世界貨幣が出来、世界の貨幣は一つになるから為替もなくなる。すべて制約される。(言葉もよほど制約される)それ故、経済学も簡単になる。税金もなくなる。学問の構成も簡単になる。今の文化は非常に複雑になり、複雑になるほどいいと思っている。(法律なども暗記出来ぬ。警察犯処罰令なども実に複雑である)今に議会は、廃法府になる。(お役所仕事もハカが行かぬのもその為である)頭の悪いのが多いから苦しんで能率が上らぬ。役所など毎日毎日協議々々で、五分間位で出来る事でも、なかなか決らぬ。(S24・1・27)

フラナガン神父の死

“善い事でも間違った事をするといけない。動機善だが行り方がいけない事がある。フラナガン神父はドイツで亡くなった。之は間違った事をしているからである。それでそういう結果になった。子供は子供らしく教育しなければならぬ。早期教育は大変な間違いである。子供を大人と同じようにしようとする。知識が進んでいいようで、年不相応になる。二十五か三十位の知能となる。二十、三十になると四十、五十位の事を言わなくてはならぬ。すると間もなく生命はなくなる事になる。本当は十才過ぎてから学問をさせる。でないと進み方が上側になる。文化などもそういう事を考え、十二才からするのが本当である。あまり早くすると、頭脳の方が発達し過ぎる。十五才以下で労働させると発育が止る。年齢に応じてすべきである。ただ音楽家は早くした方がよい。小さい中、指の柔かいうちにやった方がよい。ただ音楽家は皆短命である。シューベルトなど三十幾つである。やはり、早期に頭を使うからであろう。(S23・7・28)

大転換と学問

“一、大転換、大浄化に際し、信者の子弟が上級学校に進学致します場合、その学校選定にはどの様な事を規準にする事が宜しいでせうか。

二、昼の世界を目指して子弟を教育致しますのに、学校の科目は、大体どういふものを選ぶべきでせうか。近き将来益々盛になるべき学問、亡ぶべき学問について御伺ひ申し上げます。右御教示御願ひ申し上げます。

“一、本人の好きな事をやらせればよい。但し、今は軍人になる事はなくなった。

二、軍事以外は直ぐ滅ぶべき学問はない。商工、理科学等。医科は無論なくなる。法科は漸次減る。哲学はなくなるか変る。いろいろ変るが、漸進的に変る。(S25・2・13)

女子の高等教育

“女子の高等教育はどの程度に致すべきでせうか。

“成可高等教育を受けた方がよい。教育の程度が低いと、理解力がない。

学校教育

“学校に在学中の人がこの御道に入り、その偉大な意義を覚らせて頂くにつれて、

一、現在の学校教育

二、今迄の「夜の世界」の学問研究等に対し、どの様な態度をとるべきかという悩みを持つ事が御座いますが、此の点どの様に致すべきでせうか。

右御教示御願ひ申し上げます。

“御論文を読む内段々分ってくる。夜の教育も大いに間違っている。之から教育の事は大いにかく。以前満鉄の八田氏と話した事がある。彼曰く、大学卒業者は役に立たぬ。既成学問で旧式である。社会は進歩している。彼等は旧式的に当はめやうとするから間違ふ。学問は理屈を覚える。八田氏は中途で学んだ為頭が良かった。今の教育は既成の教育で固めてしまふ。現在の政治家の頭のわるいのは大学出で理屈ばかりいふからである。学校教育は改革すべきだ。学問は既成の学問、文化で固めるから、社会の進歩に役に立たぬ。伴はぬ。之が一番悪い欠陥である。学歴のあるのは、反って役に立たぬといふ。(S24・2・18)

現教育制に於る教職の悩み

“現在小学校でやっている教育は正しいのですか。いわゆるアメリカのいう生活学習といって生活を基礎とした教育ですが、これが最善のものですか。日本歴史とか地理とか、正しい日本の歴史を教える必要はないでしょうか。もし現在の教育が正しくないとしたら、私は如何すべきでしょうか。現在の教科内容に現代医学、衛生学が出て来ますが、私は悪いと知っていますので、その点どうすればよいでしょうか。右御伺い申し上げます。

“先より今の教育法がズーッとよい。先は国民を侵略主義によって国威を盛んにする事を根本として作った教育である。日本をよくする為、凡ゆる目標をそれにおく事が主だった。今度は大きく拡げ、世界人類の平和幸福を標準に置かなくてはならぬという事になる。(アメリカ教育は世界人類の幸福においており、前者は小乗、後者は大乗である)日本の歴史も或程度はいいが、今迄は侵略主義に利用した何物かの企図で、それをすてて日本の普通の歴史を一通り教える。(すべて軍国的に教えた)地理はそれでいい。子供を大人のようにする教育はいけない。之も教員が反対する事も出来ない。その気持でやる。何ともいえぬ。之は実に困る。私とても困っている。之も程度問題である。先に、慶応の薬学博士西田氏も講義に何といっていいか分らぬ、困ったと言っていた。(非難されない程度にやればよい)  (S24・6・23)

性教育

“性教育は、逆効果になる。自然に判るよう神様は造ってある。花柳病の教育はいい。

人智の限度

“人智の発達には限度が御座居ますか。

“人智に限度はない。限度のない所に無限の発展がある。(限度があったら滅亡する)無限絶対無始無終で――。(S24・2・23)

記憶に就て

“物事を記憶したり忘れたりするのは霊的に如何なる意味になりませうか。

“霊的よりも、必要である。全部覚えていても具合がわるい。忘れてしまっても具合がわるい。(S25・2・23)

一つおきの法則

“高知県に於ての伝説でありますが、一家に男子が三人居る場合、長男が病気、災難等で順調に相続が出来ず、終には三男が後を取るやうな事になると言ふのであります。事実その実例もあるやうですが、あるとしたならば右の事柄は如何なる原因でありませうか、御教へ願ひます。

“凡て物は一つおきで、之が宇宙の法則である。病苦も苦しみも一日おきである。(S24・7・6)

メンデルの法則

“メンデル遺伝の法則は、霊的に如何なる意味があるでせうか。

“メンデルの法則はあるにはあるが、唯物的解釈で、学者は人間も動物とし、物質的に考へるから間違ってゐる。兄弟が多いと頭がわるいといふが、偉人は兄弟が多い所から生れる。西洋の統計にある。兄弟が多いと可愛いがられぬ。独立心が起る。それで偉くなる。故に産児制限などすると偉い人間もなくなる。一人など可愛がられるから偉い人は出ぬ。遺伝は一代おきにするやうになってをり、此点は合ってゐる。癩病など病気も一代おきである。  (S24・6・19)

性善説、性悪説

“孟子の性善説と荀子の性悪説は、大先生様の本、副守護神の一つの表し方と存じますが、如何でしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“まあそうである。性善説の方が本当である。悪は一時的のもので、性は善である。(S24・1・8)

進化論

“ダーウィンの進化論は正しいものでせうか。

“ダーウィンは間違ってゐる。人間の先祖はアミーバで、それからトカゲ―象―猿―人間となってゐるが、之は彼の想像したものに過ぎぬ。猿や類人猿の進化したものではない。初めから人間は造られたものである。ただ人間を造る場合、最初に虫など凡ゆる生物を造られ、最後に人間を造られた。それ故に、それぞれの生物の特色が入ってゐる。それで飛行機は鳥、戦争は猛獣の噛合い、歌ふのは鳥の真似である。(S23・10・17)

音響と夢

“音響に依て、夢を攪乱することが出来ると心理学者は申しますが、それは可能でせうか。又夢と霊との関係を御教へ下さい。

“音響は、夢を攪乱でなく、影響する。夢へ影響する事がある。(S24・10・28)

ニーチェの永劫輪廻

“ニーチェの永劫輪廻の思想は誤れるものでせうか。

“ニーチェの基本の思想は本能主義で、これは危険である。いい所もあるが、制限するものがないと奔放になる。飛躍的自由主義である。哲学や文学などは、民主自由主義などを作り出された基礎になった。ニーチェのそれも自由主義を生む基礎になったが、それがそのまま本当のものではない。輪廻は仏語である。  (S24・10・28)

