御講話 (昭和十年五月十一日)

先程最初に堀口さんのお話の中に、今度出来たお守の事がありましたが、之はよく説明しなければお分りにならない事と思ひますから、少し説明しやうと思ひます。 今迄のお守は一円でお頒ちしてゐたんですが、今度のは十円でお頒ち致してゐます。

観音様の御目的は、病貧争を無くするのであります。でその内でも、一番肝腎な事は病気なんであります。

之は此前にお話した事でありますが、此病気を根本的に無くするんであります。 観音様からお知らせ受けた所によると、日本では三千年以前、外国では国により五千年、七千年、或は九千年といふ具合ですが、それ以前には病気といふものは無かったんであります。

一寸の病気位はあったでせうが、今日云ふ様な病気はなかった。従って人間は百才以上迄みな生きたものであります。よく歴史に、神武天皇以前になると、十五代或は十代位にわたる天皇があります。それは文献にもある所でありますが、大抵は百才以上まで生きておられますが、あれは本当なんであります。

それでは何故病気といふものが発生したか。又、何故人類が早死するやうになったか、といふ事になりますと、之には大変な訳があるのであります。

此お話をすると、それは大変な事で、大問題だといふ事になるのであります。 それ故、此話は成丈時期を遅らせやうと思ってをりましたが、一日も早くしなければいけない事と思ふのであります。どうも何れはお話しなければならぬ事ではあるし、之が又余りに意外な話なんで、殆んど信ぜられぬ位の話であります。併し、先づ早く発表し度い気が荐りにするので、今夜お話する事に致します。

それは何かと申しますと、人間に病気といふものが発生し、早死するやうになったといふ事は、之は薬といふものが出来た為であります。

ですから、うっかり言ふと、大変な意外な話でありますから、到底信じられないのであります。

此薬に依って、人間の寿命が縮められた。薬のない時代は皆人間が百才以上迄生きてゐたんだと、斯ういふ事を観音様から知らされたんであります。

それを聞いて私も吃驚したんであります。それから、医学の進歩に依って、実は人類を滅亡せんとする位になって来たのであります。

ですから、斯ういふ事を言へば狂人としか思はれないのですが、といふて、之を斯うしておいては大変な事になります。といふ為に観音様が愈々お助けになるといふ事になるんであります。

で、之は段々と世の中にはっきり分って来るんであります。何故はっきり分って来るかといひますと、観音会ではっきり判らせるんでなくして、お医者自身が判って来るんであります。でありますから、たゞ之丈言っておけば、後はお医者さんに任しておけばよいので、だんだん時節が経つに従って、薬や医学では治らぬという事が判り、次に、薬や医学の為に人間の生命を大変に縮めてる事が判って来るのであります。

今日、渋谷の塩野谷博士の所へ昨日迄通ってゐた人が来られましたが、その人から聞いてみると、その博士は掌で治すんだそうです。そして治療する前に、観音経を称えるんだそうであります。そして観音経をやって一生懸命御祈願してから掌で治すんだそうで、之が医学博士であります。

昨日迄受けた人がいふのですから間違ひない事実です。之はお医者自身が判ったので、いくら医術や薬をやっても駄目だといふ事が判った。所謂先覚者であります。で、その人は相当前からやってる医者より、大いに繁昌してゐるんであります。

もし薬を使はず、そういふ行方が悪かったならば、そういふやうに繁昌しない訳で、患者が益々ふえるといふのは、そういふ行方でやってる方がよく治るといふ事を、お医者自身が証拠立てたといふ訳であります。

でありますから、医者や薬で人間生命を縮めると言ふ丈のもので、それを実行しなくてもいゝのです。お医者や薬屋さんが実行するやうになるんであります。

そうなりますと、医者や薬で駄目だとすれば、今度はそれに代るものが出来なくてはならぬ。で、それに代るべきものとして、先刻言った十円のお守りが出来たのであります。之を懐へ入れておきますと、別に何にもしないでも病気は治るのであります。之は何もしない程治るんであります。何かする程、それ丈遅れるんであります。

又、之は一人でなく、誰がかけてもよいのですから、一人が治れば又他の方にかけさせれば救はれるのですから、金の出来ない方も、之を借りればよい訳でありますから、こんな力強い事はありません。或程度の病気は絶対に此お守りによって治る事になっております。支部長がもし遠く離れてをられた場合、又遠国の方など特にお受しておかれたら結構と思ふのであります。

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例えてみますと御手代であります。扇子に字のかいたもの、病気の治る意味の字のかいたもの、それを患部に当てると治る。扇子の字で病気が治るといふ、之を科学的にみれば余りにも不可思議千万な話で、信仰してる人は常識でありますが、全然知らない人が見たならば、斯んなべらぼうな事はない、そんな理屈はないといふでせうが、所が、博士が見放した病気が立派に治るんであります。

その扇子を病気の所へ当てれば、治る意味の事が書いてあるんですから、その字が働くんであります。文字が働く等といふ事は、如何にも大きな力です。それが観音力であります。

