諸士は、大体講習の際、中島さんからいろいろお話を聞かれた事と思ふが、又私としていろいろ話したい事があるんで、成可解りやすくお話したいと思ふ。
何分此治療というか、或は療術というか、今迄になかった事なんで分りにくいが、分ってしまえば何でもないが、分るまでにはひまもかかるし、骨も折れる。今迄世の中の人が思ってた事、言ってた事とは大分にちがふ。ほとんど反対の事が多い。結局新しい医術といふものが生まれたと考えるのが一番いい。
いろんなお話したい事もあるが、どういう訳でこういう方法が出来たかといふ事は、私がそういう事を知って多くの人に知らせて救ふ。
現在のまゝですと、人間が減って行くし、減ってゆく最後は無くなる。之は統計に表はれてゐる。それで、近頃政府があわてゝいろんな施策をたてゝゐる。
四月から人口問題が表はれ、人口が減ってゆくといふ。大々的に減ってゐる。 体力管理とか、吾々には分らぬが、健康検査して何か記録にして、身体のわるいもの、弱いものをよくするつもりなんでせうが、なかなかよくならぬ。又産めよ殖やせよ、今度赤ン坊ができると厚生大臣の手紙と赤ちゃんの産衣(ウブギ)と添えてくるといふ。こういふ事もケッコウだが、そうまでしなければならなくなったのは、どういう訳かといふ事である。
青少年の体位低下、結核が益々ふえつつある。又人口増加率が減ってくる。非常に減ってくる。このまゝ推移すると日本人はなくなる。どの位かというと、今の統計からいうと、中川友長博士が綿密に予想表を作った。それによって計算すると、昭和百年迄の計算になってゐるが、後八十四年で、二百年、三百年、四百年と推移していくと、五百年で零になるといふ事になる。
之は日本ばかりかというとそうでない。英国は約三百年、ドイツは五百五十年、フランスはもっとずっと早い。フランスは千九百三十八年、即ち一昨年十三万人減った。増加どころでない、全然減った。ですからもう二百年位でなくなる。このまゝ行くと文明国の人間はなくなってしまふ。
この問題こそ、東亜の新秩序問題よりずっと大きいと思う。人間の種がなしになればどうする事も出来ない。そうなると野蛮人だけが残る。そういうふうになるのは、文明国人の間に何か間違った事があるに違いない。
これは十九世紀から始った。こういう現象は文明国でない国の人間にはない。例えばインド人、支那人等はそうでない。ベルギー、ノールウェー、アメリカでも皆そうである。故に之ほど重大な問題はない。何か間違った事をやってるに違いないというので、私はそれを発見した。
発見した以上、此事を知らせて人口の減る原因を知らせなくてはならぬ。然るに私のやってる事と、政府のやってる事とは反対の事であるから知らせてやるべく、本や文章でかいてする事は出来ない。故にお話するより仕方ない。話をするとしても治療をやってゐては話する事も出来ぬ。そこで治療をやめた。やめれば個人同志の話であるから差支えない。
そうしなければ、人間が減ってゆく、のみならず非常に弱って来た。兵隊の検査も年々程度を下げてゆく。下げてゆかなければ予定人員がとれない。子供など……。
「序論」朗読
今の論文で大体の概念を得られたと思ふのである。
根本として、今迄の病気に対する考えが誤ってゐる事である。
今迄は病気は恐ろしいものとしたが、私の方の説では病気は有難いものだ。病気をするという事は結構な事で、有難いと思ふのが本当である。であるから病気とは「神が人類に与えた最大の恩恵である」というのである。
之も諸士は御存じの事であるが、病気は浄化作用であるというのは、汚いものを押し出す作用である-之は苦しいから皆嫌がり、それを止めようとした。それが今迄の方法である。
丁度部屋にゴミが溜ってゐる。それを掃除する。部屋がもし生身とすれば、さぞ痛いであらう。折角掃除してやらうとしてすると、誰か来て止める-それが医療である。
熱が出ると捨てておくとわるくなると思ふ。蛋白が出ると、之を直に止めなくてはいけないとする。之が根本的誤りである。