羞恥心と人間

“羞恥心は霊魂にどの様に反映しますか。例えば不具者が大衆の中で自己の肉体的欠陥を羞じる場合です。

“訳はない。人間の羞恥の感情は神の与えた感情である。人間は羞恥心がなければ、動物みたいになる。羞恥心のあるのは高等である。悪人でも羞恥のないのがある。不具の為の羞恥は諦める外はない。執着を絶つ事である。(S24・9・5)

哲学の真相

“現在の哲学が唯物主観的立場にある以上、迷学というべきではないでしょうか。

“哲学は本来唯物主観であって、その一歩上が宗教である。ツマリ科学と宗教の中間が哲学で、どちらかといえば唯物の方に近いものである。だから哲学には疑問が多く結論がない。それで哲学へ入ると迷いが深くなる。要するに哲学は疑問を並べたものである。故に哲学は一種の参考としてみるのはよいが、それによって万事解決しようとしても駄目である。そうでないと懐疑に陥り易い。

直感

“直感といふものは、尊重してよいものでせうか。

“之は尊重してよい。初一念とか直感とかは正確である。変へると後は迷ひになる。ベルグソンの直感の哲学といふのがある。人間は今迄の教育や習慣などがあって直感出来ない。今迄のいろんなものを通して観る為種々考へ、乱れたり、迷ったりする。いろんな問題に遇った時、刹那の吾で見た事が一番正しいといふ。よく赤ン坊や子供など非常に巧い事をいふ事がある。本教をみるにも、今迄の教などが棒のやうに入ってゐて、それが障ってゐる。浄霊なども、その効果によって結構と思ふならいいが、いろんな理屈をつけると、すでに真理でない。故に直感は非常に尊いものである。(S24・10・28)

ユダとマルクス―資本家と労働者(霊界と思想事件)

“ユダとマルクスとは霊的な関係があるでしょうか。

“ある。凡て大きな思想や事件は霊界から来ている。之は善い事も悪い事もある。世界の資本主義が行われると段々偏りすぎる。そして大多数が苦しみ金持だけ良くなる。それはいけない。それを調節する為にマルクスが出た。然しマルクスが行われ過ぎると、労働者階級が権力を持ち過ぎ、今では資本家が苦しむ時代になった。之は又治ってゆき、真中へ来る。丁度ブランコのようなものである。どっちかへ行き過ぎ――。共産主義も必要だったが、行過ぎた為に資本家が倒れ生産が衰えた。その結果として、労働者も仆れる事になる。少し我慢して資本家も太るようにして――。唯物的の考え方は、自分自身を省みない。苦しみやいろんな原因は他にあるとする。そして他人を怨み、社会を呪う。日本人はその気持が強い。酒呑みや怠け者は困る。それを社会の機構が悪いからなどと、責任を他に転嫁する。日本などでは、少し偉いのが出来ると倒そうとする。出来ないうちに仆そうとするのがある。これは非常に悪い。(S23・11・3)

敗戦と現社会思想への考え方 

“道徳は或程度時代と社会状勢に応ずるものと存じますが、過去の戦時中に国家に尽した政治家、将兵、戦時産業家等は、それが最善の道であると信じ、又個人の意志に係らずそうせざるを得なかったという事も、神様から御覧になった場合、やはり罪になるものでしょうか。又他面、日本を敗戦に導き、その結果日本を本来の姿に帰した事は却って功徳とも考えられますが、この功罪は何れをとるべきでしょうか。将来起るべき世界大戦及びそれに伴う内乱の危惧は個人の意志に係りなく、社会状勢も左右何れかに決定される事と存じますし、世界が、国家が大試練、大浄化を受ける時、唯要領のみで安易な道を行く事は許されないと存じますが、この場合、左右何れかに属さねばならぬ時、如何なる態度をとるべきでしょうか。或は又宗教人として内村鑑三氏等が取った様な反戦運動等を起こす事は正しいのでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“小乗的、大乗的と両方の考え方がある。戦時中一生懸命やった人は小乗の見方であった。敗戦で救われたというのは大乗の見方である。敗戦の時、本当は祝うべきだと言った事がある。之は大乗的見方である。その時代の政治家の考え方は、日本さえよければ他国は不幸になってもよしとする。要するに日本的考え方で(之が大変な間違いで)世界的でなくてはならぬ。日本の皇道をロシヤへ持って行ったらどう思うと言った事がある。(通用しない)世界人類みんなが喜んで賛成する思想でなくてはならぬ。故に、皇道思想の如き、よろしく滅ぶべきであった。その頃(軍人は)集団的に殺人を練習した。(産業家は)戦争で勝って金持が大いに儲けようとした。故にああなるのは当りまえである。(泥棒的である。敗戦によって目覚めたのは大いに結構である)左右何れかに決定しない。(寸鉄にある)ブランコの両端の如しといった。両方で成功出来ぬ事を成功するように思って一生懸命やっているんでいい。吾等の如く、傍観者的に見ているのは、その上を行っている訳である。内乱がどう斯うの心配はない。極左の方は暴力革命などといっている。中国も蒋介石の行り方は悪い。軍国主義でファッショ的な点があったし農民を搾取した。毛沢東の方がよい。中共は百姓を苛めぬ。それが勝った原因である。安易な道の方が許される。霊に曇(罪)が少なければ、安易の道を行く。罪穢があれば苦しい道を行く。相応の理で行く。苦しんでいて、安易な道も行けぬ。好んで苦しんだ道を行く訳でない。(皆自分に原因がある)触れる必要はない。酔払いが喧嘩しているようなものである。故に仲裁に入る要はない。傍観していればよい。彼等は破壊の役、壊し屋であり、吾等は建設者で、建てる方の仕事で、今から木を削ったり、柱を作ったりして準備している。ヒットラーは、壊し屋の親方と先に言った。(S24・6・23)

引揚者の共産思想

“最近ソ連より多数引揚て参り、共産思想が熾烈となって来て、今後日本の思想の動向が心配されます。如何様になり行くでしょうか。御伺い申し上げます。

“共産主義の信用を落す為に、反っていい。八割転向したという。そんな心配した事ない。(S  (*)・7・8)

日本歴史の疑問

“(イ)出雲大社へは昔から勅使の参拝は一度もないとの事で御座いますが、皇室との間に何か理由があるのでしょうか。御伺い申し上げます。

(ロ)九州の島津家に其の時の当主でなければ見る事の出来ない書物があるとの事ですが、其の内容を世の中へ発表すれば、今迄の歴史は根底から覆えされるとの事で御座います。斯様な物が実際に存在するでしょうか。もしあるとすれば、私達が今日迄学んで来た歴史の真偽はどの程度で御座いましょうか。又何時の時代が一番疑わしいので御座いましょうか。具体的に御教示を御伺い申し上げます。

“(イ)大いに理由がある。神武天皇が東夷征伐の時、それまでは出雲朝が統治したのを、統治権を返せというので、天照大神の子孫として名乗り交渉した。最初はうまくゆかず、武甕槌、経津主によって勝った。それで勅使が参拝せぬのである。朝鮮は日本を征服した。十月は神無月といふのは出雲朝で言出した。十月に日之御崎から神がお帰りになるという。一月間。之は朝鮮の神である証拠で、統治した時そういう事になる。