観音力はいろいろな働きがありますが、文字が働くといふ事も素晴らしいものなんであります。

そういふ訳でありますから、今さっき言ひました十円のお守りを懐へ入れておけば、凡ゆる病気が治る意味が書いてあり、その意味通り書いてある扇子で始終治されてゐる故病気は治るんでありますから、どうしても治るんであります。そうしなければ世界中が救はれぬのであります。

一軒に一人病気が出来此お守りを受けて治れば、他の病人に持たせばよいのであります。そんな馬鹿な事があるものかと言っても何といっても治るんであります。そういふ人の言葉よりも観音様の字の方が力がある。

併らば、そういふ事で病気が治るのなら、病気を治す手段の一つとして何故もっと早く出さないかと思はれる方もありませうが、やはりそれも時期で、時期が来なくては出せないのであります。丁度、日の上るやうなもので、段々日の光が強くなるので、強くなるに従って、そういふ様な事が出て来るのであります。

その上のお守りが、指圧療法のお守りであります。そのお守りをかけて指圧をすると、指の先から光が出て病気がどしどし治る。懐へ入れておれば治るのであります。今にそれをお医者に掛けさせようと思ってゐるのであります。

そうすれば、ラジュウムだとか種々な薬が要らなくて治るやうになるから、段々と人間が百才以上迄生きるといふ、昔の時代が来るのであります。

指圧のお守りは百円で受けておけば、指圧丈で立派に御飯が食べられるのであります。その百円といふのは、一遍に払込まなくても月賦でもよいのであります。それでお守りは一円、十円、百円と三段になりました。(※当時1円は2000~3000円前後)

之からは、すべてが三段になるんで、観音様のやられる事はすべて三つになるんであります。

今度越しました家とこの本部と東光社と、やはり之も三つになっております。三つになって、私の住居が丁度真中になり、恰度スバル星--即ち三つ星の形になっております。その星のオレゴン星といふのは四つあります。その真中に三つあり、一つは狂っていくらか近くなっております。丁度三つ星になってをります。その一角をスバル星といひ、世の中を救ふ星といふ事になっております。

丁度住ひも三つ星の型になっております。

お守様もそういふ意味になります。

も一つは、遠くの病人は、そのお守りを送ってやればいゝんです。そうすれば遠くの人も救はれる訳であります。それを一軒の家に一つ置いておけば、それによって病人がなくなり、初めて病気のない世界が出来るんであります。

日本医学が行はれ、医者が食へなくなるんじゃないかといふと、お医者の懐へお守りを入れゝば薬などはなくてすみ、早く治るから食ふに困る事はなかろうと思ふ。それですからお医者からは苦情はなからふと思ひます。で、何れお金に不自由をしないお守りも出来ます。そのお守りをかけると、お金に不自由をしない。つまり貧を無くする事になります。それも時機が来ればお渡しする事になります。

之はどういふ風にお金が入るかといふと、その人相応に入るんであります。何故ならば、人間は生れ乍らに持って生れた丈の徳分があります。その徳分一杯に入るんであります。今は徳分だけのものも入って来ないんですが、そのお守りによって徳分だけのものは入って来るんですが、生活問題、農村問題など起ると、之によって解決するんであります。

観音会にお入りになれば、遠からずそういふお守りが戴けるんでありますから。今から前祝ひは早すぎますが……。

で、薬、医者はどういふ訳で出来たかといひますと、邪神が自分の思ふ通りにしやうといふ、陰謀的企みからそういふものが出来たんであります。古い話は今必要ありませんが、要するに西洋医学から出来たもので、西洋医学といふものは、猶太人が作ったものであります。

大体今日の科学は、今日の文明といふものはすべて猶太人が作ったもので、凡ゆる学問とか機械といふものは、猶太文明で出来たものであります。

随而、今日の医学も猶太から出たものであります。猶太の奥の奥に世界を支配しやうとする一つの神があり、その神が自分が世界を乗とるのに就いて、世界の平和とか幸福を奪はねば、世界を奪る事が出来ぬ。それでそういふものを作った。


フリーメーソンといふのを知ってる方はお判りですが、二千年も前からフリーメーソンといふ結社を造り、今日も盛んに活動してゐるんであります。陸軍中将の四王天延孝といふ人が研究家として知られてゐますが、このフリーメーソンは、最初石屋の組合だったんで、それがだんだん変化して斯ふいふ結社を造り、日本でも有数な人が沢山入ってるそうであります。よく知りませんが、幣原とか財部とかいふのも会員だそうで、あゝいふ階級に迄もあるんであります。

日本にも相当侵入してゐますが、外国では英国皇帝とか、大きい金持ロスチャイルドなどあり、そういふ階級は皆フリーメーソン結社の社友になってゐるんであります。社友は何事も非常に秘密にしてゐて、秘密結社になってゐるんで、社友が一寸でも秘密をもらすとすぐに殺されるんであります。

ですから、結社の社員で抜出さうとしても、どうしても抜ける事が出来ぬ。抜けてどこへ行っても必ず殺されるんであります。此の間何かの本でそふいふ事の話が出てゐました。そういふ結社で、一名石屋といふんで、医者といふ事が矢張り石屋といふ事になります。