故に私の方の治療では熱が出れば有難いといふ、之が根本である。
身体にあってはならぬ毒血がある。どうして毒血があるかというと、人間の身体は絶えず浄化作用が行はれてる。血液の循環により、浄化作用が序でに行はれる。一つ所へ汚いものを押し出す作用、一つ所へ寄せるというのは第一浄化作用である。肩が凝るというのは肩へ寄るのである。すると段々固まる。
それを外へ出さなくてはならぬ。それが第二浄化作用である。そして熱が出る。固まると風邪を引くといふ。熱で溶けたのが、肺の中へ入り、咳で痰になって出る。首へ溜ると溶けたのが鼻汁になって出る。それで水っ洟(パナ)が出ると軽くなる。風邪などすてておけば治るに決ってゐる。風邪位治りやすいのはない、治療すると早い。風邪は出来るだけ引くようにしなくてはいけない。
今迄は風邪を引かないから、つまり掃除しないようにした。風邪をたまたま引く、熱さましをのむ、冷す、湿布する、薬をのむ。本来薬はない。薬ではきかない。毒でなくてはきかない。良くきく薬とは、毒の強いものである。ですから、眠薬などは猛毒だからきく。毒を入れると身体が弱る。身体が弱ると浄化作用が弱る故に病気症状は軽減する。
風邪が治った時は、第二浄化作用の起る以前に還元した訳である。本当に治ったんでないから又引く。風邪を引く度にふえてゆく。段々風邪が重くなってゆく。遂には熱さましなどをやっても熱がとれなくなる。すると、医者は肺尖がわるいとか、肺門淋巴腺とかいふ。
斯くの如く風邪を引かないようにする。又風邪を引いても固めてしまう事によって結核が殖えて行く。そういう事をやってゐる。どんな人もそうしてる。それからが問題で……。
風邪がコヂれて治らぬという。医者が診ると必ずラッセルが聞える、ついでにツベルクリン反応をやる。赤くはれると結核菌が入り、免疫になったといふ。所が腫れない人は結核菌がない訳であるが、肺がおかされた事になり、何時侵されるかしれぬから危険だという。腫れたのは陽性。
腫れないのは結核の危険がないからいいがいつ入るか判らぬから危険ありという。 之は……
血をとって試験管に入れ、濁ったのは淀む。早くよどむほどいけないといふ。之は私の理論と合ってゐる。重いから早くよどむ。之は結核に関係はない。血液に濁りがある為、結核でも何でも起り易い。
レントゲン写真も甚だあやしい。大変確実なようで、之ほど不確実なものはない。写真は平面に写る。深部にあるものも上かわにあるものも同じく写るからである。
最初風邪をこじらし長びくと、其時医者は肺浸潤とか肺門淋巴腺とか結核の初期のようにいうが、患者は何ともない。何故かといふと、大体首の周りとか肩とかの毒といふものは肋骨、腋の下などにからまる、又臍の周り、腎臓などへ固まる。咽を使ふと咽喉へ、腕を使ふ人は付根へ、腰を使ふ人は腎臓などへ固まる。
兵隊から帰る人はよくマラリヤになる、あれは腕の付根へ固まる。
注射の毒素は腕を使ったり、腰を使ふからその部に固まる。そして熱が出るとマラリヤといふ。故にその部を治療すれば訳なく治る。毒素は方々探るとどこかにある。風邪引いても、熱が出て肩と首の外を少し念入りにみると方々へ溜ってゐる。特に股などは、咳や痰が出る。
先に肺壊疽の若い男を治した事がある。之は右の股をやって治った。探ってみると意外な所に固ってるものである。
方々へ固まったのが人により一、二ケ所たまるのと、方々へかたまるのとある。そして溶けたのは皆肺へ入り肺を通過して痰になって出る。
そういう時医療の方では、熱さましや湿布などいろいろ手当する。それは皆弱らす方法である。その他栄養食などしても弱らす。すると毒素がどんどん溶けて肺の中に入ると今度は止って出なくなる。
安静にして咳も弱くなる。すると痰も出て来ぬので、肺の中へ段々停滞する。之を医者は肺浸潤というのである。段々浸潤して、肺中にだんだん固まって塊が出来る。方々へ塊が出来る。すると呼吸困難になってくる。肺の中に塊が出来ると肺の大きさがそれだけ減った訳であるから一定量だけしか吸えぬ。
