現在日本の政治家に就いて、吾々の思う通り言はして貰えば、何といっても余りに正義感の足りないやうに見える事である。例えば政府にしても与党や反対党にしても、何等かの問題に就いて、論議し意見を戦はす場合と雖も、閣僚の意見は国民の利害は第二とし、政府自体の利害を先にするやうに見える。
つまり失敗のないやう、反対党から斬込まれないやう、言論機関から非難を受けないやうといふやうに、その悉くが利己的観念から出発してゐる。又反対党にしても政府の行り方のいい悪いはどうでもいい。兎に角何かの欠点を見出し、抜差しならないやうに虐めてやり、あはよくば内閣をブチ壊して、自党の側で政権を奪らうとするやうな事のみに懸命になってゐるのであるから、どちらも忌憚なくいえば、政府は常に保身術のみに営々としてをり、野党は内閣ブチ壊しが目的の第一としてゐるのは、争ふ余地のない事実であらう。
以上の様相を国民から見る時、政府及び与党も反対党も、国利民福などは二の次で、封建時代と同様、天下の実権を把握するのが、全部の目的としか思はれない。それが昔は武器によって雌雄を決したのだが、それに代るに今は舌の剣で、議会といふ戦場で闘ってゐる訳だから、国民こそいい面の皮である。
斯うみてくると国民は彼等の利益の為に、道具にしかなってゐないやうに思はれるのであるから、何と情ない話ではあるまいか。とすれば今日と雖も、封建時代の社会を思はせる。只形式が文化的になっただけの話でしかあるまい。
此様な訳であるから、何よりも国民が政治に対する信頼感は、極めて薄弱である。例えば今度の選挙にしても、それがよく現はれてゐる。といふのは国家の利害よりも、自己の利害によって投票をする。といふのは結果を見ても分る。つまり意外な番狂はせである。
その中で最も景気のよかったのは社会党左派であるが、之は左派の政策によったのではない。只再軍備反対の看板によったのである。言う迄もなく戦争に懲り懲りしたのは勿論だが、本人は固より、自分の亭主や息子で年頃であるとすると、戦争で引張られる憂ひがあるからで、多分婦人投票が多かったからであらう。又改進党や鳩山派の成績が悪かったのも、右と反対であったからであるのは勿論である。
処が自由党が割合成績がよかったのは、再軍備に対し、どこ迄もボヤかしてをり、保安隊を作り、吉田首相はどこ迄も再軍備は行らないといふ、その意見に安心して投票した為であらう。又社会党右派が左派よりも悪かったのは、幾分再軍備の匂ひがあるからであるに違ひない。
とすれば此様な国民の考え方は国家本位よりも、自己本位といふ考え方が実によく現はれてゐるとしか見ねばなるまい。以上によってみても、政治家の利己的思想が根幹となって、国民全部の思想を濁らしてゐるのは明かであるから、政治家たる者は此点大いに考えて貰ひたいのである。
之を一言にしていえば、自己的観念よりも、国家的観念を第一にする事である。つまりどうすれば国家が繁栄し、人民の幸福が増進するかといふ事を、常に考えて意見を立てて行動に移すべきである。此根本こそ正義感の多少による事は言う迄もない。之は何事もそうだが、政治の善い悪い程国民全体の福祉に影響するものはないからで、日本の再建も将来の繁栄も、只此一点にある事を強調したいのである。
之に就て言ひたい事は、此正義感を培う手段としては、信仰より外にあり得ない事を断言するのである。処が不思議な事には、我国も多種多様の宗教があり、古い宗教も新しい宗教も、日本位多い国はないとされてゐる。にも拘はらず民衆の方は相当信仰者の数もあるが、政治家始め学者やジャーナリストの指導階級にある人は、その点零といってもいい位であるから、日本が病気、貧乏、犯罪等、社会悪が多いのも、根本は右の理由にある事が明かである。従って此点に気が付き、信仰を政治の基本としない限り、日本の繁栄は望み得べくもない事を銘記すべきである。