中島氏帰幽に関するお言葉(速記)

廿九日の晩、中島から電話がかかり、中島が人事不省に陥ってゐるから御守護御願したいといふのである。変だと思って、様子を聞いてみると、脳溢血の具合である。それで、指図をして廿分位すると、又電話がかかったが、どうも脳溢血らしくもないが、盛んに嘔吐をするとの事で、非常に悪いから、よく聞いてみると、余程重病らしい。

それから一回か二回電話があった。丁度夜中の三時頃で、遅いし、運転手の家もちょっとあったが、やっと起して車で行った。見ると脳溢血症状である。そういふのは脳溢血か脳貧血であるが、脳貧血ならそう長くはない。霊憑りとすれば嘔吐をする事はない。やっぱり脳溢血的である。とすれば左か右かだが、手は両方突張ってゐる。稀には両方の脳溢血もある。

二、三十分浄霊した。大抵は二、三十分で快くなるが、脳溢血は必ず気の附くものであるから、明日あたりは気づくであらうと一先づ帰った。すると明くる日になって亡くなったといふ報せで、驚いたと共にハッと思った事がある。

これは浄化作用ではない。重要な使命を持つ人は斯ういふ事がある。今は大転換期であるから今迄……即ち仏は滅し、神様の出る境目である。そして仏界に罪穢がある。それを掃除するのに間に合はぬ時、その型になる人が犠牲になる。そして罪を贖ふ事になる。

中島さんは、その意味が多分にある。

今迄観音様の時は、善悪無差別的救いであったので、非常に軟かであった。これからは厳しく罪や穢れは徹底的に清算されなくてはならぬ-といふ時期となった。それでどうしても今度のような事があり得る訳である。

立春の日には組織が変った。

元日には、今年から大変だと言った。それは世間の事と思ったら、教団自体に大きい変り事があった。

これからは世の中に変り事があらうと思ふ。今は観音様のお働きは出来ない。祝詞にも、応身彌勒と化し、メシヤとならせと入れた。観音様はメシヤとならせられ、観音様のお働きはメシヤになる。観音様は東洋的であり、世界的のものではない。

世界人類の救済からゆくと、メシヤ教は余程キリスト教に近くなる。何れはそうなるべきだが、漸く時期が来たのである。

神様はいろいろさせてそれにより神代の罪を今帳消しになさる。故にその死が重大な意味をもつ。故に、中島氏のやった事など何れは大変な良い事をされた訳になる。

一時は犠牲になるが、永遠な見方をしないと結論は出ない。

(昭和二十五年二月)