それで度々吸うから息苦しくなる。中には肺の中には入らず、肺の中が一杯になり、肺の外に溜る人もある。身体が弱ってくると、肺の中に浸潤する力がなくなる。それで外へ固まる。そして肋膜と同じように固まって呼吸困難となるのがある。そういうのは大抵片方の肺だけ板のようで、呼吸の出来ぬのがある。
いろいろあるが、普通の肺病は、肺の中に塊が出来、段々固まると、医者は肺の中に結核とか壊疽とか癌が出来てるなどという之が本当の肺結核で、そうなってからは痰を査べると黴菌がある。早期には菌はない。菌のあるのは古い痰である。
菌は自然発生するのである。痰が長い間肺中にあると、体温により腐敗する。そこで黴菌が湧く。故に肺病は絶対に伝染はしない。
私の家では肺病患者を泊めた事があり、子供六人一緒にゐたが、一人もうつったものはなかった。うつるようにみえるのは訳がある。
今云った具合に肺の中に塊が出来る。これは間違った療法によってこしらえたもので、肺尖とか肺門淋巴腺などは、安静とか注射等その事が真の肺病にする事になる。 医学が進歩するほど人間が弱るというのは、その事である。昔、漢方医学の先生は薬は皆毒であるといったが、毒によって浄化を停止するのである。
六○六号はヱールリッヒ博士が発見した。之は砒素剤がもとである。即ち亜砒酸である。之は非常な猛毒で、耳掻き一杯で人が死ぬ。だからこの毒の為出来かかった黴毒のおデキも引っこんでしもう。浄化によって外へ出されたので結構なのをそれを引込ます。おデキなら押出されたのであるから外へ出た方がよい。
これは例えば、折角外へ出ようとしてゐる泥棒を追っかけて門の所まで行ったのを呼びとめる、すると又後戻りするようなものである。六○六号は一時的停止させるものである事を医学でも言ってゐる。
人口問題は現代文化人の結婚をおくらした。明治の初めより平均三年か四年位結婚年令がおくれてゐる。産児制限は調査する事は出来ぬ。ヨーロッパなども殆んどない。精神的労働者がふえた。何よりも婦人の姙孕率が減って来た。
之は何の為かというと弱って来た為である。之が丁度十九世紀の初めである。フランスでは一八三四年頃より、英独は一八七、八十年頃より増加率が減り始めた。それ以前は人口統計はなかった。十八世紀頃からやった。十七世紀頃にはなかったので先づ人口減少はなかったと推定するより他はない。
この原因は種痘の為である。之は英人ジェンナーが一七九六年種痘法を発見。最初ギリシャ人の間に種痘のような事をやってゐた。種痘をすると天然痘は軽くなる。これをジェンナーがみて研究し、初めは馬牛などに注射した。ジェンナーはそれを深く研究し、自分の子供に実施して、一八○○年頃種痘法を発表した。
日本は明治七年からやった。それで日本の方はヨーロッパより五、六十年おくれてゐる。今から五、六十年前の状態と日本は同じ事である。故に文明国中出生率は一番高い。日本は大正九年まで殖えた。大正十年から減ってきた。十三年には特に減って、支那事変の影響は受けなかった、昭和十五年のを発表した。
台湾も朝鮮も一緒にして殖えたことになってゐる。その頃はあまりふえず、台湾などで補った。
その後、推定するといくらもふえず百万人内外はふえてゐる。昭和十二年は九十六万、十三年は六十五万で、一ケ年三十万減った。それで政府は驚いた。去年、一昨年あたりは三、四十万の増加を報告してゐる。
都会はふえず、農村に僅かに殖えてゐる。昭和十一年は一ケ年廿四万人ふえた。出生の為ふえたのは六万人で地方より移住せるもの十八万人で、地方より入る方がずっと多い。六百万に対し、六万人より殖えない。そういふ具合で殆んど停止された。
今話した種痘が原因とすれば、種痘でどういう訳でなったかといふと、人間は生れながらに天然痘毒素をもってゐる。天然痘は特にひどい、種痘すると天然痘にならないようになる。所が之は毒素がなくなったんでなく、あっても外へ出る作用を失ったにすぎぬ。免疫になるというが、病気が起らぬからそういう。実は出る勢がなくなったのである。