(ロ)国土奉還の時と、瓊々杵尊の時が疑わしい。之は根本的の訳がある。之を知ると歴史は、根底から覆える。発表したいが未だ早い。その現われは終戦後日本の戦争はああなり、特権階級は落ちた。斯うなるべき深い理由がある。之は見真実の一部である。信仰が進めば判る。世は変りつつあり、世界がどうなるかも分る。プログラムは出来ている。霊界では相当出来つつあり、五六七世は霊界の中心では出来ている。(いくら邪神が足掻いてももう駄目である)今後は暗示的にいう。(その人の智慧証覚で知るべきである。智慧の啓発が肝要で、そうすれば日本の歴史は分る。日本の歴史は大きな勢力が天下を奪り合った。それが敗戦によってなくなった。それは、敗戦は祝わなくてはならぬと皆に言った)徳川と天朝―皇室は最後に相争った。源平、保元、平治等そうである。大国主命の娘は綏靖天皇の妃となった。斯ういう点はなかなか偉い。徳川家康は大国主命の人間に表われたもので、皇室と別の系統で、徳川は皇室をなくすつもりだった。計画的にやろうとし段々段々皇室は衰え、徳川が実権を握り、終には皇室は十万石にした。生活出来ないようした。終には公方、禁裏様などといって――。二・二六事件は天皇を退位せしめ、秩父宮を立てようとした。秩父宮は大国主系統で、それにより取ろうとした。松平恒雄の先祖は徳川秀忠の小間使で、秩父家は徳川一門で固めた。天皇の方はそれを見抜いて、秩父を病気として、戦時中顔を出さぬようにした。このように今迄は、二大勢力で争ったのである。(S24・8・5)

竹内文書と裏十誡

“茨城県磯原の竹内巨麿氏方に竹内文書という古文書と共に古代天皇の御神骨にモーゼの十戒が彫ってあるそうですが、旧教と日本とに何か関係があったのでしょうか、亦此モーゼの十戒につき――。

“これは神骨でなく石である。又裏十誡である。神武以前の歴史である。十誡はキリスト以前に尊ばれたもので、裏十誡はちがう。

義経と成吉思汗

“義経と成吉思汗とは、霊的関係が御座居ませうか。

“義経は蒙古へ行った事蹟はある。成吉思汗との関係はないと思ふ。(S25・2・8)

宇宙無限

“宇宙は有限なものでせうか。無限なもので御座いませうか。又その極限は如何になってゐるのでございませうか。

“宇宙は無限で、極限はない。無始無終といふ。将来どの位発達するか判らぬ。大空も無限で、天文学的数字で、数える事は出来ぬ。年数も無限である。年数も無限で、之は経緯は無限の拡がりとして、経の生命も無限である。  (S24・10・14)

万有の固結性

“私は本年三月医科大学を卒業した一医学徒で、入信以来日の浅いものであります。本教の治療に於ては、「病気、固結を融かし、医薬は病気を固める」と言はれますが、医薬が病気を固める理由を御教示御願い申し上げます。

“万有は時によって固まるもので、生物は固まらぬ。人間の身に、あるべきでないものは固まる。石も硬化作用で石になる。これが段々固まると解体作用が起りボロボロになる。万有は硬化作用で固まると光る。暗星もそうで、それが分裂作用で流星になる。膿でも、薬毒固まり、今度は溶解作用が起る。そして熱が出て液体になる。(S24・5・15)

理想世界の風雨雷霆の左右 

“理想世界にて風雨雷霆を思う様に左右出来るとしたら、どれ位の階級で出来ますか。

“階級で出来るんでない。科学が進歩して、出来る。原子力発見もその順序である。

科学の神霊世界接近

“神霊の世界へ突入せんとしつつあると仰せある既成科学は、其の進歩の一段階として、人間社会の道徳、芸術、恋愛等に対し聊か解明の術を知り得てゐるので御座いませうか。

“既成科学は未だ知らない。そこまでゆけば、神霊の世界へ入ったものである。まだその手前である。  (S  (*)・10・14)

醗酵菌と水素、保護色水素菌と人間の想念、行為

“醗酵菌は大体水素から発生する。冷たくては起らぬ。火素が必要である。火素も或程度の火素で、後は水素の領分である。水素の菌は、人間に役立つものと、毒するものと両方ある。人間の想念や行為でつくる。原子破壊は言葉が合っていない。水素全滅である。動植物の保護色、どうも斯うもない。神が斯ういふ風に造った。

微粒子(音波、電子、光子、想念言葉)

“音波などは密度が荒い。一そう細かいのが電子である。次に細かいのが神霊子で――。水素に毒素が出来る。毒素が水素を変化さす。神霊は火素で、これにより毒微粒子を解く。光子。想念や言葉も微粒子である。  (S23・7・12)

水素微粒子と科学の水素

“毒素発生の水素微粒子と化学的水素原子とは同一で御座居ませうか。

“科学的水素と同じである。科学的に顕微鏡などで見えるのは荒っぽいものである。私の方でいふそれは、もっとウンと細かい。何処まで小さいか無限である。普通の科学でいふ水素の一億分の一より小さい。青空が無限に大きい様なものである。

原子論の真義

“一、原子核は火素と水素の結合体に依り、構成されてゐると考へられますが、エレクトロンの構成に就て――。

二、原子核中の中性子に就て――。

三、プロトン(陽子)エレクトロン(陰電子)と、火素、水素、土素の三原素の関係に就て――。

“一、エレクトロンは陽、ミクルトンは陰であるが、科学は逆にしてゐる。陽子は一つである。その周りを陰電子が取巻いてゐる。水が取巻いて火を緩和してゐる訳で、地球の中心は火の塊で、地球の陽子を空気が取巻いてゐる事は水素を囲んでいる訳で、火素の点を取巻いてるのである。

二、九つ取巻いてゐる。僅かなものが爆発する。(S24・11・9)

霊子と原子

“再び霊子並びに原子に付いてお伺ひ致します。

イ、光新聞第三十八号の御論説中「此五種類とは陰陽のミューとパイが日と月の二精で、中性の中間子が日月の合致粒子で、他の二種が土及び星の精であって、此の力の主座は勿論中性子である云々」の御説を次の如く当嵌めて考へて宜しいでせうか。ミュー  陰  ―  土の精陽  ―  日の精パ  イ  陰  ―  星の精陽  ―  月の精中性の中間子―  日月の合致粒子 

ロ、尚第一、二、三各霊子を火、水、土三要素に当嵌める時は如何になりませうか。

ハ、原子のエレクトロン数を人工的に変へる事に依って、鉛も金にする事が出来るといふ様に――。人間の性質、精神作用を其人の霊魂乃至心の霊子核に依るものと仮定し、其の霊子核を即座に変化させ悪人を善人に教化することは出来ないものでせうか。

“ミューは陰。パイ、陽。人間はもっと霊妙微妙なものであるから、それは出来ない。さういふ分子より何億分の微粒か分らぬ。やはり霊素でする外ない。こまかいのは無限である。(S25・2・3)

水素爆弾に就て

“之は原子爆弾である。原子爆弾は物体から水分を抜くと外の原子が出て、それにつれて爆発する。その場合水素を与えると爆発力が大きくなるのである。(S25・2・8)

水爆の偉力

“二月十三日の毎日新聞に、米国の原子学者ラルフ・ラップ博士の語った、一個の水素爆弾の重量は二十五トン、高度四マイルから落すと、百平方マイルの地域を破壊、三百乃至四百平方マイルを熱光線で被うことが出来る。ソ連国内で、水素爆弾を落す価値のあるのは、モスクワ地域のみである、という報導が御座いました。右は多少誇張が有るので御座いましょうか。又ソ連の方の様子に就きまして、御垂教を御願い申し上げます。

“之は本当であろう。計算からゆくとそうなる。神様のお知らせはあるが、今言えない。心配はしなくともよい。(S25・2・18)

原爆で台風中心破壊

“此度の台風の被害は人的、物的に多大なる被害を受けました事ですが、我国の食糧事情も不足している折柄、大阪毎日新聞の二日付社説を見ましても、米換算一千万石も台風に依り減ぜられている由ですが、アメリカの科学者の間に原子爆弾により台風の中心地を破壊すると言ふ説も出てゐるとの事ですが、之も未だ実現の域には達せず現今にては科学の進歩も、自然の猛威たる台風を克服する迄にはまだ至ってないとの事ですが、吾々農業者に負荷せられたる食糧の増産は緊要なる事ですが、反面之等の被害を最少限度に止めたい念願は、国民の一人として止み難き感を覚ゆるものですが、之れが防止策として唯心的方面よりしては大先生様の御高見を御拝聴させて頂きたいと謹んで御伺い申し上げます。

