単に力といっても、有限力と無限力の区別のある事を知らなければならないのである。処が今日の人間は力とさえいえば、有限力と思ってゐる。尤も唯物文化社会としたら、それも無理はないが、此考え方の為人間は本当の事を知らないで、有限力のみを信じ行動するので、失敗者が多いのである。
有限力とは誰も知る如く色々あるが、野蛮時代は腕力が主となってゐた。つまり人力である。その後進化するに従って智力が発達し、権力が生まれ、次で政治力、圧力、戦力、金力、経済力、学力、馬力、機械力、破壊力、思考力、筆力、宣伝力といふやうに、漸次発達したが、その時代々々に応じて強く働く場合もあり、弱く働く場合もあるのは勿論である。例えば野蛮時代に於ける暴力、権力、支配力等それである。
之に就いて重要な事は、以上かいただけの力は、悉く有限力である事であるから、絶対性はないのは勿論である。その何よりの証拠は、一時は絶対と思はれる程の力も、時の力によって、ひとたまりもなく破壊されて了ふ。昔からの失敗者の例をみても分る通りである。
それに引換え無限力である此力こそ絶対にして永遠であり、之に抗する何物もないのである。処が有限力は目に見え、手に触るる事も出来るが、無限力は無に等しいものであるから、人間には有るを信じられないのである。その結果有限力のみを力として信じて出来たのが今日の世界である。之を最も分り易くいえば、有限力とは人間が作る力であり、無限力とは神が行使する力であると思えばいい。
之に就いて最も手近な例をかいてみよう。それは本教の浄霊法である。医学の方では薬剤や機械等、目に見えるものを使ふので、人は之で治るべきものと思ふが、浄霊は空間へ手を翳すだけなので、初めての人など之で治るなどとは、どうしても信じられない。併し結果は医学よりも比較にならない程よく分るので、何程考えても分らない。只不思議と言うのみである。
といふのは有限力は知ってゐるが、無限力は知らないからで無理もないが、此真相が分れば不思議でも何でもない、当然な話である。つまり一口にいえば医学は人間力、浄霊は神力である事が、実にハッキリしてゐるのである。