主神の御目的と天地経綸の真相

是れから説く事は世界の大秘密である。それを愈々暴露するのであります。今迄は夜の世界であった。それ故諸々の穢い事が匿れて居ったのであるが、観音様が此の世に現れた為に霊的に日が出た事になり、愈々秘していたことが目に見えて来た。其の見えて来た儘をお知らせするのであり、それで今迄の迷いを去り、不安を除き去るのであります。今迄のことは総てはっきりしていなかった。真理は簡単でありまして複雑な事はない。従来の凡ゆる経典やお筆先は判らなかったのであるが、気が付いて見ると難しいものであります。色々ややこしい複雑極まるもの程、誤魔化しがあるのである。

マルクスの資本論の如きは、学者でもわからん位にややこしいものであります。要するにそれは真理ではないからである。自分で真理が判らないから、色々に誤魔化していたのである。御経、バイブル、御筆先もややこしくて判らん。是が今迄の世で習慣となり、訳がわからんから有難いのであるとなったのであります。判らんお経を称えられて、有難いなぞとは一種の変態心理だと思う。是の判らん御経を坊さんに上げて貰っても判らんものを、人間ですら判らぬものを霊になったら尚判らんことになる。此間違いを直して行く事が我々の今後の務であります。

座禅の如きも、実に馬鹿々々しい事で朝から晩まで座っている。是れも一般人間には判りもしない寝言の如き事を言って喜こんでいるだけで民衆に通用しない事は本当のものではないのであります。

バイブルも判らんが、これは外国語を直訳した為である。黙示録も夢物語に等しいのである。

儒教も孔子が言った事で余程判る事は判るが、昔の法律の如きであって、日本の憲法を見た方が反ってよく判る位のものである。然し中には忠孝の道五常五倫の道を説いてある、これは宗教ではありません。是に於て喜びを与える事も出来ないのである。

日本の神道は古いのは教義がない。祭式、祈祷、呪禁(ジュゴン)の如きものであるから、先頃宗教へ入れるかどうするかとの問題が起って未だ決定していない。

新しい宗教には、天理教、金光教、大本教等は教義が出来ている。天理教は教祖のお筆先が根本で謎の如くで判らん為、学者、其他色々の人を頼み後に人間が教理を作ったのである。お筆先を読んでも或る一部は判るが判然と全部が判らん。

金光教も色々あるがこれは極平易な事柄であって、現代の人間へ対する程という様な事はなく、単純な爺婆や花柳界の人達を喜ばす事である。

大本教はお筆先であるが、余り同じ様な事を繰返して煩雑過ぎ、謎の様な事が多過ぎる。中にて大本の霊界物語は、何もしないで読んでも一ケ月もかかる。其の中に肝心な事はポッチリで是れも判らん。一度や二度や三度位読んでは判らんのである。是故大衆を救うというものはない。はっきりしないから一般民衆を救う事が救えぬのである。是は夜の世界で出来たから判然としないのである。

今度観音様のことが判然とした時が光明世界なのである。五六七の世がありますが、今直に全部判然する時は敵が出来たり、邪魔が出たりして反感が出来て駄目になる。是が為観音様の御神業に障ることとなり、此の方の目的を達せられん事となるので、困るから多少歯痒い事もあるが、今迄のことを思えばはっきりとしているのである。現在迄の宗教の是はこういう事であると説いた迄である。

今度言霊学の言葉が出るが、この「霊返し」を教える。霊返しは言霊を詰めて行って意味を知るのである。


霊返し
ア イ ウ エ オ ハ ヒ フ ヘ ホ
カ キ ク ケ コ マ ミ ム メ モ
サ シ ス セ ソ ヤ ヰ ユ ヱ ヨ
タ チ ツ テ ト ラ リ ル レ ロ
ナ ニ ヌ ネ ノ ワ ヰ ウ エ ヲ


岡田を一字につめると、「オカ」を詰めるとア行の方が主になり、「ア」となる。
「カア」であるが、「カ」が「ア」に入る。
「ダ」もア行であるから、「ア」に入るなり。


仁はジはジイであり、「ン」はウになる。
「ジン」は「ズ」となる。


斎は「サイ」で「シ」となる。


「オカダ」がア、「ジン」はズ、
「サイ」はシ、
「ジンサイ」を詰めると「ジ」となり、
岡田の後に仁斎「ジ」をつゞむれば「イ」となるなり。


五十鈴川の解釈で世界の今後のことが判るのであるが、今是をお話することは出来ません。

霊返しが出来たら、此次は天津金木と言う学問と云うよりも鍵がある。是があらゆるものゝ根本である。言霊、天文、地文、易、予言等の根本なのであるが、是を教え様とする人が未だないのである。古事記の中の稗田阿礼が勅命により口述したのである。

