宗教の根源と救世主の出現

地上の御経綸については、初め国常立尊が善一方の世界を出現させるべく御経綸遊ばされたが、余り厳格なりし為諸々の神様が非常に煙たがり反対された為に是は失敗し、いよいよ善悪二通りで進む事と今後なるのである。二千六百年以前神武天皇に御神勅ありて日本統治をなされた。

素盞嗚尊は西洋にてイスラエル民族を造られたのである。それがユダヤ民族であって、学問を以て世を開発することをお始めになられたのである。

一方伊都能売大神様を印度にお降しになり、布咀落迦山にて南海大士観世音菩薩として仏教をお始めになり、此山にて仏教を釈迦に伝えられたのである。其の時の釈迦の名は善財童子と申されたのであるが、未だ若かりし時既に教を受けて居られたのである。皆之は主神様が準備をなされたのである。

今日本に於いては神道、仏教、基督教とあるが、神道は一寸宗教とは言難いのである。其の中で天理教及金光教が宗教の形態をなし、公認教ではないが大本教も相当発展している。神道中での宗教であると言う事が出来る。金光教は余り教理としても完全なものはないが大本、天理の二教は相当に形態をなしている。キリスト教信者は日本で十万と言うが今は十万とはない。

華厳経に布咀落迦山に観世音菩薩あり、善財童子等大慈大悲教を説かれるのを聞いて居られたが、其の中に既に沢山の弟子が居られ、中にも侍者として二十八部衆在り、大弁財天、大梵天王、帝釈天王、金色孔雀、毘舎門天、阿修羅王等の外、ナーラヤナ金剛、ワーデラバーニ金剛の兄弟二人(此二人を仁王尊という)等の諸天が居られたとあるのを見ても、御釈迦様は観音様から御教を受けたことがよく判ります。

支那天台の祖南岳大師の記にも、「昔は霊山会場にあって妙法蓮華経を説き給い、今は西方浄土に在まして阿彌陀仏と名付け奉る。而も人界普現して救世観音菩薩となり給う。故に過去現在未来に渉る三世の利益は元観音一体に帰す」とあります。霊山会場とは布咀落迦山のことであります。

斯ういふ訳で南岳大師の言う如く、法華経も実は観音様が最初の骨子を説かれたもので、未来に渉り世界経綸の鍵は釈迦が七十三才の時に観音様から秘かに示されたのである。故に釈尊は吾七十三にして顕真実を得たと言われるのも、此の事を指して言われたのであります。それ故正法、像法、末法の後は仏滅が来る事を知らされたのであります。仏が滅すると言うことは観音様から知らされて初めて知られたのであります。

阿彌陀や釈迦は自分の事より外に出来んが、観音様は三位一体の御働きが出来る。其の観音様が御力を現わして居られないのは、阿彌陀と釈迦を余りにもてはやし過ぎて観音様を除外なされて居られた為であって、実に怪しからん事であります。

世界は仏教、キリスト教、マホメット教と此の三大宗教であって、これを主神が御申付になって造られたのであります。

仏教を説くには南無阿彌陀仏、南無妙法蓮華経の事から説いて行く事になります。是を説いたのは釈迦如来である。逆如来となる。「さかさ」の意味なり。

カミは大の字にして五である。
南無阿彌陀仏の事を称して六字の名号と言う。

仏とは人間の向上したるものにして神の次のものなり。
天は五、中界六、地は七である。逆の彌勒の悪の教。
阿彌陀は素盞嗚尊の化神なり。

仏教には密教と顕教とあり、密教は六ケ敷いのである。
天台宗には一番多くあて字がある。

主神が素盞嗚尊に命ぜられユダヤ民族を造られ、物質を始められる様になられたのであるが、皆是は今迄来るべき道程で主神の御経綸であった。

日本の武家時代は大六天魔王の活動であった。今でも未だ是がある。是皆素盞嗚尊の悪の経綸にして、それが為に現今の如く物質文化が発達して来たのであるから、是も必要なる悪の経綸である。是等のことをキリスト教や仏教が聞いたならば驚く事ならんも、今迄の事実なのだから致し方ないのである。

二千年前にユダヤに石屋組合があった。それからユダヤ人が中心となり、世界統一の陰謀国となったので、それが今日に於ては全世界の富の四分の三を持っていて、尚其の外言論機関の四分の三を占めている。是は欧洲米国等ばかりでなく、日本迄も手を延して言論機関は今や掌握されそうである。四五年この方朝日、日日等は占領されて終ったのである。是等は皆ユダヤの資本家の手に帰して終ったのである。読売も半分も手に入った。フリーメーソンは日本でも大臣級の人が入っていて、英国皇帝もフリーメーソンの一員である。

