昭和十年一月一日

昭和とは日召和となる(平和)。日は天照大神のことであり、召は知食(シロシメス)という字(知召)。和は世界、又は大和である。十は結びである。

善と悪とを結べば悪はなくなるのである。
善を結んだ中心が則ち伊都能売である。
善悪を結んで火水(カミ)となる。

善悪結んで廻る十字の尖端曲りて(マンジ)(ギャクマンジ)となるのである。善悪結ばれし時より、悪は消えて完全なものとなるのである。

伊都能売大神様の世則ち大光明世界が造られるのである。宗教の卍は右廻りなるが、是が今迄の右進左退の世則ち悪の世界であったのである。

伊都能売の大神様は左進右退になるのである。
神音
天如神主観 天業開始と言う事になる。
真(スとなり)マコト、善、虚仮空、美、実相世界。

真善美の世界を造ると言う事は真はマコトである。今迄は虚の世界、仮の世界、空の世界である。一切空、仮の娑婆である。何故かと言えば善悪両方を許してあったからである。或目的のものを造る迄の仮の世界であったから仮の娑婆である。

真は霊返しで読むとスとなり実である。華である。いよいよ実を結ぶのである。又は統(ス)べる、皇(スメラギ)、 (ス)、統一する、一人となる。

一人は天皇であるから、昔から陛下のことを上(神)御一人と申上たのでもよく判る。然も此の御仕事は天皇陛下では御出来にならん。下万民がやらねばならん事なのである。

国常立尊は昔善一方で世界を治め様としたる為に、非常に他の神々に反感を買い、隠退遊ばされる様なことになった。

真の字を離すと直と人となる。真直な人即すなほな人、シン、心、中心、神、信とて非常に権威のある言霊である。

中心となると此度の御経綸を伊都能売の神様にお托しになった。是が観音様である。
中心日本は世界の中心である。麹町の中心は宮城である。

 どうしても観音会は宮城の側へ現われねばならんのである。
 十六の菊の御紋は、

即ち十へ稜威が出る形である。
世界の経綸の真の救いと経綸は御膝元から出ねばならぬ。どうしても出ねばならんのである。

観音会で自分が言うことは皆ハッキリしているのである。若しも今迄の教がハッキリしていたらどうかと言えば、是れにより悪が暴露するのである。暴露するとそれで世の中は進歩しないことになり、統一の事業は出来ない事となるのである。総てが国際的となり一度に世界に知らせる事の出来るのはラジオの出現である。ラジオの出来た事により、是で総ての準備が出来たことゝなる。

何事も是により世界的になったのである。

世界的救済、世界的宗教、是もいよいよ今出でざれば駄目だ。一人により世界統一せざれば真の平和は出来ぬ。今迄の色々の宗教は要するに無駄である。

帰一、一とは元の神様則ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。

(昭和十年七月十五日)