“原子爆弾では絶対に出来ぬ。ラジュウムで癌を治すようなものである。(S24・9・6)

音声と機械的音との反映力

“人間の口より発する善言讃詞と機械的、例へば蓄音機、録音機等から発す善言讃詞とは言霊界に如何様に反映致しませうか。御伺ひ申し上げます。

“人間の口から出るのは霊が入っている。録音では形だけである。人間と人形の異いがある。  (S24・5・25)

色彩

“色彩の原素に就いて――。

“太陽の光線―電気の光線もある――を吸収する事により色彩がある。(S24・2・23)

電気、磁気

“電気、磁気等は素から見ますと如何なる構成になって居りますか。右御教示を御願い申し上げます。

“霊界の電子、磁気。科学者が研究して、人間の身体から磁気が出る。これで病気が治るという事を唱え、ヨーロッパで盛んだった―磁気療法として――。前に療法時代、手から出る霊射を、磁気といった人もあった。今でもある。磁気とは、はっきりしていない。人体電気という人もある。つまり電子といってよい。判らない事を、凡て磁気と言ってるようである。

電気の毒

“先日の御伺ひ中、「扇風機の風によって頭痛を感じました。如何でせうか」とあり、そのお答に「電気には毒素があるから――扇風機の風を下より当てた為、死亡した人があった」と承りました。すると電気を扱ってゐる人は毒素を受けますでせうか。又電気には何故毒素があるのでせうか。

“電気には毒がある。電熱は科学的に査べると一番毒素が多いといふ。扇風機はそんな事はないが不自然である。又有毒の風をブッつける。股へ風を入れ乍ら死んだのは、冷した為に麻痺したのである。

扇風機掛け腰下麻痺感

“五十二才の女ですが、半年程前に扇風機をかけて寝た其の翌日から、腰から下の方が気持が悪いので、あんま、はり、指圧等をやっても治らないので、其後、電気治療や医師にもかけ、色々やったが段々悪くなって、今では腰が萎へて立つ事も出来ません。腰から下がしびれた様な気持ですが、さはると感じはあります。医師は運動神経がにぶったと言ふて居ります。どこが悪いためでせうか。又霊的には如何なる関係でせうか。浄霊をする場合、どこを重点に置いてやればよいでせうか。又浄霊だけで治るでせうか。本人は四回浄霊を受けただけで此の道の事もわからず、随って御光も受けて居りません。御伺ひ申します。

“いろんな事をやった為である。扇風機ではよくある。扇風機の障害より治療の為の症状が多い。扇風機をかけた場所を浄霊する。一時一部神経を殺した意味になる。電気には非常に毒素がある。大阪の芸者で扇風機で死んだのがある。電熱も、長くかけるとわるい。試験の結果電熱から出る毒は一番強い。身体全体に扇風機をかけるのは大した事はないが、局部的に冷したりするとわるい。冷えると固める理屈になる。今迄は固めた。前に横浜の方の人で、元の病気は治ってゐるのに、氷冷した為に、食欲がなくなり、衰弱して死んだ事がある。(S24・3・15)

雷光の稲妻型

“雷光は何故、稲妻型に光るので御座居ましょうか。御教えを賜り度う御座居ます。

“空中で陰陽電子が摩擦の刹那起るのであるから、非常に早いから起る。宗教的にいえば、火龍―火を扱う龍神―が、口から火を吹く。それが吹くんでそうなる。どっちも間違っていない。信じられる。(S24・7・1)

螢光―日光、月光

“螢の光は科学でも未だ解けぬといわれて居りますが、これは如何なるものでございましょうか。御伺い申し上げます。

“光には、日の光と月の光とある。螢の光は月の光である。であるから熱の分子がない。冷光である。熱のあるのは熱の体が多い。月の光は、日の光の霊(冷)が多い。青い。(S24・5・2)

螢光の原理

“螢の光の出る原理又無熱にて光る原理――。

“無熱ではない。霊の熱はある。霊の火は熱くないが強い。霊の光である。熱いのは体である。(S24・8・16)

燃焼

“燃焼は物質の霊化で御座居ますか。

“燃焼は、物質の霊火である。  (S24・9・29)

摩擦熱と霊気

“摩擦熱は霊気に関係がありますでせうか。

“摩擦で熱くなるのがそれで、霊気とは関係はない。

細菌爆弾

“今後の戦争に於て細菌爆弾が使用されました場合、如何なる状態になりますでせうか。又信者の場合は如何で御ざいませうか。

“寸鉄にもかいたが、信者は大いに歓迎してよい。原子爆弾は恐いものではない。白布を着けた人は助かる。防空濠に入ってゐれば大丈夫である。(S24・6・19)

細菌爆弾

“原子爆弾と細菌爆弾との相違点及び其の効果について御説明下さい。又細菌爆弾は今後の文化発展に如何なる役割を果しますか。御説明下さい。

“細菌爆弾は吾々には結構である。  (S24・9・27)

尸解の法則

“鳥は死ぬと忽ち霊化すると言ひますが、その他の動物は如何なものでせうか。又人間やその他の動物で生きながら霊化することが出来るでせうか。

“鳥は全部霊化するが、鳥に限らず、他の動物でも霊化するのが沢山ある。人間に飼はれると出来なくなる。所謂尸解の法則である。猫など可成霊化する。熊や狼など殆ど死骸はない。物質が霊化するのであるが、之は人間でも生き乍ら霊化する事がある。先日亀井三郎といふ人が来て「自分でも霊化する事が出来る」と言ってゐた。英国の俳優で、舞台に行く時壁を抜けて出て行った実例がある。亀井氏は縄抜きなどよくする。

屍化

“烏は自分のなきがらを地上に残さない様で御座いますが、どういふ訳で御座いませうか。尚かう言ふ事が獣の一部にも御座います様に聞いて居りますが御伺ひ申し上げます。

“屍化の法といい、霊化してしまふ。烏に限らず鳥は皆さうである。家畜となるといけない。自然に生活してゐるものは皆屍化の法で、身体が発散してしまふ。それだけ彼等は汚れてゐない。自然である。邪念などない。(S24・1・5)

鳥の最高位

“霊位の高いお話で、鉱物では金、木では檜と申されますが、鳥は何鳥が一番霊位が高いのでせうか。

“烏は夜明けるもの。日を表はす場合には、日をかいて烏をかく。月は兎を表はす。私の副守護神は烏で、昔恐しくなってポロポロ涙を出した。そして之からは間違った事は出来ないと言ってゐた。

烏に就て

“烏について。

(イ)、その鳴声で吉凶が判るものでせうか。

(ロ)、霊性が高いとの事ですが、声や形がそれ程美しくない事には意味があるのでせうか。

(ハ)、その鳴声は多くの人は嫌ひますが「喜び鳴き」といふのは聞く人によっては良い声でせうか。

右御教示御願ひ申し上げます。

“(イ)  吉凶が判る。烏が啼いてると、烏を呼んでゐるから、烏が啼くと死ぬなどといふ。研究すれば判る。

(ロ)  霊感ある鳥である。昔から天照大神のお使などといふ。太陽に関係がある。天狗界へ行くと烏天狗となる。鳥の天狗の中、一番の神様の事がある。霊性の高い事は事実である。

(ハ)  大抵は嫌ふ。死ぬ日の朝などよく啼く。人の死骸を食ふ。予知して仲間を呼ぶものとみえる。喜び事に啼く時は滅多にない。芸妓など美人でも悪い事をする。必ずしも美と霊格などは一致せぬ。

烏啼きと吉凶

“烏啼きは、吉凶に関係があると申されて居りますが、如何なる意味を持って居るもので御座居ませうか。

“ある。烏は死骸を突ついて喰べるのが好きで、死の前には死骸の匂ひがするので、それが烏に判る。そして突つけると思って友を呼ぶので、啼き方によって言葉が通ずる。吉には関係はない。外の鳥、鶯などは吉である。  (S23・12・2)