故にそっくり体中へ然毒が残る。天然痘の毒は出ずに残るから、それが方々へ残って固まる。之が固まって病気を起すもととなり、又全体に身体が弱る。種痘をやらぬ国民は体力がある。満洲の苦力(クーリー)など非常に丈夫で想像もつかぬ体力をもってゐる。食物も朝昼夕同じ物を食ふ。日本人にはとても喰えぬ。実に粗食である。力は非常にあり、寝なくともビクともせぬ。
日本人だってそうである--昔の雲助などは殆んど裸でやった。足軽なども褌一つで毛脛を出してるが、昔は非常に強かった。マラソンの一等は朝鮮人であった。重量上げ選手の一、二等も朝鮮である。 とに角種痘をしない国民は強い。日本の出生率は二十位。支那の出生率は割合正確で信をおくに足る方法で査べた所によると、千人に付四十、日本人は二十である。これで日本は一番高い、米が十七、英独が十五位、この位の出生率である。
如何なる方面からみても減ってゐる。あまりにも種痘を信用した為、その事に未だ気がつかぬ。それは今日の西洋医学の誤った進歩による。之は何れは知れる。気づく時期が来るに違いない。
然し何れはなどといってはおれない。吾々こそ、目下の状勢上もっと強くなくてはならぬ。ちょっとした病気にも仕事を休む、之などどんなに大きな影響してるか分らぬ。人的資源不足というが、これもその為で未だ気づかぬ。
中世紀西暦六、七百年より、千二、三百年頃には、名医といわるゝ者は、占星術を知らなくてはならなかったという。今日では馬鹿々々しいと思うが、進歩したものが発見されるとそんなものである。何れは間違った事は訂正されるが、早くそれを気づきたい。
国家のやってる事と反対の事をいうと、国の方針に逆ふから、あまり大いにはそれをやらない。故に講習を受けてはっきり病原など知っておかなくてはならぬ事を話す。故に心で思ってゐても誰にも話してはいけない。今度はどうして治るかに就て出来るだけ悉(クワ)しく話する。
こゝが痛む場合、熱がある場合、そこをやれば治る。一般指圧では非常に強く押すが、出来るだけ圧(オ)さぬようにして治る。之はどういふ訳か。治る訳があって治るので、霊を霊で治すのである。之が本当の簡単な原理である。所が霊は目にみえぬ。昔から幽霊などというが、どうかすると見る人があるが、普通誰も見た人はない。けれどもある霊とは何で何にもみえないのか。
霊気のある事は判る。空気の中に霊気がある。今迄の学問では霊気の発見は出来ていない。空気と思ってる外に酸素(霊気)水素もある。空気中に酸素があり、霊気の中に空気があり、之はなかなか新しい科学であり学問である。故に科学は将来ここへ行く、何十年か何百年か先でゆくところを今発見したのである。
霊気を発見すれば、まだまだ素晴しい発明が出来る。飛行機なども落ちないものが出来る。人間一人で羽のようなものを着けて飛ぶ事も出来る。無線なども機械を使はず、指で出来る。その本は霊気である。
空気の外に霊気の世界、霊界がある。霊界より空気の世界、現象の世界を仏教などで三界というのは之である。今迄は二界であった。発見出来なかったのは訳がある。 斯ういふ事も考へなくてはならぬ。世界は夜と昼とが交互に移ってゆくもので、之は一日の中に夜昼あると同じく、十年間、百年間、或は千年間にも夜昼はある。
今迄の歴史でも戦争と平和、景気、不景気というように、陰陽に来てゐる。よく「景気は八十年毎に来る」と言ったが、一年にも夜昼はある。一日にもあるが、十年、百年、千年となると分らぬ。霊界にも夜昼が移り変ってゆくのである。
今日世界の凡ゆるものは大転換を始めてゐる事も、時も分る。歴史あって以来、今日の如き大変りした事はない。
今迄、大抵一国とか二国とか……。
此前の大戦の時は転換はなかった。経済組織など変らなかった。今日のは恐しく変った。之は非常な訳がある。それは世界の何千年か何万年かに一遍ある昼間の世界が来た。
