正直は辛い

よく吾々が医学に対し非難し過ぎると言って注意をする人があるが、恐らく之位おかしな話はあるまい。吾等は医学を非難する意図は些かもない。唯事実ありのまゝを書くだけである故に、反って嘘をかいた方が前述のような御注意を受けることはあるまいが、神様を信仰している以上、たとえ自己に不利益であっても一点の嘘をかく事は出来ないのである。

良いものは良い、悪いものは悪い、間違っているものは間違っていると言ふ丈である。

然し乍らたゞドグマなら甚だ怪しからん話だが、吾等は立派な証拠をみせているのである。その証拠とは毎号満載しているおかげばなしである。之は毎度言う通り本人自筆のもののみであるから一点の疑いを挾む余地はないが、之に就いて先頃三大新聞の一たる某新聞社が一々本人を訪問して詳細質ねた処、その悉くは事実で疑惑の余地は些かもないとして諦めたと言う事を某社の記者が述懐したのである。

故にもし一つでも虚偽や作り話があるとしたら本教の信用は一遍にゼロとなるばかりか世を欺瞞する罪を構成し、法規に触れる以上そんな間違った事は自分の首を締める様なものでそんな愚かな事は出来よう筈がない。

右の意味に於て、医療に関係のある人士は何故この空前の大医学を研究しようとしないのか、実に不可解であると吾等は常に思っている。

勿論この原因は唯物科学に捉はれて了って、それ以上のものは頭から無価値と断定して了っている態度こそ、吾々を迷信と断ずる以上の迷信でしかあるまい。即ち、科学迷信である。全世界の医学者が幾世紀に渉って苦心努力の結晶とも言うべき現代医学である以上、之以上のものは世界にないと思い、生れる筈がないと決めるのは無理はないが、その観念こそ文化の進歩を阻む旧思想でなくて何であろう。誰が今日一発で百哩の地域の生物を死滅せしめる原爆発見を予想し得たであろう。

以上によって考える時、薬剤も機械も唯物的なものは何一つ用いずして医学の何十倍の治病力を奏し得る医学が生れたとしても敢えて不思議はないであろう。斯の如き劃期的大医学の既に現われた事を知らず専門家は徒労的研究に耽り、患者は貴重なる生命を犠牲にしつゝある現状を観ては吾等は忸怩(ジクジ)たる能はざるのである。