九官鳥

“九官鳥は人の言葉を真似しますが、これは転生で御座いませうか。

“転生である。九官鳥は、人間の霊が憑り易く、溶け込み易い性能を持ってゐる。人霊と感応しやすい。(S24・3・14)

動物の霊感

“一、鼠は火事を予知してその家から移動するとの事ですが、鼠等にはその様な霊感がありますものでせうか。

二、鳥や虫の中には、その地方に起るべき飢饉を予知して、事前にその牝が減少すると言はれますが事実でありませうか。

“一、ある。動物には霊感が人間の及ばぬ程ある。火事の起る前、霊界に火事がある。それで逃げる。  (S25・2・3)

鶏鳴の変化

“最近宇都宮地方の農村も町も、鶏が夜中に不規則に鳴きますが、如何なる理由でせうか。何か特別に意味があるので御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“鳥などは割合に霊感がある。霊界が昼になるのを感ずるのであらう。夜から昼に移る場合、いろんなものに変化が起るが、良い事が多い。(S24・11・17)

午后の鶏鳴は不吉か

“昔の人は宵の口から鶏が鳴くと不吉な事が有ると言はれて居りますが、最近午后の九時頃から鳴きますが、如何なる訳で御座いませうか。又何か霊的に関係が御座いませうか。御伺ひ致します。

“関係がある。鶏や鼠のやうなものは、感受性が強い。霊界から先に起るからである。然し、もし浄化があれば喜ぶべきである。(S25・5・7)

水死者の上で啼く鶏

“水死人を探す時、鶏(ショコク鳥)を盥の中に入れて水面を浮動致しますと、死人の上に来た場合その鶏が鳴くそうですが、何か霊的な関係が御座いませうか。御教へ御願ひ申し上げます。

“鳥などは霊的に敏感なものである。地縛の霊は動かぬので、鶏などそれが判るんで啼くのである。(S24・5・22)

雌鶏のトキ作る事

“「めんどり」が毎朝「とき」をつくると、其の家に間違が起ると言われて居りますが、如何で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“そんな事はない。然し鳥などは、霊的な事は人間より敏感だから、何か知らせる事はある。  (S25・5・18)

蟻と多雨

“暦に、蟻がしきりに畳の上にはい上るのは、雨の多いしらせと言ふ事が出てをりましたが、現在曇天の日に、部屋の中に蟻がはい上って来るのに気がついてゐる信者が御座いますが、龍神と蟻と霊的に何か関係が御座いませうか。御教へをお願ひ申し上げます。

“水素を含むと蟻によく分る。龍神とは関係はない。蛇の死骸が全部蟻になった事を以前かいた。蟻は霊感が敏捷である。(S25・5・22)

猪妊婦の家は荒さず

“私の村では毎年猪が出て作物を荒します。然し家庭に妊娠してゐる人がありますと、隣の家の畑迄荒しても、その家には被害はありません。何か訳が御座いませうか。

“獣でも、獣としての霊感はある。

犬遠吠、鶏夜啼

“犬が遠吠したり、鶏が夜鳴きをすると変事があるとは、如何なる訳でせうか。

“動物には霊的の感覚があり、彼等はよくそれを知る。

家の曇と動植物

“人間の飼育する家畜の病気や栽培する植物(庭園の松、杉等)の病気は人間の想念の曇りであるとの御教へを頂いて居りますが、その飼育する動物の特に眼が病気とか、又は植物の枝が病気とか言ふ様な場合には、その家の人間の眼とか体の或部分に霊の曇りがあり、それが家畜、植物に移写するもので御座いませうか。又地上天国完成の暁、人間の霊体が浄まり、霊界が清浄化されました時には、人間が飼育する動物は野山に棲む動物と同様、死と共に霊化するもので御座いませうか。又霊化とは如何なる形に変化するもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。

“そんなに繋ってゐるものでない。霊界が曇ってるとその影響を受けるといふ意味である。動物など病気の場合に屍化る。(S25・3・22)

家畜変化と家の没落

“馬や牛が井戸へはまって死んだり、焼け死んだりした家が没落してゐますが、これには訳がありますか。其の様なときは如何に致せばよろしいでせう。

“之は、人間が畜生道に生れ代ったもので、供養の仕方がわるいのである。今迄のお経は霊が嫌がる。善言讃詞など喜ぶ。

鼠害の原因

“光明如来様をお祭りをする前は、相当ねずみに悩まされました。唯今は大変少くなりましたので喜んで居りますが、他の室や物入れなどの、特に私の物ばかりを齧ります。どういふ訳でせう。お尋ね致します。

“鼠に怨まれてゐるか、鼠が好む匂ひがあるかどっちかである。信仰が進み、霊が浄まるとなくならう。時期を待つ事である。(S24)

動物の人工受精

“動物の人工受精は霊子が入るので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“動物は器械的にやっていい。人間と異ふ。(S24・1・21)

牛の鼻木

“人に頼まれて牛の鼻木を通しておりますが、今後やってもよい事でしょうか。

“やってもよい。人間はいけないが動物ならば差支えない。

動物と虐待

“動物そのものは、苦痛や喜びの感じ方が鈍感である。人霊が動物霊に落ちたのは、その点非常に鋭敏である。虐待はどっちも喜ぶ。或看護婦会長は、小便を呑むのが好きで、柄杓を出しては小便を呑むといふ。犬は、糞を食はずにゐられぬ。犬の生れ代りで糞を食ふのがあった。(S23・9・21)

動物愛護と蛇、蛙

“蛇や蛙を虐待しますと祟る事がありますが、動物愛護の問題とどういう事になりますので御座いましょうか。

“蛇や蛙は牛馬とは異う。之は動物愛護とは関係ない。蛇はドンドン殺していいが、殺しっ放しではいけない。人の踏まぬ所へ埋めてやる。そして幽世大神に人間に再生するよう祝詞を奏げてやる。蛇は醜い姿という事を、大抵の蛇は知っている。醜い姿を人の目に触れるのはいけない―というと出なくなるものである。早く一生を終って人間に生れたいのである。蟇蛙は違う。普通の蛙は、虫にすぎぬ。(S23・10・19)

龍神の存在

“一、龍神は大昔実在した由承りましたが、麒麟、鳳凰なども実在したものでしょうか。

二、絵や彫刻等で夫々形が色々ありますが、如何なものでしょうか。

右御教示御願い申し上げます。

“無論、麒麟、鳳凰もいた。龍神は地球を固めた。次にマンモス、今の象の何倍――。(S25・5・23)

大蛇の毒気

“大蛇を見ると病気になると申します。それは大蛇が毒をかけると言ひますが、霊的な作用があるので御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“よほど大きい大蛇でなくてはそんな事はない。普通の蛇には滅多にない。よく大きい山で、大蛇の毒気で病気になったり、死んだりする事もある。毒気はあるにはある。よく妙高の山に大蛇がゐるといふ。(S24・4・22)

両頭の蛇

“両頭の蛇を見ると死ぬと申しますが、霊的に何か意味がございましょうか。お伺い申し上げます。

“死ぬような事はない。両頭の蛇はある。人間なら双児になる所である。大した意味はない。  (S24・4・22)

純粋家畜は弱い 

“純粋種の家畜は非常に弱いように思いますが、如何なる訳でしょうか。同様によい品種の植物も弱いものですが、如何でございましょうか。

“弱いのは、人間が間違った事をしたからで、肥料で弱らせたのと同じで、大事にしたからである。然し、良い物は弱い。鉱物と同じように、人間にも生れ乍らに位がある。(S25・5・23)

牛種付不良

“昨年頃より牛の種付の成績が悪くなりました。三年前は殆ど一乃至二回で受胎しましたのに、唯今では仲々受胎致しません。又死亡率も早産率も高くなりました。右の原因を御説明願ひます。

