御講話(速記)

之は文明の創造に於ける宗教篇です。この前読みましたがその続きです。之は皆が分らない事を随分書いてますから面白い点も大いに有りますが、又非常に参考になる点もありますから特別耳の穴をかっぽじって聞きもらさぬ様に……。

(御論文「仏教の起源」「伊都能売神」「観世音菩薩」のあとの御言葉。)

之で未だ色々面白い事があるが一寸書けない事が相当あるのですからそう言うのは話をするかしようと思ってゐるが、ここに伊弉諾尊の子供で五人としてあるがもう一人ある。もう一人と言うのは伊弉諾尊と言う神様は国常立尊になるんですね。息子に国武彦尊と言うのがありそれが一番長男になる。当時大将軍と言い勇猛で可成り勝手な事をやって居たその罪によって言はば地獄に行かれた様な事になる。

一番末が初稚姫尊と言い之が天理教祖の中山みき子となる。そうゆう様に幾度も生れ変ってゐる。大将軍の妹になる。そこで霊界で地獄と言っても普通の人間と違ひます。修行するんです。修行した結果大いに世の中の為になろうと言うので天理教祖の中山みき子に憑った。それで中山みき子に最初憑ったのは夫の大将軍が憑ったんです。そうゆう因縁なんです。そこで最初の中は力がありますから病気治しもさせたが、その力によって良く病気が治った。それで最初は病気治しで世の中に出たんです。

それからもう一つ日本民族の霊的考察の中にありますが、そこにもっていってそれを出雲系-素盞嗚尊が利用した。利用して、そうして、盤古神皇に取って代ろうとした訳です。それが徳川家康の系統なんです。それは霊的考察にざっと書いてありますが、そう言う意味です。

天理教の本体を書く事は天理教に悪いですからそこで書かなかった。それからもう一つ書こうと思って止した事がある。今の稚姫君尊ですね。之がこの次に書きますがお釈迦さんですね。ですから釈迦、阿彌陀と言うのは伊都能売神皇が印度に行かれて観自在天と言ふ御名前になられ、霊は釈迦と阿彌陀となった。阿彌陀は素盞嗚尊です。そこで稚姫君尊は釈迦になる。そこで釈迦は変性女子と言はれたと言うのは稚姫君尊だから女になる。

それで彌勒三会にあります「鐘の音」と言うのがありますが、三人の彌勒と言うのは釈迦が報身、報いると言う字です。阿彌陀が法身彌勒、観音は応身彌勒、之が三尊の彌陀になる。処が彌勒三会と言うのは大本教になる。大本教はその為に出た宗教です。大本教祖出口直と言う方は釈迦の稚姫君尊です。大本教のお筆先にあるが「直の御魂は半分は国常立尊、半分が稚姫君尊である」と言うのはそうゆう事です。

出口王仁三郎聖師様この方が阿彌陀になる。それで自分は月の神様で、瑞月と言う名前をつけたんですね。だから寂光の浄土と言いますね。月の天国と言うんですね。そんな様な訳で、大本教の教祖さんが釈迦になる。そうして聖師さんが阿彌陀となる。

そこの二人に生れたのが私です。私が応身彌勒ですね。この三人が会った。之は誰も知らない。私は知らせたくないと言うのは、大本教の信者がこっちに来て了うからね、だから書きたいが書かないんです。分ったら大変だからね、そんな様な訳で応身の彌勒と言うのは観音です。そこで観音会をつくった。観音を芯にしてやっていたからね。

つまり大本教は天理教と姉妹教になる。それで大本教では天理教の教祖を祀ってやってゐる。教祖さんの出口直の妹になる。で、その親が伊弉諾尊-国常立尊になる訳です。中々ここの処は不思議です。すっかり分れば何でもないが、中々ね。

それで仏と言うのは神の化身です。化身と言う事は印度は大自在天が支配していた時、バラモンと言うのが印度ですから、そこに仏教を弘めなければならないと言うので、最初稚姫君尊と素盞嗚尊が行って仏教の基礎を作った、そこに伊都能売神皇が行った。それを化仏化神と言う。

その時天の八人のお子さんで五男三女と言う、之が八大龍王になる。何故と言ってその時五男三女と言うのは、自分は印度に行くのは嫌だと言ってどうしても日本に居ると言ふ。仏はいずれ仏滅の世になると言うので龍神になってそれを待たれた。日本の近海ですね、越後と佐渡の間だとか、東北の方にもあるし、房州と関東の間の海、九州の有明、そうゆう処に飛び込んで時を待った。それが八大龍王です。

