此題は少し酷すぎるかも知れないが、斯う言はざるを得ないのである。といふのは病気は医薬で治るものと信じ、信頼し安心して委せるのであるが、いつもいふ如く薬といふ薬は全部毒であるから、之を体内へ入れるだけ弱るに決ってゐる。医師にかかりつつ段々悪化したり、次から次へ余病が発るのは、医師も常に経験する処であらうし、長く苦しんだ病人は、それを知ったら初めて目が醒めたやうに、分って後悔するのは、御蔭話中に絶えず記録してあるから、読む人はよく分るであらう。
といふやうにそれ等の患者に対し、私は以前病人を直接扱ってゐた頃はよく曰ったものである。貴方の今迄やってゐた事は、色々な方法で病気を治すのではなく、病気を益々悪くさせ、結局命までフイにするのだから、実に危い瀬戸際にまで来たので、幸ひ浄霊で助かったからいいやうなものの、結果からいえば自肚を切り乍ら、緩慢な自殺行為をしてゐた訳である。だから此処へ来る限りの人は、皆自殺未遂者なのである。といふと誰でも苦笑と微笑を混ぜこぜの表情であるが、極端な言ひ方かも知れないが、之が真実だと私は思ってゐる。
とはいふものの医師諸君は、そんな事は夢にも思はず、今日の進歩した医学によって、何とかして助けたいと思ひ、日夜苦労してゐるのは勿論であるから、その心情は洵に仁慈極まるもので、尊敬に値ひするが、私は根本を知ってゐる以上、よく分るからそう曰はざるを得ないのである。
斯うみてくると凡そ人間世界は、まだ間違った事が色々あるが、恐らく此医学の間違ひこそ摩訶不思議で、解するに苦しむのである。誰も知る如く現在の世界は、科学が進歩し、随分驚くべき発見や発明が次々現はれる今日、医学に関する限り、その余りの迷蒙さに日々驚嘆してゐるのである。
処が有難い事には、医学の迷蒙を知ると共に、病を癒す力をも私は神から与へられたのであるから、悲痛の中にも歓喜ありで、日夜救ひの業に励しんでゐるのである。之によってみても観世音菩薩の大慈大悲の意味もよく分るのである。