“薬をやると斯ういふ事がある。出来るだけ浄霊して薬毒をとる。

執拗な馬の腫物

“昨年暮より馬の左頬の出来ものの浄霊を依頼され続けて居りますが、未だ全快致しません。局部丈の浄霊では駄目でしょうか。又、全快するものなれば何日位かかるものでしょうか。御伺いします。

“浄霊者の霊力が足りないのである。(S24・2・27)

家畜の病気

“動物にして人間と同じ浄化を受けるのは、人霊の堕ちたものでせうか。

“獣などのいふ事はいいかげんなもので、人間が畜生道に堕ちたもので、家畜の病気は大部分はそれである。今は動物に注射などする。その薬毒の浄化なども多い。

馬の病気

“私は一月程前から馬の出来物の浄霊を頼まれ、毎日通って居りますが、吹出が止ったと思ふと又元の様に出て来ますが、全快するものでせうか。その吹出は左の頬骨の上で、食物はかみしぼった物を少し位戻しますが、口中が悪い為でせうか。

“注射の薬毒である。出るだけ出れば治る。(動物にも此頃薬を入れるが家畜は弱い)野性の動物は病気などしない。(S24・1・27)

馬の伝染病

“馬の伝染病(伝染性貧血症)にかかると、直ちに注射一本で数分以内に殺してしまいます。この原因――。

“馬の薬毒である。

乳牛の不良

“私は本年四月入信いたし、家は農業です。飼育して居ります役乳兼用のショートホーンは、本年四月二十六日子を産みましたが、左側の乳房が悪く、初めは乳が四、五升位で普通でしたが、二、三週間後から下り乳となり、今は一日六、七合位になってしまひました。食欲は少く、諸先生の御浄霊を頂きましたが、良くなりません。何か霊的関係でも御座いませうか。御伺ひいたします。

“霊的ではなく薬毒であらう。今は注射など盛んにやるからその為であらうし、浄霊の見当も違ってゐやう。よく光明如来様にお願ひする。それで悪かったら再び質問せよ。(S24・9・17)

厩と馬の反抗

“一、厩に就て。厩の場所が主屋の鬼門の方角に在っても差支えないでしょうか。

二、馬死供養。厩の入口に御霊紙張ってよいか。

三、馬に就て。昨年まで非常に良く働いた馬が、子を産む前から若干ずるくなり、殊に本年子馬を産んでから鞭を持って追えば、噛みついたり蹴ったりして働かないのであります。先日、この馬の主は御分霊を頂きました。御浄霊の急所と霊的関係のせいでしょうか。この家は以前稲荷を信仰致しておりました。

“一、鬼門の方角はいけない。

二、そんな事しなくとも、光明如来様をお祭りすれば安産する。

三、稲荷でも憑いているのでないか。早くお奉斎する。(S25・5・23)

月夜の蟹

“月夜に蟹の肉がなくなりますのは、如何なる訳で御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“海老でも蟹でも、底に影が写って怖れるからであろう。月夜で影が映り、影をみて恐れる。自分の姿を知らぬ、之は事実であろう。シヤコなどもそうである。(S23・12・11)

蚤、虱等の存在

“御道に入らせて頂いて、黴菌や蝿の存在の意味を判らせて頂きましたが、蚤、虱等にも同様の意味があると存じて宜しいでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“同様の意味である。毒血を吸いよせる。(S24・5・23)

食用蛙

“輸出品にまでなって居ります食用蛙は、神様が人間に食用として供されたものでせうか。

“食用として供されたものである。蟇は殺すと祟る。(S24・9・13)

猫の自殺

“光明如来のお祭り致しますと、飼猫が集まり来り、光明如来を慕ふが如くに見え、そして順次痩せ衰へ死に到るのが諸所に起る現象です。之れに就き御説明を御願ひ致します。

“之は理屈はある。あり得べき事である。人間が猫に落ちたもので、猫の希望は、再び人間に生れ代る事であるが、それで光明如来様の御前に集り、又、悪い物を食ふとか、絶食するとか、猫の出来る手段で自殺するのである。

白鼠出現、他の鼠出なくなる

“私の家に三月頃より目の赤い大きな白ねずみが一匹居ります。人が居りましても昼でもチョロチョロ出て参ります。白ねずみが居る様になりまして、今迄困らされて居りました他のねずみは出なくなりました。私の家と何か因縁がございますでせうか。

“ある。人間が鼠に生れたもので、昔商店の番頭でもしてゐたのであらう。此家の祖先であらう。他の鼠が出ないのは、その白鼠が睨んでゐるからで、度々食物をやった方がよい。(S25・5・16)

蛞蝓に就ての奇象(人間の転生はない)

“笹野あいと申す信者で御座いますが、此のお宅は以前、現在住んで居ります所より一丁ばかり離れました所に住んで居りましたが、元住んで居りました所の井戸を、当人が転居致しましてすぐ家主が井戸側(土管)を掘り出して終ひまして、水溜りの様になって居りました。そこに蛞蝓が居りましたが、之を笹野さんの子供達が遊びに行き石を投げ込んで埋めてしまひました。するとそこに居ました蛞蝓が笹野さんの家の障子の桟を這ひ、何時の間にか床の間の御神体をお祭りしてある所を這ひ廻った跡がついて居りました。これは霊的に何か意味が御座いませうか。お伺ひ申し上げます。

“蛞蝓も蛇、蛙と共に三すくみといって、霊的に普通のものとは違ふ。人間が蛞蝓になるのは滅多にない。然し、人間が動物になり、動物が蛞蝓になる事はない事もない。人間は虫にもなる。光明如来様に救はれたい為に来たのかもしれない。御神体の紙の所でも、醜くなければよい。蛞蝓は、物質の霊化をするし、霊の物質化もする。塩をかけると消えてしまい、いつか横へ出る事がある。実に霊的である。(S25・2・2)

怒った亀

“或る家で田植の休憩時、その日は雨天でしたが、休んで居る所に大きな亀が出て来たので、主人が之を取って「肉は酒の肴に甲は煙草入にして利用しよう」と申しました。ところが自分の簑に火が付き大火傷を致し、馬は堀の中に落ち込み前歯二本抜けてしまいました。其の後主人が物を背負って坂道を歩いて居る時、ふとした事で転び腰を痛め、立つ事も出来なくなり、医者にかかって居ましたが、現在は打った所から液が出て苦しみますので、此の亀を近くの溜池に放してやりました。其の後は凶事は起りませんが霊的関係でしょうか。

“これは人間が亀に生れたものである。亀は特に霊的動物であって、人間と同じような感情を持ってるもので、亀が怒ったが、放してやったので収った。すべて人間に危害を加えぬ限り殺してはいけない。危害を加えれば、正当防衛になる。

虫腹膜患者のみに這う

“夜、「エンドウ虫」が沢山部屋に入り、腹膜の悪い病人にだけ這い上る相で御座居ますが、何か訳が御座居ますでしょうか。

“腹膜などは毛細管から汁が出る。それを好むのであろう。(S24・6・22)

鼠の霊力

“夜分寝て居る時に、床の上に「ねずみ」が昇った為にうなされたり、苦しめられたり致します訳をお教え下さい。

“鼠は天井に居て、人間を睨むと、人間はうなされたり、苦しんだりする。斯ういう事がある。鼠は、斯様な霊的力をもっている。鼠が出ないようにする外はない。

白鼠(他動物の転生せるもの)

“或信者の宅に数匹の鼠が何時も一緒になって遊んで居ます。珍らしくその中に一匹の白鼠が居ますが、霊的に意味がありませうか。

“すべて動物は古くなると、毛が白くなる。この鼠は兎か白猫の生れ代ったものである。白猫などは、ウンと鼠を食ふと、その怨みで鼠に生れるのである。

鼠いなくなる

“私の家に二月頃より鼠が居なくなりましたが何故でしょうか。

“何かの事情がある。火事の前に鼠がいなくなる事は余計あるが必ずしもそうでない。(S24・6・6)

白鼠死す

“私の家に昨年末頃より白ネズミが現れ(一匹)、大分成長致しましたが人にも恐れず、動作も緩慢な為猫に喰はれたか、本年になって見えなくなりました。私は一月十一日入信、主人は結核で寝て居ります。凶(ワル)い前兆ではないでせうか。御教示願ひます。