そうして総大将が伊都能売神様ですね。それが日本に帰ろうと思った処、今読んだ様に帰れないので霊で日本に来て自分も仏滅迄隠れていると言うので、先にも言った通り近江の琵琶湖に入り琵琶湖の底に龍神となられて、之が金龍ですね。それで霊でも霊と体がある。霊の体の方は木の花咲爺姫で、そうして富士山に祀られている。それから琵琶湖の方が伊都能売金龍として隠れてゐる。この事は先に書きましたが、そうして時を待たれた。そうして約三千年、本当言うと二千六百年ですが、之が最初三千年の積りだったが神様の方で力を強くしたんですね。

それで邪神の方も書きます。邪神の方の活動ですね、大変なんです。こう言う宗教的なものは今迄何もないが中味をさらけ出す訳です。今迄は之を分らせる事が出来ない。何故分らせる事が出来ないかと言うと時期が早いからです。やはり成功しないからです。と言うのは色々夜の世界と昼間の世界の関係もありますからね。邪神の方の活躍ですね。未だずっと先までやる積りだったが段々神様の方でも強くなって、邪神の方がこの辺で往生する事になる。邪神の活躍というのももう直きなんです。それで五六七の世が出来るんですがね。

大本教のお筆先にありますが、「遅き速きはあるが一度神の申した事に違ひはないぞよ」之は千変万化邪神に対抗していく事になるので、今迄の私とメシヤ教に対する色々な手も邪神との闘いです。今もって続いている訳ですがね。段々こっちの方が勝って行く訳です。もう一息ですね。もう一息でこっちが本当に勝って行く。そこでその期限と言うのは来年あたりですね。来年は勝って行く。然し先でも色んな妨害があるんです。五六七の世まで続くんです。然し先の方で段々弱って来ますから同じ闘いでも楽になって来ますね。ですからもう僅かです。もう一息です。来年から再来年にかけて素晴らしい色んな面白い事がある。

それから霊界も中々複雑な色んな事がある。丁度今出てますがね。中共と聯合軍との停戦協定ですが良く現はれている。邪神の方でも中々ね。それから神様の方でも、つまり一挙にやって了えば邪神が負けるんですが、そうすると救われない者や亡ぶ者が沢山出来ますから、神様の慈悲によってそう言う者を救い乍ら分らせる。そうして被害を少なくしようと言うのが神様の慈悲なんです。その為にまだるっこい様な事があるんですね。

あんまり纒まらない話ですが、大本教との関係ですね。一つ面白い事がある。私が大本教に居る時、東京の支部長というので羽藤と言う軍人ですが、陸軍の中佐かあたりで現役じゃなくて退役ですが、大本教で方々に冠句の選に招ばれた。之が中野の支部長をやってゐた。そこで冠句の句を訂して書いた処、この羽藤と言う人の魂に余程刺戟を与えた。

之は大変だ、岡田さんは唯者(タダモノ)じゃない。そこで遂に精神病になって綾部に行ったんです。私が羽藤さんを発狂させたと言う噂がたった。それで綾部に行って中野武営という人で熱心な信者で幹部になったが、そこの家は羽藤という家と幾らか親戚で、すると聖師さんから私に電報が来て直ぐ来て呉れというので行った。今羽藤が気違いになって私の処で治らないからあなた治してくれ、どうもあなたが原因らしいと言うので、兎に角会いましょうと言うので会った。

皆がいる処では話が出来ないと言うので別間に行った処、普通の精神病とは違う、真面目です。私の御魂はこう言うんです。私は世の中をもち荒した邪神の頭目じゃないが、邪神の頭目にすっかり瞞されて世の中をもち荒した。それでどうしても霊界に行かなければならない。そうして今迄の罪を贖罪しなければならない。然しあなたは霊界で長い間苦しまれていたが、私と交替になるのでしっかりやってもらいたいと言うんです。気違いどころじゃない。つまり神様は気違いにさせて置いて知らせるんです。だから神様は中々うまい手段で知らせると思った。

国常立尊が閻魔大王で三千年の間霊界で観てゐられた。それが今度出たお筆先に、今度は国常立尊が此の世の閻魔になり世の建替えを致すぞよと言うのがあり、建替とは審判です。だから今度は俺を使って国常立尊が審判をするんだと思った。それからすぐに羽藤という人は死にました。色々な事があり中々神秘です。本や何かに書く事が出来ないんです。

(昭和二十六年九月二十一日)