緩慢なる自殺法

現代社会に於て、最も恐るべきものは何であるかといふと、それは薬剤である。現代人の短命も多病も、種々の問題はあるが薬剤に優るものはないのである。もし人間が生命を断ち、人類を滅すべきものがありとすれば、それは薬剤であると言っても……。

抑々、人類の本来の寿齢としては百二十才迄の可能性は誰しもあるのである。それがその半ばにも足りないといふ事は、全く薬剤がその原因である。その最も顕著な現れは日本歴史である。神武天皇以来、千余年迄は天皇の宝算百才を越え給ふたのが、千余年を経て漸次短縮せられたのである。之は全く漢方医学渡来の為、薬剤に因る悪結果の為である。

元来、薬なるものは決して此世の中にはあるものではないのであって、病気に効くといふのは、薬ではない毒だから効くのである。病気の苦痛は浄化作用であるといふ事は、再三詳説してあるから、茲では省くが、その浄化作用である苦痛を防止するのは毒であるからである。人体の自然浄化力を防止出来得る程のものは猛毒であるからである。故に、その薬毒によって人間の血液は汚濁せられ、その汚血が病気に対する抵抗力を失はしむるのである。

その何よりの実證として、薬剤を多量に用ひた人程治癒され難いといふ事である。又、薬剤多用者の皮膚を見れば、最も能く判るのである。その色は蒼白を呈し、弾力なく、若くして老人の如うである。又、長年薬剤が効くと思って服用してゐたものを、薬剤を止むるに於て、その時から病気は軽快に赴くといふ事実は、常に経験してゐる所である。

其際病者は其事が不明であるから、薬剤がなければ病気が悪化すると信じ、容易に止めないのであるが、試験的に中止した丈でも、病気軽快に赴くので意外に思ふのである。故に、薬剤なるものが無いとすれば、病者は三分の一に減り、人間の寿齢は二十年を増す事は間違ないと思ふのである。

是を以てみれば、薬剤本位の現代医学は、病気治癒に非ず、病気増悪の方法でしかないのである。

斯の如き恐るべき人命に係はる誤謬事が、大組織の下に公然と行はれつつあるのを、政府も国民も更に気が付かないといふ驚くべき時代ではある。否、益々奨励せんとする傾向さへあるのは、実は寒心すべき事であって、凡ゆる疾患が増加し、国民が日に日に弱体化するのも当然の帰結である。

然るに此真相を世人に知らしめんとすれば、当局の忌避に触れるであらふ事である。何となれば当局は、西洋医学を絶対のものと信じ、之以上の医術はないと信じ切ってゐるのであるから、如何なる大医術が生れやうとも、当局に認識させる事は一大難事である。

故に、此恐るべき事の真相を知らしむる事さへ容易でないといふに至っては、現代人こそ如何なる事よりも不幸である。之に比ぶれば、社会の凡ゆる問題は、悉く微々たるものであると言っても可い。

忌憚なく言へば、薬剤服用は、緩慢なる自殺であり、それを使用せしむる者は、善意の殺人者であると言っても過言ではないと思ふのである。噫!。

(昭和十一年五月三十一日)