種々の運動の方法など、今後も出来るであらうが、之は私がやるんでない、観音様がやる。たゞ一つの道具に使はれるやうなものである。去年あたりは夢にも思はなかった。然し時期が来ると、どうしても造らねばならぬ事となった。だから発展するに極ってる。大体、健康協会の目的は、無論病気を無くするといふのだが、観音会だけですと非常に狭い。
例へば基督教、天理教の人などは、観音様といふと躊躇する。又、科学一点張りの人は迷信臭いとして触れようとはしない。そういふ点から救はれない人が沢山出来る。今迄は、救はれる門が一つしかなく狭かった。今度はもっと広い、入りいいものが、も一つ出来た事になる。
此間埼玉へ行った。あっちの方では、観音様を拝めば治るといふのがいい。故に土地に合してやって行くのが応身の働き、つまり、観音様の行り方である。いづれは健康協会の本部が出来る訳で、今は家がないので見つけてゐる。未だ一寸時期の早い為、これはといふ家が見付からぬ。時期が来れば観音様の方でとっておいてあるやうに見付かる。もう少しだらうと思ふ。
運動の概略をお話するが、近き将来に相当大きな病院をこしらへる。病院といふと言葉が面白くない。療院とか、治療院とかいふのが本当である。名称は大日本治療院とか、治療所とかいふ事になる。今日の病院の如きものをつくり、外来の入院などもする事になる。
又、新聞雑誌へも出し、後援会なども何れは生れる。そして出来るだけ知らせる。といふのは、御承知の如く現在の医学は、全然間違ってる。決して病気は治らぬ。治るかのやうにみせたり、信じさせたりしてゐるが、絶対に治らず、非常な間違ひで、それが為に病人が益々殖える。病人が殖えれば死ぬ人は殖える。
今の子供で完全な健康はない。肺の素質、近眼、トラホームか胃腸がわるい。故に之で放置ったら、本当に日本はどうなるか判らぬ、健康の大非常時である。
之を救ふべく観音様がそういふ事をおやりになる訳である。それには一人でも多く知らす事と共に治療士が沢山要る。
之が本当に社会に判れば、医者へかかるものがなくなる。医者で一月かかって百円位の入院料がかかれば、同じ病気を三日で十円以内で治る。早く治って時日が短いから、客は来るに決ってゐる。之が少しでも知れれば大変な事になる。
故に、講習を受け治療士になる方が沢山要る。故に、そういふ方は至急講習を受け、そういふ人があったら観音様がして下さる事、又、完全人間を造る事、何れ健康保険的方法もやる。例へば一軒一カ月二円なら二円出す、初期の時は只で治す。健康保険では、医者で二日や三日で治らぬ。
こっちへ来れば官民共に助かる。よく保険で病気が治らず、間に合はぬ事がある。そういふのは、こっちでは充分間に合って、首になったりなどしなくて済む。で、そういふ方法で治し、沢山の人が救はれて行く事になれば、本当に病人は無くなる。歴史あって以来、恐らく斯ういふ大事業はないと思ふ。
これは、観音様のお知らせになってる事だが、東京に十カ所、全国に百カ所、全世界少くとも千カ所出来る。そのうち病人がなくなり寿命が延びる。世界中の人民は百以上生命が延びる。まるで夢のような事だが、決して架空でも何でもない。現に今やりつつある。今小さくやってる。大きくやればその通りになる。此事を考ふれば、今迄のキリストや釈迦のやってる事は、小さな事と思ふ。実に全人類が救はれる時が来たといふより仕方ない。
観音力の療病と現代医学の間違ってるのとの比較を判り易く書いた。これで如何に間違ってるかが判る。間違ってゐる急所である。
健康の種類と医学の盲目、これなど「健康」などにどしどし発表する。これが急所なんであります。
昨晩も或陸軍の軍医官の話で……
二年もわるい、肺がわるいとお医者に言われ自分もそう思ってる。みると肺も胃も何ともなく、水膿の溜結がお腹に溜ってる。喘息で咳が出てる。今迄肺に異常があるとしてゐた。私は一カ月位で治るといって引受けた。そういふのは働き乍ら治す。そういふのは、薬とか滋養物とか、安静療法などすると、少しづつ少しづつ悪化し衰弱して死んで了ふ。之に気付かず医学は進歩したと有難がってゐる。実に恐ろしい。極端にいへば殺されて有難がってゐる事である。
この話のは一人と一人との事だからさしたる事ないが、又防止する方法もない。医学は治されるもの、治せるものと思はせてゐるが、事実は悪化させ殺されるもので、これほど恐ろしい事はない。
丁度、共産主義者も人類社会の大罪を救ふべき良い事と思ひ、生命をかけてやった時代があった。それと同じ事である。否それ以上で、共産主義はいいと思ってゐる。 丁度、二・二六事件の「兵に告ぐ」とある、お前等が正しいと信じてゐる、それが大いなる誤りである。之があてはまる。いいと思ってやる事、それが大変な誤りである。
今人類救済の根本は、之以上の事はない。これを以てみても、観音様が助けられる訳は大変な結構な事で、千手観音様の生れた訳なんであります。
その意味により皆さんも之以上結構な事はないから、大いに覚悟されん事を希望してやまぬ所で、健康協会によって治った場合、不思議だといふ気持を必ず抱くに定ってる。
