近時、世界は固よりわが日本に於ても問題の中心は、共産主義運動であらう。事実共産党以外の人民は無気味な脅威を感じ、同運動の今後の推移に対し、重大なる関心を持っている事は、今更いふを要しない処である。政府に於ても、昨今急に周章て出し、各般の対策に腐心しつつある事実は、之亦、国民に対し一面安閑たるを許さない警告ともみえるのである。
而もマ元帥の鉄の如き信念を吐露するあり、日本の各所に急に発生し始めた不穏の空気に対しても楽観を許さないものがある。眼を転じて東亜の趨勢をみるも、中国の事態といひ、朝鮮の現状といひ、最後に日本を目標とするに至るであらう事は、日本人の誰もが予想せずにおれない程、それほど事態は急迫を呈している。
吾等は勿論、政治家でもなし、操觚者(ソウコシャ)でもないが、国民の一員として、否宗教人として宗教を通して共産主義の将来を批判してみるのも敢て無益ではあるまい。茲でマルクス、エンゲルス、レーニン等に関してはあまりに世間に知れ渡っており、いふ必要はないが、たゞ今誰も最も知りたいと思ふ事は、世界対共産主義の将来であらう。
共産主義が人民中の、最も数の多い勤労大衆の利益を擁護するといふ建前と、それによって地上天国出現を目ざしている事は看取される処であるが、之に就て公正なる批判を下す場合、その批判の基本としては一体共産主義は、正か邪か、善か悪かといふ事であるが、此正邪を決定するにはどうしたらよいかといふ事であるが、吾等から言へば至極簡単である。それはその基本的観点を先づ大乗、中乗、小乗に分類するのである。即ち世界全人類を対象するを大乗といい、人類の大多数であっても或範囲に限られたるそれを中乗とし、極めて限られたる小地域のそれを小乗とする。
以上を一そう悉しく説明すれば、大乗とは勿論一階級、一民族、一区域に限る事なく、全人類を打って一丸とし、平和、幸福に浴させる事であり、中乗とは如何に多数であっても限られたる範囲の民族を幸福にし、他を犠牲にするといふ事、小乗とは小数範囲の民族にのみ幸福を与へ、他の大多数民族を犠牲にして省みないといふ、終戦前の日本がそれであった。此三乗を、宗教を通してみた場合、大乗は絶対善であり、中乗は善悪両様であり、小乗は悪そのものである事にならう。
とすれば共産主義は右の何れに相当するかを検討する時いふまでもなく、中乗に当嵌るであらう。右の論旨によって、共産主義の将来を卜(ボク)するとすれば、今日迄の功罪相半ばする行り方は主義実現の為としてやむを得ないとしても、今後、中乗から大乗に推移する事を勧告したいのである。とすれば、輝かしい将来を約束し得る事は言ふまでもない。万一今日迄の中乗的政策を依然として続ける以上、その将来は楽観し得ない事を予想し得るのである。
随而、大乗圏に転換するとすれば、その表れとして第一、闘争の文字は和合の文字を置替えられ、親愛の精神が基本となる事は勿論である。其結果として米国との対立も消散するであらうし、全人類は共産主義を謳歌するに至るであろうし、茲に世界人類は初めて不安の脅威から解放され、平和を享楽する為の、翹望(ギョウボウ)する地上天国出現となるであろう。