かねてお話をしてをりました玉川の方へ、滞りなく一日に移転致しまして、今も会長さんの言はれた通り、十日に初めてのお祭りをする事になりました。之が昭和十年十月十日で、十十十で、之は大変意味があるんで、十十十と三つ重なると千になる。十が十で百、又十で千であります。つまり十百千になる。すべてそういふ風になるんであります。
之を又、越した日の一日からいふと、一の十倍が十、十年で百、之が一十で百、十日間で十倍になり、十百千となります。斯様に数の神秘といふものは、なかなか大したもので、以前昭和五年五月五日、其時にも大変神秘な事があって、それが不思議なんで、昭和五年五月五日、之は旧で、今度は新で、之も神秘があり、五年五月五日午の年の午の月午の日で、その午の刻に写真を撮った。
午といふものは一番陽のものとしてあります。午の刻といふと、丁度十二時で、太陽が丁度中天に昇った時で、午の年午の月午の日といふものは、何千年に一遍あるかないかといふ日で、五五五でやはり午午午となります。
此時に最初の偉い神様が御降臨になった。今度の十年十月十日にも、この時発表出来ればしますが、やはり大きな神様が御降臨になる。之をも一つ不思議な事には、十月一日に越した時が、丁度総本部が一つ出来た。今迄は仮本部だったんですが、その時に支部が十、医療士が百人出来た。之はいつか第一期百人をつくり、第二期千人、第三期一万人つくるといひましたが、之も十十十になる。先月月末まで九十八人だけで二人足りなかったと思ってると、二十九日に二人出来て、丁度百人になって、そういふ工合に神様の事は判で押すやうにキチキチと行く。又、お守も一円、十円、百円となってゐる。
今度越した所は玉川郷といふ名をつけた。玉川郷の名でお話するが、之は値段は九万八千円で、丁度十万円で、十万円に対して一万円やって引越した。斯如く十万円のものを十分の一万円で越せる等といふ事はあり得べき事ではない。最初十万円出せといふのですが、一寸行違ひがあって、どうしてもそうはいかず、仕方なく一万円としたら決った。玉川郷がすっかり思い通りに完成するには、百万円かかると神様から知らされてゐる。
で、最初一万円やって十万円の所を買ひ、完成するに百万要る。之で一十百とどうしてもそうなった。すべてそういふ事は人間がやるんでなくて、観音様がおやりになるから、殆んど箱さした様にキチリキチリと行く。こういふ風に何故行くかといふと、之が観音力で、何時越すとか何時こうするかちゃんと決ってゐる。それで其時が来ればどうしやうと斯うしやうと出来る。その位力がなかったら、世界を救ふ等といふ大きな事は出来ない。
又、所の名が上野毛二三五で、之は二三四、二三五、二三六となってゐますから、その間をとった。観音様は五六七の五、ミロクは五六七で、二三四の所へ五六七の神が入る。それで八九十となり、八で開き九で無数になる。九は尽すことで、之以上行かないといふまで発展する訳で、十で完成する。之から八九十になってゐる。
それで二三四の最初の一ですから、今迄は一の経綸で、それは平河町へ応神堂といふ名で指圧療法の店を出した。それが去年の五月一日で、その時には家内を大森へおき、たった一人来た。之で一で始めた訳です。此時に天から降臨した訳になる。それから段々とひらけて、第一に観音会といふ会が一月一日に出来る順序となり、今日のやうな発展をした。その迅さは驚くべきもので、如何なる宗教も斯ういふ速さは例がない。今迄百年かかるところでも一年位でやる。百倍の迅さです。
今迄の文化は三千年かかってゐる。三千年の文化は間違った文化だった。然し、間違って来なかったならば、物質文化は発達しないから、わざとそれを発達させられた。今度は、一気に魂を入れられる。丁度画でいふと体の形手足などは画いたが未だ眼が入らぬ。今度は目を入れる。その目を入れるのには三十年かかる。やはり之も百分の一です。で、観音様の仕事は三十年で完成する。ですから、丁度今迄の宗教の百倍の速かさで行く。
三千年間かかった宗教を、三千年の間に生れた宗教、それを一つにまとめて統一される。それが三十年で統一される。斯ういふ工合になって行く。此れが天地経綸の真相ですが、実に神秘極まるもので--。
も一つ面白いのは、十月十日の祭日は玉川の産土様のお祭りだそうで、別に私は知ってゐなかったんですが、偶然に之が一致したんです。で、之は神様の方では玉川郷のお祭が判ってゐて、之を決めたもので、も一つ面白いのは、西国三十三ケ所の観音様のお開帳がある。
之は今迄に昔もなかった事でせう。初めてです。去年国民新聞社でやると話したんですが、それが之になった。やはり経費の関係などの為と思ふのですが、電車会社が援助してやる事になった。大体、東横、京浜、小田急等あの辺京浜間の電車、又、それに股がる寺で--。
観音様は奈良の東福寺、京都の清水寺、近江の三井寺等、いろんな西京の有名な観音様が来られてお開帳され、やはり十月十日から始まる。丁度絵図でみると、今度の玉川郷を起点として拡がってゐるやうです。