医者(イシヤ) 石屋フリーメーソン医術により人間の命を縮め様としていたので、ユダヤ人の作った医学である。

今や日本の人達の生命はユダヤ人が医者を通じて握って了ったのである。進歩したかのやうに教えられながら誤魔化されているのである。日本人もイシヤに騙されているのである。

三位一体といふ言葉が残されているのは、三尊者合一するといふ意味である。法身は水の働きのみ現世よりも霊界即ち浄土へ救うのが眼目で、西方へ浄土を造るから仏(覚者)となったお弟子を寄こされたいと釈迦に誓って西方へ行かれた。寂光の浄土と云い、寂光とは淋しい光即ち月の光で月の霊界である。

キリスト教では天の父と天の子と聖霊とにて三位一体という。仏教は祖先を祭り子孫へ是を残して行く故狭い。


仏 教  -経-父-小乗-火-東-男-善
キリスト教 -緯-母-大乗-水-西-女-悪


仏教は階級愛-忠孝。東洋民族は善人である。支那の悪は西洋文明に禍されたのである。善なる為に体を無視する。

キリスト教は隣人愛-夫婦愛-西洋人は悪なる為に体を本意とするのである。然し、経も緯も悪いが是を結ぶと良いのである。

イエス・キリストは磔刑に成ったが是になる様にと印を付けたのである。
此の経緯を結ぶのが観音会の使命である。

稜威八紘に輝く、是は善悪二つを結び、日本を中心にあらゆる力が出た時八紘に輝くのである。今は天皇の稜威は現われていないが、今後に於いて日本が西洋を結んで初めて御稜威が八紘に輝くのである。

霊体 ムスビ 日本(今後出来る)

日本人は純金であるが、今の日本人は鍍金位が多い。朝鮮、支那は九金か其処等のものである。

今迄は夜であるから月と星(英米)とが主になって来たのであったが、いよいよ日が出て夜が明けたのである。

素盞嗚尊は黄泉の国へ行ったとあるが、それは黄泉の国(常世)夜の世界、夜見の国、月星(英米)が威張っていたのも夜の世界であった為である。日がいよいよ中天に昇った時は月も星も影をひそめて終うのである。この時こそ大光明世界なのであります。

是に反し仏教の方の説き方は非常に違ふ。余りに安直なる説き方である。

この大乗の説き方で行くと露西亜は日本の一番の恩人である。ロシヤ国がもしも戦争好きでなかったならば、日本が満洲を経営する事は出来なかったのである。日露戦争ありし為日本が満洲を手に入れ、それが起幹となり満洲に進出出来たから大いにロシヤに感謝してよいのである。然し乍らロシヤは悪をやろうとして日本へ善い様にしむけて呉れたのであるから、一方へは善くなるのであるから、善悪不二、正邪一如というのである。張学良も此の点で言うと北大衛の変を起して呉れたから満洲へ進出出来た。日本へ対しては善である。

我々も病気が無かったら観音様を知らなかったのである。其の点で病気に救われたのであるから、この病気は何百年何千年も先迄永久に救われた大恩人となるのである。

小乗的善人は行詰る。大乗で行った人は勝つが非常に間違が起る。小乗で行って導き追々と大乗に導くのである。行いは必ず小乗でやらなければならん。観る時は大乗の頭で以って観ればよろしいのである。

菊の花は平面に見れば日本となり、又経にもなる。天地にも開く。

天へ照せば五風十雨のくるいなく、地へ照せば鉱物の在所が直ちに判る。地下に光がさせば透視することが出来る。先づ金へ光が照らすから反射して山や地中から光が出るので早速金のあるところが知れるのである。それ故入用なだけ掘れば宜しいのである。貧乏をなしにする事の出来るのも此の為である。

国家が金を掘れば人民より無理に税金を取上げなくとも良いのである。又農作物でももっと沢山取れる様になる。今日より三倍位取れる。肥料が不要となるのである。何故肥料が不要となるかと言えば、「光」が立派な肥料となるからである。又光に逢うと虫害がなくなるのである。豊作物は豊富に収穫の出来る時が事実来るのである。

仏教で肝心なのは法滅尽経及彌勒成就経である。滅法後ミロク下生して苦集滅道を説き道法礼節を開示すと出ています。

観音会はどちらも言わぬ、片よらぬ治し方である。

(昭和十年七月二十五日)