江の島片瀬に於ける御講話

時局は風雲穏かならざるあり、今日のお天気もその雛型の如き気がする。こゝにお集りの方は病気の治った方、又は病気で困った人を救ひたいといふ気の大いにある方故、病気といふものには、此療法の治るといふ意味を根本的、徹底的に知っておかなくてはならぬので、出来るだけ判るやうにしたい。

何分私の療法は、特に病気に就ての解釈は前人未発ともいふべく、よほど頭を白紙にしないと判り難い。一般の人は西洋医学で教育されてゐるので、私の話と全然反対なんで、そのつもりで聞かれたい。今後迷ったり判らなかったりする、それは根本的認識が出来てゐないからである。

私が今著してゐる本の序論をよむ。

「明日の医術」第一篇序論

以上の如く英・伊・白・和なども皆同じやうに、特にフランスは早く一八二三年から増加が止った。之は種痘による。先天性黴毒は-天然痘毒素。黴毒は遺伝しない。万病尿酸説-尿毒といふのは一理がある。脊髄カリヱス-悪性肺結核はよく祖先の罪が多い。肺の原因は天然痘。

今の医学では肺結核一つでも何百年前から研究してるが判らぬ。半分しか判らぬから迷ってる。研究は判らぬからするので、吾々は研究はしない。喘息など治るから研究せぬ。

霊と物質の関係は如何かといふと、空間は空気のみだと今迄思った。空気の外に別なものがある。それは霊である。空間に霊が充満してゐる。もう一層判り易くいふと、空気は物質で、窒素も酸素もとれる。

霊は物質ではない。霊の存在する為、今、音楽で音波などいふ。あれは霊で、霊をはっきり知らぬが、音楽、電気、光など霊の一歩手前へ入ったもので、もっと進めば霊へ入る。私の方はそれを早く知った。

霊界といふ別な世界があり、一つの社会がある。私は病気の研究をして霊界の研究をした。それから病気の本体を知った。死んで霊界へ行き霊界の生活が始まる。極楽、天国などもある。霊界の世界にはいろいろある。

仏界、神界などもある。仏界など非常に大きい。仏界からいふと、人間の死ぬのは生れる事になる。丁度裏表になるから現界の死を往生といふ。又生前などといふ。昔からそれは判ってゐた。昔の坊さんなど或程度判ったが、科学文明が入って判らなくなった。故に霊と体といふものは裏表になってゐて、凡ゆるものは生き、生れたり死んだりしてる。人間は肉体と霊体とある。

魚など霊が抜けるに従って腐る。人間も死体はサックで、何れは骸骨となり、骸骨が何万年経てばなくなる。

今日迄の科学は未だ霊が発見出来ない、何れは発見さるるだらう。霊が発見出来れば、もっとずっと科学は進歩する。

科学の方では未だ半分しか判らぬ。何故かといふと、科学は非常に研究する。例へば、ガラスなど下へ落す事を十何年やって研究してゐるものもあり、一つ事を研究してる人が沢山ある。之は霊が判らぬからで、霊が判れば何でもなく判る。

すべて霊体は主になる。霊は消滅しない。霊が脱出する事は、肉体が使い道にならぬからで、おき去りにして出て了う。そして霊界で浄化作用が行はれて生れかわる。故に人間は生れ乍らに馬鹿と悧巧とある。幾度も生れ代った人は、いろいろな目にあってるから悧巧である、新しい霊は低級である。こういふ事が判るといろいろ判る。私は死人と話した事が沢山ある。人間のみならず動物になるのもある。之は肉体といふ邪魔物がなく伸縮自在で、幽霊など戸の隙間からでも出る。

仏など仏壇の中にも何十何百とゐる。人間は肉体といふ物質があるから、思ふ通りにならぬ。人間は霊が主で体が従である。霊主物従-之が森羅万象の原則である。故に病気といふものは霊が主である。薬をのむと薬の霊が霊体の方へたまる。霊の毒をとれば体の毒がとれる。霊の曇がとれると体の毒もとれる。霊の曇がとれると体の膿は死んで了ふ、すると痛みはなくなる。

治療によって病気の治るのはどういふ訳か今の話は表で、今度は裏を話す。病気の楽屋を話す。

一切のものは霊と体で成立ってゐる。霊と体といふと、例へば人間は肉体の外に霊体あり、霊が抜けると死ぬ。霊が入ってるから生きてる。万物はすべて霊と体で成立ってる。一切の物は霊あり、物体でも霊が抜ければ崩れる。

月は水の塊、太陽は火の塊。両方の火と水の結合したもの……。

月は太陽の光を受けて光り、太陽は月の水を受けて燃える。火は水によって燃える。水は火によって動く。之は万物の原理。

水があるから火は燃える。夜の世界は水が主だから火が少い。昼間になると火が多くなる、火の方が多くなる-之を火素といふ。今迄は水素が多かった。 火素を放射すると曇は解消する。すると膿が溶けてゆく。霊界は大体火素の世界で、熱は霊界にある。空気は水の世界、火と水と相俟って初めて丁度いい具合に調和してゆく。昼間になると火素が多くなる故、病気は治りいい。此治療は以前なら出来ぬ。昼間になったから出来る。神の指名により私がやらされる訳である。

火素が特別に入ってゆく。これはどういふ訳かといふと、も一つ奥になる。之は宗教になる。悟るより仕方がない。霊界と物質界との関係が判ればいい。故に押して力を入れる必要はない。奥の方へ霊を入れる方が出る。

故に此原理さへはっきりすれば、病気の恐れなく、又必ず治るものである。

(昭和十六年七月二十二日)