“(神様にお願ひして、時を待つ)?(S25・1・16)

蜘蛛の災

“邪神は多く蜘蛛を使う。大きい蜘蛛は邪神が憑依する。この人を苦しめようとの邪霊か邪神かが憑ってやったと思えばよい。蜘蛛は気をつけるべきである。

人間と蜘蛛、蜘蛛の夢

“最近入信の信者、教習第三日目の終り頃、左肩に大きな蜘蛛がゐる感じがし、今迄にも身内のものが死ぬとか生れるとかの時には、矢張り大きな蜘蛛を夢で見ましたが、如何なる訳でせう。

“人間は虫に生れ代る事があり、特に蜘蛛に生れる事がある。又蜘蛛が人間に憑依したり、人間が蜘蛛に憑依したりする。芝居などで土蜘蛛をやるが、あれは蜘蛛が人間に化けるのであるが、ああいふ事はあったとみえる。クモで迷ってゐるのがあり、無論それは祖霊である。クモになって知らせたので、救はれたいのと、喜びを知らせた訳で――。やがて修業が出来ると、人間に生れるのである。

蜘蛛と人間

“蜘蛛と人間の関係に就て――。

“蜘蛛は虫をとる。それだけの働きしてゐる。小さい虫など食ってるが、それだけ役に立ってゐる。

八割の犬

“昔から八割の犬を飼ふと「主人が負ける」とか「病人が絶えない」とか言ひますが、何か意味が御座居ませうか。

“人間の生れ変りで、犬が人間の上になるから負ける。入信すれば上になるから、斯んな事はない。(S24・8・19)

亀と大漁

“昔から海亀がとれると、殺さないで其の亀にお酒を沢山呑ませて海に離してやると、次の漁には非常な大漁との事で御座います。この様な亀には如何なる働きがあるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“亀は非常に霊的なもので、普通のものと違ふ。御馳走して助けると、お礼として助ける。(S25・1・11)

みみずに小便 

“「みみず」に小便をかけますと、其の子供の陰部が赤くはれますが、之は霊的に来るので御座いましょうか。それとも毒素の浄化で御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“みみずは霊的である。霊的に来る。みみずの生霊が怒る。みみずは龍神の一種である。  (S23・12・11)

蚯蚓に小便

“子供が蚯蚓に小便をかけると男根がよく腫れますが、霊的にどの様な原因があるものでしょうか。

“みみずの霊が怒る。みみずは龍神の一種である。龍神は汚される事を非常に嫌う。(S24・8・23)

河童

“河童――。

“存在している。河童という特殊のものがあった。感情も人間と同じようだし、喜怒哀楽なども同じようである。昔は相当あった。一番蛙に似ている。ヌラヌラして真蒼い。

兎は鳥

“兎は一羽二羽と数えますが何かわけが御座いますのでしょうか。

“兎は鳥の部へ入っているからである。兎は駈ける時に飛ぶ。脚二本で飛ぶ訳である。(S24・3・14)

河童の感情、性格

“河童は胡瓜を好む。河童は義理固いもので助けると屹度礼をする。非常に角力が好きで、いくら投げても投げても掛ってくる。記録に見えているが、よほど人間の感情のようなものを持っている。身体はヌルヌルしており、子供位の大きさで、根気のいいもので、頭の皿に水が入っている。

植物は夜成長す

“植物は夜間成長するとの事ですが、之は如何なるわけでございましょうか。

“夜は水の霊気、昼は日の霊気。つまり父母のようなもので、父は昼、母は夜になる。  (S25・5・13)

柿と循環率

“一、果樹に就てよく申されることがありますが、多くの場合、果実の沢山なるのは一年置きの様でありますが、如何なる訳で御座居ませうか。

二、又栽培法に依って、之をなくする事が出来ませうか。御教へ願ひます。

“柿などは特にひどい。すべて一切は循環率になってゐる―一年おき。神様がさう造られてゐる。熟った時実をとると翌日よくなる―といふ方法より外ない。梅毒など一代おきで、病苦も一日おきで、之が循環率である。(S24・8・18)

循環率(果実)

“果実類は隔年に実りが多い様に見受けられますが、何の関係で御座居ましょうか。御教示御願い申し上げます。

“果実類に限らぬ。特に柿など著るしい。一つの循環率である。そうなっているから、造物主に聞かねば解らぬ。遺伝でも、癩病でも一年おきである。(性質も祖父母に似る。病気も)(S24・6・23)

木と家の盛衰

“信者の庭内の木が立枯をし、其の後十二才の女子が病名不明になり、此の浄霊に依り一時良くなりましたが死亡致しました。此の木について何か関係がありますか。又処理は如何でせうか。

“自然に立枯れたものなら祟る訳はない。その家に禍のある時は庭木など相応の理で枯れる事がある。一番眼目の木は松で、その家の主人に当る。以前大森時代、大松の枝が雪の為に折れたが、果して災難があった。その人の一切はその人と合ってゐる。人間が何かあると木が先になる。衰微する家の木はどことなく威勢がない。木が活々してゐるとその家は繁昌する。その家の感じと木の感じである。二、三年前唐崎の松が枯れたが、すぐ後災があった。(S23・10・15)

松の木に就て

“近頃全国的に松の木が枯れつつあるそうですが、之は、

一、国常立尊を押込め、松葉でいぶした事。

二、鬼門の方角に雄松、雌松を植える事。

(信仰雑話)等と何か関係が御座居ましょうか。右御教示御願い申し上げます。

“関係はない。松の枯れる事は意味がある。曽つて東海道(六、七年前大磯から鎌倉へ)をドライブした事があり、松枯れてるを見た。之は日本に非常に不吉な事があり、恐らく天皇に関係した事で、その前兆であろうと仰せられた。松は木の公で、王の事。日本は木の国である。故に皇室に関係した事で、それ故に天皇が落ちるという事になる。国が衰えると、国の中の或程度の松が枯れる事もある。(方々の松が枯れたが)一番先に近江の唐崎の松が枯れ初めた。私も大森で松が枯れた事があり、大本事件が起った。屋敷内の松の木は主人になる。外の木は、その他の眷族に関係する。(主人に災がある)松は敏感な木である。松は日本特有の植物で、植物の中、木の最高の位である。植物は民主的になっていない。民主的も極端に行ってはいけない。極端にゆくと、ストライキなどで悩む事となる。松は位があるから、清浄で、それで鬼門へ植える。(五六七世の民主的は、今の民主的と違う。階級が厳然としている民主的である。現今のそれは平面的で、あまり階級にこだわらぬ)(S24・10・8)

松の木枯れる

“家の松の木が枯れましたが、其の家に何か異変でも起るのでせうか。又之を除ける方法をお教へ下さい。

“よくない。何か不幸か災難があるべきである。光明如来様を御祭りしてゐれば、軽くは来るかも知れぬが大丈夫である。信仰がなければ、生命の危い位の事がある。

竹の花

“七月十日、六代目菊五郎が死去致しましたが、或る新聞に次の様な記事がありました。(略文)「菊五郎丈が生前起居して居た竹心庵の中の竹が、六月初旬から枯れはじめ、六月末に奇妙な新芽が出て、これが俗に竹の花とわかった時、当人もひどく気にして『竹に花が咲くのは竹に既に生きる力を失った時だそうだが』と言い、それから数日して就床、遂に世を去った」右の様に竹の花が咲いた場合には、人が死ぬという事が一般のものにもあるので御座いましょうか。御伺い申し上げます。