今迄非常に長い間夜だった。最初私は夜から昼になった事を知った。昭和六年六月十五日初めて昼間になり始めた。故に今年は十年目になった。夜が明けるのにも段々だんだんそうなるんで、日があけるようになってゆく--六月十五日、岩戸開きに、天宇豆売命が踊って大いに笑った。天照大神は笑い声を不思議に思われ戸を少し開けられたという。それで手力男命(タジカラオノミコト)が戸をあけた。そして天照大神の御出ましを願い、御手を引いて出た。そして再び岩戸に入れぬよう七五三繩(シメナワ)を張ったという。之は昼間の世界になる事で、太陽を人格化したのが天照大神で、お出になったのは今度がそうである。
翼賛会の発会で、之より岩戸開きの会議を舞い開いた。
私は昭和六年六月十五日に安房の日本寺へ行った。その時天照大神がお出ましになった。あそこは日本寺といふ、日の本の寺という訳です。三月経って九月十八日満洲事変が起ったが十八日の日に不思議な事が起った。岩戸が開けると日本は日の本であるからお日様が表はれ、世界を照し出し、満洲へ射し、満洲は日本のものとなった。その後六年で支那事変、今度又照してる。
その他、タイ、仏印と国旗が飜るようになった。国旗は太陽の光を小さく分割したものである、次にシベリヤ、次にフィリッピン、蘭印より印度と、日の丸がひらめくようになったというように、昼間になるのはどしどしそうなってゐる。之は絶対で仕方ない。
日本も今になってみれば、海外発展などおくれてゐる。徳川の鎖国政策など惜しかったなどというが、此事が分るとそうは言えぬ。太陽が昇る時機でなかったのだから仕方ない。夜は月が上になり、太陽は蔭に入ってる。であるから、此時分いくらやっても海外へ発展する事は出来ない。故に徳川の鎖国政策は大自然の法則に従ったものである。
神は大宇宙の主たる神人で、人間を使っておられる。
霊界が明るくなると、浄化作用が起り、強くなる。(之は新しい学問であるからよほど話しにくいが、呑み込むのも骨が折れる。が、呑み込んでおくとこの世の中の行先が分る)
大宇宙にあるいろいろなものは一つの国として表はれてゐる。日本は日、米が星(旗の色も月夜の色である)赤い條は太陽の光を受けてゐる。黒いのは八方へ照してる。英は月、ドイツは土、伊太利は水、独伊の仲のいいのは大陸と海は切っても切れぬからである。ロシアは雲、フランスは霧。
今度の独蘇戦など、今年六月十五日、現界の岩戸が開け……。
今迄独逸と日本が提携したのは、雲を除る必要があり、日本の太陽と独逸の土の間に雲があった。之を払はなくてはならぬ。それで戦争が起ったのである。スターリン、ヒットラーは今雲を払ふ作用をしてゐる。故にドイツと日本は国境がくっつく。シベリヤは日本、ヨーロッパとロシヤはドイツになろう。そして月も星もなくなり、結局いろんな事があってもそこへ行く、絶対そうなる。
神様-大自然がやってゐる。英米がどうしようと、必ずそうなる。そうして日本は一番幸せになる。太陽の国であるから。
天皇は万世一系で有難いが、もう一そう大きな有難さである。然し、それまでにはいろいろの苦しい事があるが、それを知ってゐれば楽である。そういう風になるという事は、太陽が表はれると、霊界が明るくなる。
緯は
霊界は火の世界
空気界は 水の世界
現象界は 土の世界
経は 日 月 地
故に物質はすべて土から生ずる、人間の身体も火水土で成り、死ぬと魂は霊界へ行く。水は血液、漿液などである。これ等は死ぬと涸く。肉体は土になってしまふ。斯の如く、火水土となる。
空間は暑からず、寒からず、両方が混合してゐる。火のみになれば爆発するし、水のみなら凍結する。そうなると……。
霊界が昼間になって、火の分子が多くなった。夜の世界は水の分子が沢山あった。 昼は火の方が多い。夜は水気が多い。水は物質に属する原素である。水と土は物質に所属する。
霊 火そのもの 水・土は物
霊(ヒ)主水従は昼の世界
人間の方は浄化作用が旺盛となる。
夜の世界の間は、悪い事が多く行はれる。昼の世界になると良い事が多く行はれる。秘密や罪悪は夜行われる、いろいろな方面にそういう事が表はれてゐる。
今迄の人間は利己主義だったが、之からは自己の利益は第二とし、之からは陛下、国家に奉公する事となった。之も表はれの一つである。