天津金木は上の様な形のものである。

稗田阿礼は此の天津金木を背に負っていたのである。古事記は天津金木の神秘が書いてあるのである。されば何故文章に書かなかったかと云えば、文章に書けば命がなかった為である。

日本は言霊の幸ふ国、言葉の生くる国という国である。今病気治しの時字を書くと、其の書いた字の言葉が働くのである。言霊で言えば直ちに強くなるのである。 天地の根本の神様の概略を知らせる。

宇宙の中心に地球あり、其のまわりに日月星辰あり、総て地球が中心であり、他の火星とか水星とか色々なものには、人間は住っていないのである。

此地球を統治する中心が何かと言うと、図の如き地軸又は地柱と言う。此の神様の事を天照大神と申上げる。此の神様が本当の統治権を持たれて居られたのである。つまり人としてお産れになったのでお姿があるのである。

伊弉諾、伊弉册、御両神様が肉体を持って御現れになり、生殖作用をなされ、右の御三神をお産みになったのである。天照皇大神様は日本に生れられ、素盞嗚尊は朝鮮の祖(後ユダヤ方面迄も御出になられた)盤古神王は支那の祖となられたのである。支那では盤古氏が一番位が高いとなっているのも此の為である。是が天地経綸をなす根本なのである。是れにより日本、朝鮮、支那は兄弟であるということが判る。朝鮮・満洲が日本の手に入ったのも是れによる事である。

世界御統治の為に、天照皇大神は別な神になられるのは前述の通りな訳であります。それでは何の様な神様と御成り遊ばすかと言うと、前記系図の如く国常立尊及び伊都能売大神となられるのであります。

古事記の眼目は岩戸開きであります。神代時代に天照皇大神は岩戸隠れをなされたのであります。天照大神様が岩戸隠れ遊ばされた為に、今迄代々天皇陛下が御稜威を犯され遊ばされて御苦労遊ばされたのであります。此の岩戸隠れの時国常立尊は艮の鬼門へ御隠退遊ばされて居られたので、一方又幽界に入られては閻魔大王となられたのである。

天照大神様が御隠退遊ばされたことも一方に於ては天地経綸上色々の意味のあった事は申す迄もない事である。

世界を大別すると左の如くなる

国常立尊及素盞嗚尊がこの地上を治められたが、国常立尊の御経綸は非常に厳格の為に、一般の神々が反対して御隠退なされ、艮の金神と申されたのである。又素盞嗚尊が地上を治められた事もあったが、世が乱れてうまく治まらぬ為、根の堅洲国に居られます母神様の御許に行く決心を以て、一度天に座ます姉神様たる天照大神様に御面会して行かんと天に登られたのであるが、余り勢よく御登りになったので山河動揺し、天照大神様は之を御覧になり、是は素盞嗚尊が謀叛なされ、御自分を征めに来るものと思召され、軍備をなされてお待ちになったのである。

処が素盞嗚尊が、其の様な心はないと御弁解なされて御誓約をなされたのである。其結果、天照大神様は曲玉をお首より御取りになり、天の真奈井にそゝがれると、五人の男の神様が御生れになられた。

素盞嗚尊はお腰の剣を抜き、是を天の真奈井にそゝがれると三人の女神様がお生れになられたのである。

この神様を総称して五男三女という。(五ノ三)即ちイヅノメ天の真奈井とは地上では琵琶湖となるのであります。

富士山と琵琶湖は日本の臍に当り、富士山が表、琵琶湖は裏となり、これを邪神に占領されると日本が自由になるから、観音様が富士山に兄の花姫尊として、又、伊都能売大神様は金龍となられて、近江の琵琶湖にお潜みになられた。此の天の真奈井の天の八洲河原に於て誓約なされたのである。

この如く、両神様が未来に於て御統治をなさる御約束が此の時出来たのである。五男三女の神様は其の時まで龍神となられ所々に別れて潜まれ、五男三女の神様こそは八大龍王の事なのである。

国常立尊……………-(後継者)…………………大将軍
素盞嗚尊………………( 〃 )…………………大己貴尊
盤古神王………………( 〃 )…………………天若彦尊


此の後に至り天忍穂耳尊より御系統が出て瓊々杵尊となり、連綿として今に至る。

(昭和十年七月十五日)