無病運動を起せ

日本が欧米の文化を採入れてから、何々運動などといって、自分の可とする色々な運動を起すのは衆知の通りで、之等も世界人類や社会国家を憂ひて、よりよくしやうといふ考えからであるから、非難するやうな者は滅多にないが、今私の提唱しやうとするそれは、標題の如く無病運動といふのである。恐らく此様な意味の運動は、文明時代となってから、只の一つもなかったであらう。といふのはそんな運動を起したとて、絶対成功する筈がないからで、之こそ分り切った話であるからである。

本当からいえば、斯ういふ運動は医学方面の人から言ひ出さなければならない筈であるが、そのやうな事は夢にも考えられないであらうから、寧ろ斯んな事をいふ私を奇怪な眼を以て見るかも知れないと思ふのである。処が私は真面目に此事を唱えるのである。それは信者は成程と思うのは言う迄もないが、第三者としたら、驚異な運動と思ふであらう。

併し考えてみて貰ひたい事は、其様な運動を提唱する其意図は、如何に確信に満ちてゐるかといふ事を考えてみて貰ひたいのである。従って若し可能性がないとしたら、折角始めた処で何れは失敗するに決ってゐるから、笑話の材料になるだけである。

之に就て具体的に言ってみたい事は、一つの会を作るのである。会員の資格としては、例えば一ケ年間無病で医師にかからない人を資格者として、正会員にすると共に、三年間かからない人を優等会員とし、五年間かからない人を特別会員に推薦するといふやうにすればいいと思ふ。そして其会員の階級によって、特別待遇とか、賞金とかやればいいと思ふが、併し考えてみると、之は逆であるかも知れない、といふのは実際は信者なれば会の方へ感謝金を奉呈するのが本当であらう。とすれば、之も考えておく必要があらう。

此結果として会員が漸次増えて、何万何十万何百万に増えるとしたら、社会は注目するであらうし、話題の中心にもなるであらうから、一挙両得であるばかりか、本教宣伝の上にも大いなる力となるであらうから、先づ思ひついたままかいてみたのである。