世間、迷信邪教といふが、迷信邪教の一番はキリスト教である。キリスト在世時代を考へればよく判る。当時、迷信邪教と誤解されて、十字架にまでかゝられた事実が物語ってゐる。それが時の経過によって、迷信邪教の汚名は消え、今日の如く立派なものとなったのである。宗教の殆どは、生れた当時は迷信邪教視せられたものである。日蓮も、親鸞も、法然もそうであった。だから、実際、迷信邪教であるか否かは時を待たなければ確定は困難である。本当の迷信邪教であれば必ず滅びる。そうでなければ必ず発展する。
今日、新宗教でさえあれば、十把一からげに迷信邪教といふが、成程本当の迷信邪教もあるが、そうでないものもあるべき筈である。観音教団が迷信であるかどうか、徹底的に検討して貰ひたい。処が、少しも触れない人々が尻馬にのって迷信邪教視してゐる様に見える。故に、馬鹿らしくて返答のしようがない。多くの医師から見放され、死の宣告を受けたものが起死回生し、立派な健康体になったものは、実に無数に上るのである。又、不幸なものが幸福になったり、不良が改善された等々の、現実に社会に貢献しつゝある吾々に対し、どこに迷信があり、邪悪の点があるか聞かして貰ひたい。
一年有半にして、十万以上の信者が出来るといふ事は空前であり、何を物語ってゐるのであらうか。全く眼の前に見る顕著な御利益や、奇蹟によるからである。民衆を侮る事の間違ってゐるといふ事は、今回の総選挙がよく教へた。故に、本教の発展こそ、民衆の批判の正しい事を示してゐると思ふ。
(昭和二十四年二月二十八日)