これは観音様が観音力で治されたといふと、是非拝みたいといふ事になり、信者になる-といふ具合に非常に広い門が出来た訳であります。そして結局観音様の信者が殖える。だから、実に観音様はうまくやるものだといふと変だが、巧妙におやりになると思って感心する訳であります。
観音運動に就ては、始終東京本部でもお話してゐるが、くわしくお話する必要はないと思ふ。観音様の御目的とミロクといふ事について、簡単に説明しようと思ふ。それについて論文をかいておいた。
光明世界といふ別の方面から説いた「獣性より神性へ」これは、今迄光明世界などにも出てゐるが、一寸説き方を違へた点があります。
つまりその大きな、いよいよ世界完成時代は、観音様が全部やる、私がやるんでも何でもない。だから、今後私がやる事をわるいといふのは、観音様をわるくいふ事になる。
此前本部の建物となるべきもの二軒、目下空いてる。二、三年もあいてる。私の行った前の日、見に行った人がある。で延び延びになり、私も気付いたが、発会式をしなくてはならぬと-で、麹町の今の本部でなくてはならぬといふお知らせがあり、発会式をする事にした。
所で、東京本部の隣の地所が空いた。ここへやるといいと思った。権利は大体六十円といふ事で、何とかしたいと交渉したら貸さないといふ。やはり観音様はいけないといふのだなとやめた。所が、二・二六事件の時、あそこが中心となり、買はなくてよかったと思った。危険な所だと思った。今日考へると、あすこへ宗教的な建築は許さぬものと思ふ。
今度、健康協会としてよさそうな家があり、交渉すると不思議にうまくゆかぬ、又発会式がすんでからでなくてはならぬと思った。そういふやうに、仁斎個人で考へる事は皆駄目で、観音様のお知らせの事はとてもスラスラ出来る。で、私個人の考へと観音様との使い分けする事がよくある。そういふ具合で如何なる事もすべてキチキチと観音様がやられる。後になってみると、一糸乱れず観音様がやられてる事がわかる。そこに面白い所がある。
三百六十五日といふ事に就てお話するが、一年は三百六十五日、何分何秒といふ事になってゐるが、三百六十五日と定ってる所に非常に神秘がある。今度出来る光明世界の一つの暗示になってゐる。三百六十五日だから、三・六・五、即ち三六、ミロク、五は五大洲、日は統一故、ミロクの前に五大洲が統一さるる事となる。三六は三六九を差す。
本当かくと三六九とかくのが本当である。三六九は合計十八となる。三六も十八となる。六を三つでも十八である。三を二倍して六、三倍して九、三を三つ重ねる意味にもなる。だから、結婚の時の三々九度もそういふ事から出てる。支那人の礼拝は三拝九拝といふ。
又、五六七も合せれば十八になる。昔から観音様の御命日は十八日になってゐる。観音様のお堂は十八間四面になってゐる。一寸八分といふ事もみなそういふ訳で、ミロクといふ事は完全世界の姿で、これは観音講座でお話したが、すべてが三段になる。
今迄は二段の世界で、一段足りなかった。故に、今度は之が三段になる、今度は二段が三段になる。之から出来る世界が三三ガ九。今迄は二二ンガ四-ニシである。故に、今迄は二千世界だった。二が、西が支配したのはそういふ意味からでもある。決して偶然ではない。よく神道によっては二つづつ手を叩くそれはやはりそういふ意味である。
観音会は三つ叩く、故に、今度は一段殖える訳である。その一段殖えるのが日本文化が加はる事になる。
今日迄の文化は月と地で、今度日が出て日が加はる。日即ち日本である。今迄は日が下で地が上になってゐた。地がアジヤ諸民族、アフリカの土民など、白人は月の系統の人種だから、今迄は月の文化と土の文化だった。キリスト教は月の宗教だった。今迄は月と地だった。数からいふと、月は六、地は七故、六と七であり、月と地-その上に日が乗るのである。日は五である。それで五六七となる。五六七をミロクともいふ、即ち完成世界である。
釈迦は五十六億七千万年といった。五六七とすると、あまりはっきりするから、十と億を入れたのである。之はあまりはっきりしたのでは、経綸が出来なかったのである。
それで、ミロク神とか、ミロク仏とか-そういふものが出るんでない。ミロク菩薩は釈尊の時に出た。で、ミロク完成世界の形は三三三となる。も一つの意味は月の数は三五の月といって、三五の数である。その三五へ日が一つ加はる、それで三六となる。今未だ時期が早いから、その神秘はとけない。
もう一つ、三年程前の昭和八年、十五日と二十日の日に月が金星と土星を呑んだ事がある。これは、ミロクに関して神秘がある。あの日の月は四日月である。三五の月は三日月をさすので、月そのものは三五で、月の一番照ってる(張ってる)のが、三五の十五の満月で、その三五の月へ四日月故一つ加はる。一つ加はると日月といふ事になるのであって、金星と土星といふ事は、凡ゆる物質といふ事になる。
この翌年に皇太子殿下お生れになり、その御名には日月がついた明仁となった。これにはよほど関係があると思ふ。
ミロクといふ事は、大体そういふ意味があります。
(昭和十一年五月十五日)