救世教になってから第一回の五六七大祭で、非常に芽出度い日である。
釈迦滅後二千六百年、キリスト没後二千年で六百年の開きがあるが、之は二千六百年を詰めた意味である。
釈迦は経で、基督は緯で、之が結んで神の働きになる。これもよく合ってゐる。 キリストは緯であるから広い。仏教は経であって、緯の働きはない。
メシヤは、最後の審判の時、救ひに出る事になってゐる。
キリストの時代、イヱスがメシヤか否かといふ事になり、メシヤではないといふ事になった。そしてキリストもメシヤなりとは言はなかった。
万人の罪を負って、十字架に立ったと言った、今以て論議はあるが、今度はっきりする。メシヤ会館も来年の五六七祭までには是非間に合はす。千五百人入れる。
神様の方は大きい計画である。一昨日、アメリカ……。アメリカには大仕掛のものがある。瑞雲郷はアメリカの好みに合ふ。
(昭和二十五年三月五日)