一、大東亜戦争及び大東亜共栄圏の名称を大亜細亜戦争並びに大亜細亜共栄圏と改むべし。
今次の大戦争に於ける終局の目的としては、いふ迄もなく、畏多くも神武天皇の宣はせ給ひし八紘為宇の一大国是を達成する事で、天の時来って、茲に一大聖戦を起した所以である。而して此大経綸の眼目とする所は、米英的世界観、即ち弱小民族を虐げ、その富を搾取し、それによって自国のみの繁栄と幸福とを享有せんと、永年に亘って非人道的罪悪を重ねたるその方策に代って、あくまで道義に立脚し、万邦をしてその所を得せしむるといふ、寔に人類愛的神聖なる意図の下に戦ひつつある事を忘れてはならないのである。
八紘為宇とは、独り東亜の区域に限られたものではない。やがてはアジヤも、否全世界をも、その圏内に包合すべき事は洵に明かなる処である。此意味に於て、東亜に於ける経綸の第一段階としての基礎は、略ぼ成ったとみていいであらう。従而、最早次の段階に移らなければならない。即ち先づ印度に進出すべきで、その機運も漸く熟しつつあるとみるのが、今日の状勢である。
斯の如く何れの方面より観るも、大東亜戦争は逾よ大亜細亜戦争にまで発展せんとする様相を呈して来た此際、大亜細亜戦争並びに大亜細亜共栄圏の名称に革むべきが妥当ではあるまいか。
又別の意味に於て此事の発表は、精神的に敵米英に一大衝撃を与ふると共に、我国民は固より、大東亜共栄圏総民族に示唆を与へ、その士気を鼓舞し、希望を与へる結果となるであらうし、又印度以西、西南亜細亜諸民族に対しても、前途に一大光明を投げかけるのみならず、その方面への敵の関心を喚び起す結果、一の牽制力ともなるであらうから、一石三鳥の効果を期待する事とならう。
(昭和十六年)