そのフリーメーソンが医学を作り、病気を治るやうに見せかけて、人間の生命をとるんであります。此医学に全世界の人間が生命を任せてゐるんで、全世界の人間の生命は猶太人に任せてあるのであります。医者に生命を任してるんですが、その医者のやってる事は猶太人が造ったもので、深く考へると猶太人に全世界の人間は、生殺与奪の権を握られてるのであります。

猶太人はその他の世界の金権とか、各新聞雑誌とか、言論機関一切を掌握してゐるのであります。そうして飽迄も世界を蹂躙しやうとしてゐるんであります。

で、観音様は日本の神様で、伊都能売之大御神とも、国常立大神とも、天照皇大御神様にもなるんであります。

で、観音様は、それをそうさせまいとして蹂躙されない為に、大変な仕事を始められるのであります。

欧羅巴に於ける現れとして、ヒットラーであります。

欧羅巴に於けるそれに対する反対運動であります。猶太人を追っ払ったり、御自分のマークは観音様の紋をつけております。で、観音様は、独逸丈はフリーメーソンのない国を先づ造られる。要するに観音様の国を先づ造られるのであります。ですから、独逸の背後には観音力がありますから、疲弊してゐるにも係はらず、非常な力があります。その証拠にはヒットラーの宣言によって、全欧洲がブルブルとしております。

之は非常に不思議に見えますが、背後には観音様が控えておられるのですから、之から独逸は素晴らしい威力を発揮して行くものなんであります。ナチスの行り方は観音会と違って、何処迄も体的でありますから、観音会の如く平和的ではないのであります。

それで、猶太は段々と追詰められて、結局頭下げ観音運動と握手する。即ち服従してくる。それで初めて大光明世界が建設されて行くんであります。

先づ医学を改革するといふのは、そういふ大きな意味から出てゐるのであります。医学や薬を改革して、本当に健康な人間を作るといふ事は、猶太の支配から脱し、日本の神様に頭を下げる。そうすれば初めて体は丈夫になるんであります。ですから、之程結構な事はないのであります。

光明世界に日本医学建設を書きましたが、猶太人は薬や医学で治るやうに見せかけて、生命を縮めてゐるんで、それを実に巧くやってゐるんであります。今迄の人間は一人も見分ける人はなかったんで、之以上のものはないと思ってゐたんであります。 要するに騙されてゐたんであります。それを観音様が見破らしむべく、私に教へて下すったんであります。

大きな事をいって自慢するんでも何でもないんで、本当に眼のさめる人が、本当の健康の意味を知った事になるんであります。医学の妨害をするなどといふ、そんな小っぽけな事ではないのであります。病人のない世を造るといふ、大きな仕事なんであります。

そういふ訳でありますから、今後は、先刻お話したお守りも、大いに利用して戴きたいのであります。

まるで夢の世界へ行ったやうであります。痛い所へ一寸載せれば治って了ひます。まるで嘘のやうな話であります。


も一つ、よく姙娠すると腹帯を頼まれますが、先刻の上領さんのお話で、歌に依って天地を動かす。歌により天地の神が感動するといふ事を言はれましたが、事実間違ひない事であります。私もよく歌を使っております。この腹帯も白い晒布に歌が書いてあります。

それを締めると何事もなく安産するんであります。一々拵えるのは非常に面倒ですから、私の方で布を入れ代りも入れて、二本にして、長さ七尺五寸三分になっており、麻も入れてるし、お霊根利(ヒネリ)もつけて上げます。陣痛が起ったらすぐに之を戴けば、非常に軽く済むんであります。晒布の歌は、

胎(ミゴ)もれるこれの身魂を安らかに
守らせ給へ伊都能売之神
といふのであります。

以前は、守らせ給へ塩釜の神とかいたものですが、塩釜さんはお観音様よりずーっと下でありますから、それはいけない。お観音様といふと、水神様とか塩釜様よりずーっと位が上ですから、それ丈の御守護があるんであります。値段は決められませぬが、思召しでよろしいのであります。御親類など帯のお守りとして用意してありますから、いつでもお受けになったらいゝと思ひます。


次に、観音様の宣伝の場合には、議論や理屈、之は非常にいけない。絶対にいけない。議論めいたり、理屈めいたりするのは観音行ではないのでありますから、その積りで、お蔭話は非常にいゝのであります。それで、講演も議論や理屈をよしたんであります。みんなお蔭話にしました。まして講演等で議論や理屈言ふのに間違がある。近頃はそういふ謬りがあるのでよしたんであります。

それで、そうした話は、議論や理屈でしたりしては、観音様の御趣意と違ふから、顕著な御神徳のあった時は、御遠慮なく話して戴きたいと思ひます。折角の御神徳のあったのを蔵ひ込んでをってはつまりませぬ。戴いた御神徳はどしどし発表して戴きたい。

それがやがて観音様へ感謝の意味になり、お話するのを慣れない、極りのわるい方は、支部長とか幹部の方に代って話してもらへばいゝのであります。お蔭は取り放しにしないで、沢山の人に別ける。皆に分配して上げる。そうすると後どしどしと御神徳を戴ける訳であります。