“竹の花は滅多にない。喰べられる。竹に花が咲けば終る。後は生命がない。其家の主人が勢力のある程何かに表われる。庭木の枯れる時など屹度何かある。松喰虫で二十年位になる松が枯れてる。(大磯)之は大きい知らせで、国家(天皇)に関係する。天皇退位になればよろしい。上るであろう。木の公―王。風の作用は、気候調節、花の交配、根を張らす―等である。今日の五の日(五六七会)に参拝した人々は火に縁のある人である。火は水によって燃え、水は火によって動く。之は、火は燃える場合、水の多い程燃える。今年は非常に発展する。箱根へお出でになる時は、きっと雨が降るという事は発展する事である。箱根は火、熱海は水である。雨は火の燃える原動力である。大先生は御入浴後、ぬるま湯へお入りになる。御浴後、暫くお身体が熱くなられる。之は、火素へ対し水分が入るので、余計に燃えるのである。今日の雨は五の日で非常によい。  (S24・8・5)

松の立枯

“松の立枯が多く見うけられますが、学者は松毛虫の為といっておりますが、他に何か霊的な理由が御座居ませうか。

“霊的の理由がある。個人の家の庭でも――、国としては松とか、相応の理により一つの表はれ方であって、その国の不幸な事の前兆ともなる。今から七、八年前、東海道の大磯から鎌倉までのドライヴウェイの海岸の松が枯れてゐたので、私は之は日本にとって重大な事がある先ぶれである、よほど重大な事だと話した事があった。それで天皇の位がなくなった。松―木の王、日本は木の国(火)、松以外なら家来。(S24・11・19)

銀杏木の不思議

“銀杏の木を切ったら一里四方位実がならなかったが(男の銀杏の木)如何なる訳でせうか。

“之は銀杏の元だったに違ひない。そのためその枝になる他の銀杏も自らさうなったので、霊的に繋ってゐるのである。実に神秘の木である。松も柳も神秘である。古い銀杏程霊が憑る。三十三間堂柳の由来の如きも、憑依してゐた龍神の霊である。松は男龍、柳は女龍といふ事になってゐる。曽つて宝山荘の入口に、右に松があったので私は左に柳を植えたが、之は男龍、女龍との意味である。松も柳も皮が龍のウロコに似てゐる。

銀杏在家に樹つ可否

“銀杏の木は在家に樹てても良いものですか。

“銀杏の木はよく神社とかお寺に限る様に言ってゐるがそんな事はない。在家に樹てても差支へない。銀杏は普通の木とは一寸異ひ神秘の木である。銀杏の木には霊が憑り易い。実の汁は霊が好むのである。銀杏を倒すとよく祟るといふが、それは霊が憑いてゐるからである。故に切り倒す場合手続きをすればよい。ノアの洪水の時残ったのは銀杏の木だけだったといふ伝説がある。

霊の憑いた銀杏の柱

“銀杏は霊が憑き易い。故に怪談などがある。憑いた霊は木龍になる。光明如来様をお祭りする。柱に祝詞を奏げ、小さい木を植え、銀杏へ移ってもらうよう頼む。

特殊の植木

“一般家庭の庭に植えては不吉といわれて居ります木が種々御座いますが、諸説紛々として居りますので、植えて悪い樹を御教え戴き度く御願い申し上げます。

“斯ういう事はない。ただ木によって、例えば松、柳、銀杏などは特殊の木である。松と柳は木の中の龍で、龍が憑依し易い。松の幹も柳の幹も、龍のコケのようである。銀杏は人間の霊が憑依し易い。銀杏は人間によく似ている。ノアの洪水で残ったのは銀杏などという。銀なんの味は、人間の味がするという事になっている。化銀杏などは、人間の霊がそうする。それで植えるな等という。民家には殆ど植えない。後の木はそう種々ない。枇杷なども植えてはいけないなどという事はない。果物は美味しく食べて栄養になるよう造られてある。それを植えてどうこうという事はあるべき筈はない。(S24・2・1)

動物を食ふ植物、妖精

“植物で動物を食べるものがありますが、この様な特種なものはどういふ存在でせうか。

“熱帯地方で植物が動物を食ふのがある。その土地でさういう必要があるのであらう。何かに害をするものを食ふ為であらう。動物霊は植物に憑依する事はあるが、転生する事はない。植物でも相当霊がある。言葉でいふ事を聞く。実が成らぬと、無駄だから切るといふと咲く事がある。花の咲いた時など妖精が盛んに出る。花一輪に一人位の割合で、子供の形した羽の生えたものが、花壇の上を踊ってゐる。人間が傍に寄ると、大勢よって逃げる。西洋にある。

時刻で開閉する植物

“日回草、月見草、ねむの木、朝顔、夕顔等のように、時刻により開いたりしぼんだりするのは何か霊的な意味が御座居ましょうか。御伺い申し上げます。

“霊的の意味はない。斯ういったものの本能であるから何ともいえぬ。いろいろの種類を神様が造った。生れつきそうである。アフリカあたりの植物で、虫を捕え、血を吸うのがある。植物には、動物によほど近いものがある。(S24・4・13)

野菜より蛇出づ 

“ある種の野菜を作ってはいけないと代々言い伝えています家で南瓜を作りました処、中から蛇が出ました。(外から入った形跡が御座いません)又、玉蜀黍を作りました処、実が真黒になり喰べられませんでした。そうして其の家柄によっては胡瓜、茄子等もいけないと謂われて居りますが、何か原因が御座いましょうか。御教えをお願い申し上げます。

“何でも作っていい。昔蛇を殺して胡瓜畑へ埋めたり、そこで殺したり、作物の畠へ埋められたりすると、蛇の霊が怨みを返そうとして祟る。然し古くなると薄れる。故に今日は構わず何を作ってもよい。信仰に入った人は何でもない。凡ゆる作物は、神様が作られた。(S24・3・1)

芍薬不開と凶事

“信者の家庭で地の神の社の左側に昔より芍薬があり、花が咲かない年は必ず其家に不吉の事が起ります。昔からその社の付近に武士の遺骸が埋葬されて居ると言ひ伝えられて居りますが、如何なるものでせうか。

“芍薬は祖先の誰かが植えたものである。不吉な事は霊界では判るので、咲く咲かぬで、子孫に知らすのである。

時季外れの開花

“時候はづれの花が咲きますが、何か変った事があるのでしょうか。御伺い致します。

“ない事もない。本当の意味からいうといい。時季外れに咲くのは、良い事が早く来る意味になる。(S24・10・8)

不時の花咲開花

“時季はずれに桜が咲きますのは、どういふ事で御座居ますか。御伺ひ申し上げます。

“大した意味はない。どっちかといへば良い意味である。(S23)

月夜の梨開花と不実

“岩手地方で月の照る夜に掛って梨の花が咲きますと、其の年は実が成らないと言はれて居りますが、(外の花は別にいはれて居りません)何か訳が御座いますでせうか。お伺ひ申し上げます。

“いくらかあるが大した事はない。花が咲けば実は成る。半分以上迷信である。(S24・6・2)

大木枯る

“私の屋敷内東南方の二抱えもあるモチの木が、昨年より私の知らないうちにすでに半分位枯れてゐました。何かの知らせでせうか。又枯木は処分してよろしいでせうか。

“訳がある。枯れた所を急いで切って、焼いても薪にしてもよい。残った所へ浄霊して、光明如来様にお願ひする。之は樹齢が来たのである。木によって樹齢が違ふ。楠、銀杏等は二千年位のがある。高山などへ行くと枯れてゐるのがある。自然枯で、唐松などあるが、それである。霊などは、外の木へ移ってゐるから障りはない。(S23・10・26)

枇杷と病

“庭にびわの木があると、病がたえぬと言われますが、関係がありましょうか。御説明下さい。

“そんな事いえば果樹園など病気ばかりしていなくてはならない訳だ。沢山作ってそれを人間が味わうのが神意である。(S23・10・13)

林檎は有害か、人参の迷信

“林檎は有害との事ですが如何ですか。人参を播くに人の手をきらひますが、何故でせうか。

“有害などといふ事は絶対にない。美味なものは必要があって神様が造ったのである。人間が毒だなどといって排するのは間違ひである。大先生は、林檎はあまり汁気がないのでお好きでない。それを誤ったものであらう。そんな事はない。之も間違ってゐる。手で播いてよい。地方には斯様な迷信が多い。  (S23・12・16)