主神が何の為に宗教を造られたかと言うと、宗教は彌勒出現迄の世界人類をして、或程度以上の堕落をなさざらしめんが為の必要的限定的の経綸であって、主神は一方悪の活動を許容され、物質文化を開き、一方其の悪に因る弊害を甚しくせざらんが為に諸々の人傑を出し、宗教なるものを弘通せしめ、善悪を巧妙に織られたのである。故に今日迄の経綸は善悪、明暗、美醜、相交りつゝ流転活動し、進歩し発達し来たのである。宗教は東洋が元であることがよく判る。然しこれが為、亜細亜諸国が亡びたのである。
一方今度は素盞嗚尊に命じて悪の世界を作られたのである。則ち体的文化であり、物質文化のことになるのである。この物質文化は西洋を中心として起ったのである。只今人類はこれが為非常に迷った。東洋は滅亡の状態となり、西洋は末期となり訳が判らんから、今世界中の古い時代の色々のものを見つけ出したのであるが、古い事は最早事済となりしことばかりにて、これから先の事が如何になり行くか判らんのである。
今迄の人の思想は善一方では出世することすら出来ない世である。
悪をなせば法律にふれてあぶないし、善をなせば出世が出来ぬ。此の為両方に迷い、ふらふらしているのが大部分の今の状態である。
昔から忠臣義士は皆不幸の最後を遂げて居り、是れに反して悪人が仮令一時にもせよ栄えている事は何であるかという疑問をもつことであろう。是れこそ大事である。 要するに、是れまで神様は悪の世界を許されたからである。故に何程か悪に荷担しなければ出世も栄えも出来ぬ状態なのであった。是位簡単なことが今迄判らなかったのである。
此の為に迷いが生じて来たのである。悪の強い半獣的思想が止まなかったのである。是が悪事も神様が時期の来る迄幾らか許されていたから出来たのである。所が主神が今回伊都能売大神に命ぜられて日本を基点として、大光明世界を作らせ様となさって居られるのである。
体的でなく、霊的でなく、善か悪か想像のつかない世界を改めて、昭和十年一月一日観音会がたち、善悪無差別、善悪不二の世界を造る事になったのである。今迄あった悪も善も何れも必要であったのである。
(昭和十年七月十五日)