之も玉川郷が出来るについて仕組まれたもので、之が一日で全部巡れる。大変割引され一日で一円二十銭で行ける。そういふ訳で之が出来たんで、十月十日から十一月十一日までで三十三日間、之は大変意味があり、是非観音会でも出来るだけ多く団体参拝として行きたいと思ふので、十一月五日に行く事になった。割引期間は九日迄で、八日までに成可く今晩迄に決めて戴くといいと思ひます。
之は観音会の大宣伝にもなる。又、今度の玉川郷の大きな宣伝にもなるから、人数の多い程いい。どなたでもお知り合の方出来るだけ多く行っていたゞき度い。丁度陽気もよく京浜間の有名なお寺も皆あるし、観音様の御仏体も沢山あるし、二度と拝めない名作も沢山あるでせう。有難く拝まして戴くといふのが本当だが、実は此方が本当で、名作を拝見するとしても結構です。
そんな風な工合にいろいろな神秘がある。之からも沢山ある。
上野毛といふ事は髪の毛の事で、これが最高の神で、髪の毛の上にのる王冠と同じ意味であります。
仏教で指方立相といふ事がある。之にはいろんな解釈もありますが、真宗では浄土を造るとか浄土であるとかいひますが、指方立相とは今観音様がやってをられる事で、指方は指さす方といふ事、立相は相が立つ、即ち、指さす方へ相が立つ、物が出来る事です。指させば出来る。又指図すれば皆がする。その通り動く。玉川郷が欲しいといへば、皆がそうしてそこへ出来る。それを指方立相といふ。今迄本当の事を知らなかった。
そういふ予言は仏教には沢山あった。又、仏教に三諦円融といふ事がありますが、之は、三位一体といふ事で、之もいろんな説がある。諦といふ事は真諦などといって、真理とか本当のものとかいふ事で、つまり、三つの本当のものが円くなるんで、形でいへば三つ巴のようになる。つまり、三つのものが一つになる。円くなる。融はこなれて円満に融和する事ですから、三位一体の働きで、五六七の働きでやはり観音様の事をいってある。
之はお知らせしなかったんですが、十月十日午後一時からで、このお祭りは野外でする。未だ家が建たないからで、これも意味がある。野外即ち表でお祭りする訳で、之は世間へ出るといふ事で、内でやる事は裏でやる事で、外が表で内が裏で、表面へ出る事になる。又、表面的の祭典といふ事になる。
之も意味のある事で、之はいつも自慢するやうですが、非常に景色がいいですから、夜ですと真暗でみえぬ。どうしても真昼間の景色がよく、あたりの風光に触れ乍らお祭するのは大変清浄な気に浸る事が出来る。斯ういふ事も初めての催しで大変面白い。そういふ風に観音様の方ではしたんだと思ひますから、之も一つ信者も未信者でも結構ですから、出来るだけ多く参拝される様、予めお奨め致したいと思ひます。
今迄は、実は皆仮の家に住んでゐたんで、本当の自分の居処はなかった。今度初めて自分の居処が出来る。いよいよ観音運動の元が出来る。
今迄さへ非常なスピードで進んで来たんですから、今度からは一層早い。応神堂時代から知ってる方は、その迅さに驚かれるでせう。応神堂の二階で私がしてゐたのを見た人は、その早さに驚かれるでせう。私自身が驚いてゐるんであります。
去年そうなるとは知らされてゐたんですが、今に早ければ来年あたりは、御殿のような家が出来るといったが、そう早く表はれやうとは思へなかった。それがどんどん運んでそうなって了ったから、この分でゆくと、どんなに大きく早くなるか想像も付かぬのであります。そういふ風でなければ間に合はない。
こゝへ来て指圧の講習をうける方は、痛切にお感じの事と思ふが、多くの人々が現代医学の為に、如何に生命を縮められ、悲惨な目に合ってるかといふ事を、幾度となく見られる事と思ひます。そういふ人達が一日も早く救はれなければならぬといふ事が、経綸の非常に早いといふ事になる。
人類の悩みいよいよ激しくひどくなってゐる。どうしても救ひの方の仕事が一日も早くならなければならぬ。又、迷信邪宗に陥ち一生懸命信仰地獄に入る人が沢山ある。そういふ人を一日も早く救はなければならぬ意味に於て、非常に早く観音運動を進めて行かなければならぬ。
早く進まなければ間に合はぬ。そして、外国の今のやうな状態、今後は伊ヱの戦ばかりでない。いよいよ之が混乱状態になる。もう英国あたりも出てゐるし、もうつひにフランス、ロシヤも飛出す。之が欧洲とは又違ふ複雑さは、もっと戦争と外交とゴチャゴチャになる。最後には日本もどうしても超然としてゐる訳には行かぬ場面が出て来る。
欧洲戦争が、あれ程大きな惨禍をみたに係らず、もうあれだけの戦が起らうとしてゐる。彼等の闘争心は目前の利害しかなく、永遠の幸福を知らない。是等を一日も早く救はなければならない。それには観音運動よりも外にない。段々観音運動が進むに従ひ、之より外にはないと認めざるを得なくなってくる。
第一「観音運動」の冊子等あれですら馬鹿に大き過ぎるといはれる位で、極割引して第三者に受入れられるやうに書いてあるのを、あれだけでも吃驚してゐる。従而そういふ大きい事を一層早く世間へ判らせなくてはならぬ。本部が段々形成してゆきますから、兎に角皆さんもそのつもりで運動し、大いに熱を出し、一自分自身の大きな幸福と共に、世界人類を救はなければならぬといふ、大きな見地の下に働いてもらはなければならない。そう思へば思ふ程、観音様は無限力をもってをられるんですから、いくらでも力を与へられるんであります。