昔から人間は病は薬で治るものと固く信じてゐるが、恐らく之程道理に外れた話はあるまい。といふのは病といふものは、昔は草根木皮といって野山に自然に生えてゐる植物であって、無数にあるその中から特殊のものを選び出して、治そうとしたのである。処がそれが進歩して西洋流の薬が出来た。それは右と異って鉱物や海草、動物の臓器、近頃は水苔等を用ひるが、之等は考えるまでもなく、ナンセンス以外の何物でもない。
といったら不思議に思うだらうが、よく考えてみるがいい。病を治すといふ事は、危ふからんとする貴重な生命を救う目的で使用するのである。処が人間の生命を草の葉や木の根、鉱石の欠片、海藻等々で救うなどといふ事は、余りに理屈に外れてゐるではないか。
若しそうだとすれば、人間なるものの価値は、吹けば飛ぶやうなもので、虫螻(ムシケラ)同然といふ事になる。斯んな常識で考えても直ぐ分る事を、世界の多くの学者は、熱心に研究してゐるのであるから、遠慮なくいえば悲しむべき喜劇であるといっても否とはいえまい。此理によって人間の生命を救ふとしたら、人間以上の力によらなければ、駄目なのは分り切った話である。
そうして地球上に薬といふものは全然ないのである。強いていえば人間が生きてゐる為に食ふ凡ゆる食物である。 それを食はなければ死ぬより外ないからである。此意味に於いて今日迄、薬として使用してゐたものは悉く毒であって、いつもいふ通り毒によって病気苦痛を一時抑える、只それだけである。
処がそれだけなら結構だが、その手段が病気を治さないやうにする処か悪化させ、余病といって病気の種類を増やすのであるから、結局命までフイにするのである。としたらその愚かさは何といっていいか言ひやうがないのである。私は此無智迷蒙に気付かせやうとして、日夜奮励努力してゐるのであるから、馬鹿らしいと思ふ事さえよくあるのである。成程今日のやうな素晴しい文明時代となり、随分人智も進んで来たが、以上のやうな甚だ簡単な理屈が分らないのであるから、全く摩訶不思議である。
とはいふものの厳然たる事実が証明してゐる。知らるる通り本教浄霊によって、重難症患者がドシドシ治され、根本的に分った人々が、日に月に激増しつつあるのをみれば、何れは世界人類に分る事は、断じて間違ひないのである。而も根本には主神が采配を揮ひ給ひつつあるからである。