自分の利益を後にして国家や他人の為をするのが善である。悪は自分を主とする。善悪は利他主義と利己主義の違いで、之も或程度はいゝが、程度を越えると悪になる。之は昼の世界では利他主義になった。利己は許されぬ。
商人など損々といいつゝ儲けてゐる。今迄、夜の世界であったからゴマカシがきいた。今日の商人は配給業を扱ってゐる。今ははっきりしてゐる、暗取引など夜の世界の方法だったから変った。要するに、罪悪やゴマカシが出来なくなる。
英米などの持てる国は、弱い国より奪(ト)り、利益を搾取した。之は許されぬ。世界で一番貧乏で一番虐げられたのは印度であった、利益は全部英国にとられた。之はもう許されぬ。
世界の大きな清算が始められる。今迄ひどい事した国は非常に苦しみ、印度とか、アフリカ等は良くなる。未だ未だうんといろいろ夢のように変ってゆく。そういうような具合で、霊界に火素が多くなった。
人間の身体は、肉体と霊体と両方が密合してる。霊が脱出すると人間の通りの形をしてる。曇なき霊は額から、最悪人は足から、普通は臍辺より出る。病人でも足から変なものが入ると思ふと、病気になったという人がある。神のお知らせの場合は額から入る。之を天庭という。
人間が使い道にならぬようになると、霊は脱出して、霊界で浄化作用が行はれる。であるから、人間の本体は霊が本当のもので、幾度も生れたり、死んだりしてゐる。私は之を研究した。研究するに従いはっきり判る。
病気のあるのは霊体に曇りがある。病気に表はれたものは霊の曇りが体に表はれたものである。病気を治すのは霊の曇りをとるにある。
万象は霊主体従が原則である。之以外に方法がない。霊の曇りをとる、すると膿の霊は死んでしもう。そして消えるか、体外へ出るかせねばならぬ事になる。物質のみが残るから自ら出る。薬など射すとよけい濃くなる。
又例えば、鉄砲玉が入ると、之を治療すると出てくる。外からやると自然に出て来る。薬などの霊をとる、すると弾丸といふ物質が残るから、外へ出さなければならぬ活動が起るのである。これが物質の原則である。
然るに今迄は体だけを除らうとする。霊の曇りを除らぬ以上、根本的とはいはれぬ。霊の曇りとは水の働き(水素の働き)であり、空の曇りも水素である。原素の水に対し、火素が出て放射するから乾いてしまふような訳である。
光と熱であるから、光で刺戟して溶かすのである。之は非常に神秘で、火素はどうして出るか、或大きな力が私の体を通して一般治療士へ行く、字のかいたものに伝達されるようになってゐる。それで光が出る。力を入れると体の方が勝つから出がわるい。さわるかさわらぬ位にする、すると曇りが早く解消する。
治療の時は力を抜く。奥の方へ入るような気持でする。そして毒の所へ行くと溶け出す。相当期間すると必ず効果がある。幽霊を治すつもりでやると、霊の方が中心になるから治る。今迄何故このような力が出なかったか。それは夜の世界だったから、水素が主で火素は少いので火素を集める事が出来ない。霊界の浄化作用が旺盛になると、汚い物を溶す活動が起る為、今後益々病人がふえてゆくのである。
今迄の医術は浄化停止であるから、昼になると益々きかなくなる。停止出来なくなる。
佐世保で、海軍の将校の家族の子がヂフテリヤで注射十本うって死んだ。この注射は二本以上うってはいけない事になってゐる。十本打ったのは怪しからぬといって査べてみると、盲腸なども故なく切ったもので、海軍では摘発しようとした。
今迄はこれで止められた。十本位なら。今度は薬がきかない。停止出来なくなった。今後益々そういう傾向になる。すると此療法は益々治る事になる。ちょうど宇宙の活動に合ってゐる。方々の弟子で非常に治る事になる。今迄十日位要したものも、最後には弟子でも一日位で大抵の病気は治るようになる。それで初めて多数の人が救はれる事となる。
宗教はやらぬ事になってるから全然ふれず話をした。或時期が来れば許される事になるから、今はあまりふれぬようにお話するが、そういふ原理で治るのである。
(昭和十六年九月十一日)