宗教篇 結核と憑霊

結核の原因には、憑霊の場合も相当多いのである。といふのは事実に於て夫婦の一方が死ぬと、間もなく残りの一方が結核となり死ぬといふ事がよくある。又兄弟の内誰かが結核で死ぬと、其後次々発病し、症状も前に死んだ者と、殆んど同様である。酷いのになると、五人も六人もの兄弟が次々死ぬ事がある。之等を見ると、どうしても伝染としか思はれないので、医学が結核は感染するとしてゐるのも、無理はないのである。処が斯ういふ例は病菌による感染はないとは言えないが、案外少なく憑霊による事の方が、殆んどと言ひたい位である。

今之を詳しくかいてみるが、普通結核で死に、霊界に往って霊界の住人となるや、霊になっても引続いて結核患者なのであるから、病状も生前と些かの変りはなく苦しむのである。処が病気で死んだ霊は言う迄もなく地獄界に入るのであるから地獄の苦しみが続くので、病苦の外に語る相手もなく、孤独で非常に寂しい為、相手が欲しくなる結果どうしても兄弟の誰かを、自分の傍へ引寄せやうとする。そこで憑依すれば、自分と同様結核となって死ぬのは分ってゐるから、そうするのである。何と恐るべきではなかろうか。又其他にも斯ういふのがある。それは祀り方が悪いとか何か死後要求がある場合、それを頼むべく知らせようとして之はと思ふ人に憑依する。憑依された者は、勿論結核と同様になるので、普通人はそういふ事に気が付かず感染したと思ひ、医師も又そう言ふ訳で、散々医療を受け遂に死亡するので、此最もいい例として、斯ういふ事があった。

今から廿数年前、私がまだ修業時代の頃、私の妻が風邪を引いた処、間もなく激しい咳嗽と共に引っきりなしの吐痰である。時々血痰も混るので、どうみても結核症状である。私も普通の結核としても、斯ふ急に起る筈はない、何か訳があるのだと思って、霊査法を行った。此霊査法といふのは、後に詳しくかくが、それで判った事は、果して約一年程前、二十幾才の青年で、結核三期といふ重症なのを治療してやった事があった。慥か一、二週間位で、遂々死んで了った。其霊が憑った事がよく分ったので、霊の要求を訊いてみると、生前一人の父親に世話になってゐたのだが、非常に貧乏なので、自分が死んでからも、碌々供養もして呉れず、未だに祀られてゐないので居所がなく、宿無しの為、辛くて仕方がないから、どうか祀って貰ひたいといふので、私も快く承諾し『今夜は遅いから、明晩祀ってやる。然し君が此肉体に憑いてゐると、肉体が苦しいから、今私が祝詞を奏げてやる、それが済んだら、直ぐ離れなさい』と言ふと彼も承知して、祝詞が済むや離れたので、妻はケロリとして平常通りになって了った。之などは余りハッキリしてゐるので、私も驚いた事がある。

(文明の創造 昭和二十七年)