昨日までは好天気だったが、今日大変雨が降る。箱根に何かある時は必ず雨が降る。今迄に一番雨が降ったのは日光殿の落成式の時だった。落成式がすんでからはズーッと好い天気になった。又最初に此神仙郷へ引越しの時も大変に降った。そして熱海へ行く時はキット天気になる。
之はどういふ訳かというと、箱根は火で、熱海は水になる。火は水の力で働きが出るし、水は火の力でよく動く。之は如何いう訳かというと、箱根は火で、熱海は水になる。火は水の力で働きが出るし、水は火の力でよく活動する。故に水に対して熱い火をあてるとグラグラ活動する。
それと同じ理屈で、肺は水になり心臓は火になり、心臓が活動すると肺は丈夫になる。肺が丈夫になるとよけいに浄化が起るから、咳や痰が出る事になる。信仰に入ると浄化が強くなるのはそういふ意味である。信仰に入ると愛が多く、強くなる。
愛は心臓が元で、愛の強い人は心臓が丈夫である。心臓が丈夫なら肺が丈夫になる。であるから肺病の人は殆んど冷やかで冷たい。温い気持になるのは心臓がよくなるからで、すると肺は丈夫になる理屈である。それと同じ意味で、箱根に雨が多いといふ事は、火の働きが強いといふ事になる。
六月十五日は今年初めてお祭りした。神様の方では今日お祝をしなければならぬ訳があるのである。本にかいた通り、昭和六年六月十五日、初めて昼間の世界になった最初の日である。房州の日本寺へ三十幾人連れてお詣りに行った。お寺で日本寺の名は珍らしい。お寺は印度から来たものであるが、そこに神秘がある。
日本は日の本といふが、日本寺に天照大神様が御誕生になった意味になる。あそこは鋸山といふが、寺へ行ってみると、乾坤山日本寺とかいてある。乾坤とは天地の事で、非常に大きい意味がある。それが二十年前の今月今日である。
十年前の六月十五日は、民間治療をやっていたのが、十五年十一月一ぱいでやめ、翌年五月、五六七会の連中をつれて元伊勢へお詣りした。其後七月一日に伊勢大神宮へ中島一行をつれて行った。六月十五日をはさんで天照大神様に関係した仕事をした訳である。今年の六月十五日は二十年目である。之で神幽現の三段になってゐる。即ち三界とか三千世界といふのはこれである。幽とは仏界であり、幽冥界ともいはれる。
そんな訳で、今年から現界の昼間になる。今日がその第一歩である。現界が昼間になると種々な事が大変にかはる。
今迄は霊界がウンと変ってゐる。よく霊が憑って言ふ事に、「霊界は死人が山になってゐる、とても臭い、今に死人がウンと出来る」などというが、之は事実そうであって、今度は現界がそういう風になるのである。
今迄医学の間違いをいつも言い、その中薬の間違いを書いたり言ったりしてゐるが、誰しも之を早く知らせなくてはならぬといふ気持が起るが、今後時期が段々進むと医者が先づ判ってくる。薬を用ふるとすぐに悪くなるとか死ぬとかする。医学は溶けかゝった毒を固めるのが目的で、それで治ったように思ふので、不知不識行ってゐるが、新しい薬でペニシリンとかオーレオマイシン等出るのは、以前の薬よりはよく固まる訳で、幾分でも固まるうちは薬に頼る。
霊界の浄化が段々強まると注射をうつとすぐに死ぬようになる。そうなると医者が自分で判ってくる。又集団伝染病のようなものがふえてくる。そうなるとドンドン死ぬ人が出来る。どうしていいか判らぬ。その時メシヤ教は大発展をするのである。そうならなくてはいけないし、そうでないと本当に救はれない。現状のようにやってゐては一万人に一人というようでは人類は滅亡してしまう、間に合はぬ。
今に信者が出来て仕様がないようになる。今焦りたいのは無理はないが、ゆっくりとその時期を待つ気持と、大いに急いでその準備などをしなくてはならない。その時に救ふ人を神様は養成されるのである。所謂医者を作る医者という訳である。人を助ける人が今出来つつある訳だ。その積りでゆっくり急いでやってもらいたい。
一方では地上天国の形を段々進めて行かなくてはならぬ。大体今の予定は、神山荘-神仙郷の庭は殆んど完成し、今美術館をやってゐるが、建築の方は八月か九月に着手して、出来上るのは来年の三、四月頃になるから、来年箱根へ移る頃は落成式にならう。此美術館は全部私が設計する。専門家の設計はどうも気に入らぬ点が多い。今後の設計は大抵私がする事になる。
もはや設計図も出来てゐるが、今日諸士にみせるつもりだったが、図面が建築屋の方にあるので、次の機会にする。此美術館も恐らく日本一であらう。此間関西に旅行し、大阪の白鶴美術館を観たが、大変参考になった。今迄、美術館を造る上に於て一つどうかと思った事が、あそこへ行って分り、大変に参考になった。
此処へ美術館が出来て、初めて神苑の天然の美に対して、人工美が加はる訳であるから、茲に自然と人工の相俟った、理想の地上天国の模型が出来上る訳である。それが出来上ると、ケーブル線の向ふ側に、極知れぬような方法で手に入れた土地があるから、こゝへ宗教的の本山を造る計画である。日光殿の十倍位の大きさで、椅子で一万人位入れる余裕のあるものを造る。
そこで神仙郷は地上天国の模型とし、今度の土地を宗教の本山とし、日光殿は芸能に使ふ事になる。 熱海も庭は秋までに出来るつもりである。それから建築に取掛るが、熱海の方は規模も大きく建てる美術館も世界的のものが出来ると思ふ。中へ陳列するものも予定が出来てゐる。
私の手元にもあるが、世間にあるものでも、誰が何を持ってゐるか大体判った。別に泥棒する訳でない。(笑声)それを買入れたり、出品させる事にもならう。博物館だけは、既に理解がついてゐる。陳列するものは、全部世界的のものにする。多分京都だらうと思うが、茲へ世界一のものを造るつもりである。私は人のやるような事をやるのは嫌いであるからやらない。何でも世界一のものでなくては気に入らぬ。
要するに破壊と創造である。これから現界の昼間になるのであるから、すべて具体的に表はれるのであるから、非常に楽しみでもあり、又反対の人には非常に恐ろしい事である。
兎に角、段々やり甲斐のある事で、非常に面白い。今迄は基礎時代であって影の仕事をしたから、骨折った割合に現はれなかったが、これからは本当の収穫の時期になるので、そのつもりになってやってもらいたいと思ふ。
(昭和二十六年六月十五日)