日本式健康法の提唱(二) 食餌と営養

今日の医学衛生に就て特に、此食餌と営養程謬って居り活眼を開いて貰はねばならない事を専門学究に向って言ひ度いのである、夫は余りに学理に偏して実際と隔離し過ぎてをりはすまいか、何故なれば余が十数年に渉っての刻苦研鑚の結果は不思議にも、今日の営養学とは、全然相反する結果を生んだのである、それを是から、私自身の体験から出発して述べてみよう。

私自身は、十五六年以前は大の肉食党で、夜食は殆ど洋食で偶に支那料理を混ぜるといふ具合で、今日の所謂営養学上から言へば、理想的とも言(イ)はるのであるが、何ぞ知らん其当時の私は、三十代で体重十三貫をどうしても越えないといふ情ない状態ばかりか、二六時中風邪(フウジャ)と胃腸の悪くない事はないと言ふ位で、お医者の厄介にならない月は一ケ月も無かったのである、そういふ訳であるから、どうかして健康になり度いものと、深呼吸、冷水摩擦、静座法等と当時流行の健康法を片っ端から行ってはみたが、何れも多少の効果は、あるにはあるが、体質改善といふ処迄は到底行かなかったのである。

それがどうだらう肉食の非を知って日本人的食餌即ち魚菜本位に転換した結果、メキメキ体重を増し二三年にして、実に、十五貫五百から、六貫位を往来する程となると共に、段々風邪に罹らなくなり、其上胃腸の苦悩は、全く忘れて、初めて健康の喜びにひたり、爾来十余年頑健なる肉体を以て、活動しつつあるのである。

是等の体験を得た私は、子供六人をも併せて十数人の家族に思う儘実験をしたのであるが、勿論皆好成績で私の家(ウチ)から、病魔の影は全く見ないといふ幸福を享有したのである、特に面白いのは六人の子供に、非営養食を施してみた、即ち家内及び女中に命ずるに、子供等には、特に粗食を与へるやうに命じたのである、米は七分搗きとし、野菜を多量にして、魚は塩鮭目刺等の卑魚を稀に与へ、香の物に茶漬、又は香の物に塩結び、自製海苔巻等営養学上からみれば、先づ、申し分のない営養不良食を多く与へるやうにしたのである、然るにその成績たるや驚くべし、小中学とも体格は甲、営養は普通又は佳良等にて十六歳の長女を頭に四歳の男児に至る迄、未(イマ)だ重病と名づくべき病気せしもの、一回も無く、無欠席の賞は毎度頂戴すると言った工合である。

夫等の実地から得た尊い経験を私が八年前からやってゐる病気治しに就て、数百人の患者に試みたる結果、例外なく、好成績を挙げ特に肺肋膜等の患者に対する野菜食が、如何に効果あるかは、世の医家に向って大いに、研究されん事を望みたいのである。

簡単ではあるが、以上の事実に徴(チョウ)してみて今日大いに発達せる如くに見ゆる、営養学が其根本に於て、一大誤謬のあるといふことは、私は、断言して憚(ハバカ)らないのである。此事は国民保健上、大問題であるが故に、敢然起って、--警鐘を鳴らし、斯界の学究諸賢は固より、一般世人に向って、一大警告を発する所以なのである。

私が提唱する、此新栄養食が、一般に行はれるとすれば、国家経済上からみても一大福音と言ふべきである、彼の我邦の農民が、労働に耐久力のあるのは、全く卑食であるからであって、若し肉食的の栄養食を摂ったとしたら到底、あれだけの労働は出来ない事を私は保證するのである。

(次号には栄養食の根本原理)

(東方の光六号 昭和十年六月)