よく病気が思ふやうに治らないので、進退谷った際、本教の話を聞き、是非縋らうと決心した時、例外のない程周囲の誰彼が止めるので、決まりもののやうである。
彼等が口に言う事は、之程進歩した医療で治らない筈はないのに、そんな近頃流行の新宗教にやって貰った処で、治る筈はないではないか。聞けば薬も使はず、手も触れないで病気が治るなどとは、ありやう筈がない。而もメシヤ教は以前新聞や雑誌で、散々悪く言はれた宗教で、世間でも問題になってゐる位だから、猶更信用は出来ないから、それやこれやよく考えて止めた方がいいと、根気よく諌める人が少なくないのである。
成程之は決して悪意があっての事ではなく、心からそう信じていふのであるから、尤めたり非難したりする事は出来ない。先づ原因と思うのは、本教の内容を碌々調べもしないで言論機関を利用して悪口を言うジャーナリストの軽率な為であるから、之も今の処は止むを得ないと思ってゐる。
とは言うものの患者自信としては、金の続く限り人の良いといふ良い治療は、散々受けても治る処か段々悪化するので、何としても本教に縋りたいと思ふが、周囲の者が前記のやうに極力止めるので、どうしていいか分らなくなる。
その告白は常に御蔭話中に出てゐるのでよく分るが、之等は或時期迄とは思うが、一番困るのはそれが為痛し痒しで、グズグズしてゐる内どうにもならなくなり、彼の世行となるといふ人も随分多いのであるが、之等の患者は運がなかったのだと諦めて了えばそれまでだが、然し事は人命に関する重大問題である。
此様な訳で知らぬ事とは言ひ乍ら、折角の親切が仇となり、結果からいえば人一人殺すやうなものであるから、大いに注意して貰ひたいと思うのである。
そこで此人達の行為を名付けて、親切な悪魔と言ひたいのである。