今日は元旦で、初のお祭りでありまして、之から御挨拶でありますから、こゝから御挨拶致します。之に就て、今年は非常に重大な年廻りでありまして、世界からいふと、一千九百三十六年、日本で申しますと二五九六年で、猶太(ユダヤ)の年号でいひますと、五六九六年で六が三つ並ぶ。日本の年号と世界の年号、猶太の紀元とで、三つ六がつく。
観音会の仕事は五六七で、ミロクでありますから、去年から五年、六年、七年と、之が非常に重大な経綸の出来る年で、五六七となり、来年は七年で、之を過ぐると、初めて素晴らしい発展をする事になる。それと共に大変に世の中に変った事が出て来る。
それは、今迄の夜の世界が昼間になるからで、之は仕方がない。特に今年は三六年で、ミロクで、三六は十八、十八の二倍は又三十六ですから、ミロクの経綸に就いて、非常に重大な意味があるのであります。
三五は月で、三五の月へ一つが加はると、三六になる訳であります。之は、今迄の世界は夜の世界ですから、夜の世界は月の世界で、月の世界へ一つの神様がお出でになるわけで、要するに、十は神、一ははじめる、この一が加はりミロクになる、一つの神様は、やはり観音様になる、一が観音様といふ事は、今迄にお話しました。
面白いのは、東京が、三十五区になったんですが、やはり三十五区は三五で、夜の世界の数になる。所が、近々も一つ玉川区といふ区が出来るそうで、観音会が玉川に出来、それから玉川区が一つふえるといふ事になり、それで三六となった。ミロクになった。そして三六で日の世界ですから、要するに、日の世界で昼間の世界になる訳である。
斯ういふ工合にすべては皆観音様がやってゐられる。又今年は十二支の内、子の年になるんで、之から初めになるのであります。十干十二支といふ事は、いつかお話したやうに、非常に重大な意味があるんであります。で、十二支の初めで、十一年ですから、やはり初めになる。
で、去年もお話したが、それは去年の今日こゝで発会式を挙げた。丁度今晩が満一周年になる。その時は経緯を結ぶといふ事をお話しました。経緯を結んだ年が去年で、十一年で、之からいよいよ始まるんで、一周年といふと始めると同じ事になる。
皆一(ハジ)めになってゐる。十一は十一面観音様にもなる。千手観音様の御冠りは、十一面観音様になってゐる。十一面観音様が進むと、千手観音様になる。ですから、今年は十一面観音様の御働きになる。十一は統一ですから統一する働きをなさる。 私は元日の朝、今朝は寝坊するから十時に起してくれといった。それで十時に起された。起きやうとすると、十一時に起きろと観音様が言はれる。それで、十一年の一月一日の起きるのが十一時で、此数字はやはり一一、一一、一一と三つ一一になると六つになる。三つが六つになるからやはり三六になる。
来年の五月が恰度(来年の四月晦日)現界の経綸が終るんでありますが、それから先は素晴らしい進展をする。今年又亦非常な発展をする。地方にも信者や支部が沢山出来る。之は観音様がやってゐるんですから、誰がどうしやうとこうしやうと、出来るに決ってる。それについて、いろいろと変った事が出るはずになってゐる。今迄にない事が出る。
それは敢てわるい事とは限らぬ。夜と昼間と入れ替るんですから、夜の方は非常にわるく、昼間の方は非常に善い事になる。所で、大体観音運動の主なる目的といふものは、世の中の掃除なんであります。夜の世界は暗の世界で、沢山溜った汚れや埃をそうじする。ひる間の太陽の光によって黴菌や、そういふわるいものをてらし、汚いものははっきりし、そうじする。掃除しなければ世界の進展が止まる。止まるといふ事は、滅びる事になる。
私はいろいろと毎日事実によって知らされる。毎日いろんな病人の方がみえますが、病人でなくとも健康診断などで来る人もあり、そういふ人達の一皮剥けば、膿と毒で、之を考える時恐ろしい感じがする。若い方で綺麗な方もあるが、膚をみると本当の血が循環してゐるんでない。
観音会の方でも掃除されてる人もあります。その方は、おデキの出来てる人があるが、之は結構なんで浄められるんで、唯楽に浄められるのと、苦しんで浄められるのとあって、之はその人の想念、信仰等によるんであります。然し、汚れも清められなければならぬ事になってゐる。此人の霊体の曇りは如何に激しいか判らぬ。
何故かといふと、何千年の夜の世界にゐて、本当の太陽の光に遇はなかったからであります。之を清めなければ人類は、近き将来に滅亡しなければならぬと思ふ。然し之だけ曇った人類の汚れを浄めるものがあるかといふと、他には断じてない。凡ゆる宗教は沢山あるけれど、それを掃除し得る宗教はない。
最近、四十位の婦人で病気治しに来られる人あり、その方は今一番発展してゐる宗教の信者で、その信仰では一番比較的に病気が治るんで信者になったもので、その人は病気で手が利かない。そして肩から膿が出てゐる。今迄に凡ゆる事をした。何故かといふと、初めの内は信仰で治さうと一生懸命やった。
それで治らず、仕方なく物的療法を始めた。すると他の先生は、信仰があり乍ら医者などへ行くとは怪しからん。そんな事するから治らぬといって怒られるそうです。で、私は、そんなアベコベだ。そんな事したから治らぬのではない。治らないからそんな事したんだといふのが本当といへば、その人曰く、以前はその信仰で相当治って、おかげが頂けたが、近来はさっぱり頂けない。
