外国は知らないが、現在日本人特に智識人の守旧思想の根強い事は案外である。といったら誰しも驚くであらうが、左の記事を読めば成程と合点するであらう。といふのは本教浄霊によって、医学とは比較にならない程の驚異的効果を挙げてゐる事実を見ても感じない。従って何等検討もせず、インチキ迷信の潜在観念に邪魔されて信じやうとしない。殆んどのジャーナリストがそれである。
又医師によっては自分が絶対治らないと諦めて了った病人が、奇蹟的に助かった場合、余りの不思議さに患者に訊いてみると、実は救世教の浄霊で助かったといふ事実を聞いても、お医者さんは苦りきって、溜息をつくばかりで、進んで研究しやうなどの気振は全然起きない事をよく聞くが、其心裡は実に不可解である。
之に就いても本教は栄光を毎号五部宛厚生省医務課へ、三年前から郵送してをり、無論何人かは読むに違ひないと思うし、先頃の“アメリカを救う”と“結核信仰療法”の二著書も、厚生省始め各方面の要路者へ配布したのは勿論、医師中にも大分読む人があるといふ事も聞くが、今日迄何処からも一人の詰問者も、問合せもないという有様で、私は不思議に堪へないのである。
という訳は何が為かを考える迄もなく、現在の知識人悉くは、科学という殻に閉じ込められ、科学以外の広い分野のある事を信じないのである。そのやうな理由で、人間生命までも科学の枠内に押込み、解決しやうとするが、元々根本的に誤っている以上、いくら骨折っても無効果であるに拘はらず、それに気がつかない迷蒙である。その為科学以外のものは悉く異端とする考へ方である。
恰度封建時代の丁髷思想と何等変りはない。衆知の如く当時の偉方の中でも、泰西文明は虫が好かず、諦出しを喰はすに一生懸命になってゐた人達によく似てをり、今日からみれば失笑を禁じ得ないのと同様である。当時幸ひにも一部の進取的思想の人達があって、世界の趨勢を察知し、今後の日本は之でなくてはならないとして、熱烈な行動を開始した。
処が、面白い事にはそれ等の先覚者こそ当時の医師であった。彼等は燃ゆるが如き信念の下に危険を潜り、蘭学を勉強すべく長崎へ赴いたのである。勿論それまでの漢方医学よりも西洋医学の方が大いに優れりと信じたからである。何としても日本の開国の先駆者たる役目をしたのは之等の人達であらう。
その事が動機となって、茲に西洋文明は滔々として流れ入り、各般の改革が始ったのであろう。維新の大業に火を点けた訳である。文明国としての世界各国の仲間入が早く成った功績も大に買っていいと思う。処が其時も封建思想が棄て切れない丁髷連中は頑として踏止まらうとしたのは知らる通りだが、時は許さなかった。
何しろ滔々と入って来る文明の波は到底防ぎ得ず、遂々丁髷を切り、洋服を着ざるを得なくなったのである。之によってみても時代を劃すが如き素晴しい力には抗し難いからである。そうかといって其際余程何物にも捉はれる事なく、素直に受入れられないのが人間の弱点であらう。
今一つの例として彼の飛行機が最初、日本の空を自由に飛翔した時、成程交通には大いに役立つが、軍器としては用いられないとして、頑強に反対したのが当時の陸軍のお歴々だったそうであるから意外である。その為彼の徳川大尉が非常に困ったという話を、私は何かの雑誌で見た事を覚へてゐる。 以上によってみても、いつも進歩を阻むものは、その時代の権威者であり、指導階級であるのも皮肉であって、茲に先駆者の悩みがあるのである。
処がそれと同様処かそれ以上であるのは此私の創造に成る新医学である。というのは余りに前例のない偉大なものであるからで、容易に科学盲信者に理解されやう筈はないからで、此迷信を打破するその困難も並大抵ではないので、之に較べたら釈迦、キリスト、マホメットの救ひなどは小さなものといえやう。
以上によってみても此偉業こそ、科学といふ井戸の中に納まってゐる蛙に大海を見せるやうなものであるからであるが、どうしても此文明の進歩を阻んでゐる医科封建の障害物を取り除かなければならないのである。