どうも不思議だったが、今度は観音会が目っ付かって、実にこれだと思った。そして、今すぐに転向したいが身体が之で仕方なく、寝ても起きても観音様の事が頭に起る。どうも不思議だといふ。
で、私は、今迄はすべて夜の宗教ですから、夜の内は月も星も光輝いて力があったが、今度は日が出て、月も星も見えなくなった。それで、病気も治らなくなったんだと言ったら喜んでゐたのです。
又、実は自分は内密でここへ来てゐる。もし目っかれば片腕の一本位は折られるかも知れないといふ。その宗教の所長さんといふのは、とても乱暴者で、その信仰の人達は皆酒呑みで、酔払って此事聞けば何をするか判らないといふのです。
所が、観音会では酒を呑まない。又、酒など欲しくなくなるといへば、之こそ本当のものだ。私の方では酒呑みばかりで、何時乱暴をするか判らぬから安心が出来ない。そういふ時にこっちへ来れば安心だといってゐました。
所が、昨日来ていふに、昨夜所長は酔払って落っこちたとか何とかで、腕の筋の見える所まですりむいてウンウン唸ってる。治っても手は動くまいといってゐる。そんな神のお知らせを戴いてゐながら、ちっとも悟らぬといふ。実にその信仰の人たるや、普通の人よりひどい位だといふ。私も驚いた。
とに角、世間で有力な信仰団体がその有様、其他は推して知るべしだと思った。で、又貴女はどういふ訳で手が動かなくなったか判るかといへば、知らぬといふ。で、本当の事をいへば、実は今迄拝んでゐた神様は違ってゐたんだ。もし今気付かなかったなら、良い方の手もわるくなるべきだった。之は、間違った神仏を拝むと一種の罪になる。それと、夜ならいゝが昼間になったら、反ってそれを拝む為に、日に背を向ける事になる。太陽が出れば、それを拝まなければないけない。といったのです。
その人は、どんどん良くなって一週間位になり、昨日など手などスッカリ上るやうになった。自分の属してる支部には百人位信者がゐる。自分が治るにつれて皆不思議に思ってる。之が治ったら大いに宣伝しやうと思ってる、といってゐました。
も一つ若い二十五になる婦人で、口から始終唾が出る。出すぎる位に出る。初めは胃と腸がわるく、四年位やり散々に胃が駄目になった。人の道、生長の家にも半年位宛ゐた。一生懸命やったがちっともよくならぬ。日々新聞をみて来たんですが、みると胃も腎臓も膿がある。そしてコチコチに凝ってゐる。首筋にうんと固りがある。
その位の凝りが一週間ここの治療をやれば、どしどし解けて行く。所が、半年も生長の家でやった。それが、治ったといひながら、ちっとも解けた跡はない。病気が非常に治る宣伝してゐても、事実治ってないのをみると、事実は効なしと思はれる。
古い宗教はとも角、新興宗教は相当力があると思ってゐたんですが、その婦人を見て驚いた。してみると新興宗教の方にも力はない。本当に身体を治す力のあるのは、観音会より他にない。之は絶対に断定する事が出来る。
どうしても、光明が強くなれば観音会のみでなく、世間一般が清められる。病気にもならふし、又、社会の暗黒面や罪悪や、間違った所等どしどし浮び上ってくるに違ひない。此間の大本教の検挙や天理教のような工合です。それで本当のものだけが残るわけです。然し、本当のものがいくらあるかといふ事が疑問です。
そういふ訳になってゐるから、今年から、改めていふ必要はありませんが、兎に角観音運動を大々的に拡げて行かねば、本当に人類は危険千万と思ひます。
要するに、観音運動は個人の完成で、一人一人の人間を綺麗にして行く。要するに、曇りやゴミをとって行くといふのが、観音会の全生命であります。でありますから、個人を綺麗にし、健康な肉体、健全な精神の人間を拵える。之で沢山なんで、健康な霊体の人間がいろいろな社会の事をやれば、立派な社会になる。敢て政治等を云々する必要はない。
よく、どうして大本教や天理教があんな事になったか聞かれるが、それは簡単なんで、大本ならば、宗教でゐながら国防運動や政治運動をしたからで、丁度商人が株に手を出して失敗したのと同じ訳で、宗教は宗教としての本来の使命がある。その使命の事を一生懸命やればよい。
然し、その使命を一生懸命やる力がない為に、やむを得ず使命以外の事をする。丁度既成宗教が社会事業するやうに、要するに、大本など力がないからで、大きな事をやらふと政治などに手を出したんで、ビシャッとやられた。
宗教は宗教以外の事をやるべきではない。又やられ得べきでない。それは神様が許さぬ。宗教をやる力がなかったら、やめた方がいい。そういふ工合でやってると、いつかは駄目になる。
天理教は沢山な金を取って、脱税などしたが、両方共宗教の使命を知って立派にやれば世の人も認める。間違った事をしたからやられた。
それも夜の宗教ですから、以前は力があったけれど、「東方の光」が出た為に、太陽の光が出て月や星の力がなくなった。それが判らず、何とか挽回しやうといふ足掻きの為に、他の事に手を出し間違った事をして、為すべからざる事をしたんで、当然な事であります。それに気が付かなかったのは、本当の精神がなく、そこに不純な精神があったからで、本当に人を救ふといふ観音心によってやれば、何等間違ひはない。
今年から大いに宣伝し、又今年から大いに治療士も病気が治る力に於ても一層強くなり、よく治る。之は日がだんだん出て昇る程光が強くなると同じ事であります。